隠されている、それを見つける感性

ここにあるぞ!それを感じとれる感性

たとえば、たいていの数学者のように、哲学的な研究を一度もしたことがない人は、その種の研究や検査に必要な「視覚器官」が備わっていない。
ほぼそれは、森で花やベリーや薬草を探しなれていない人が、それらを見つけられないのに似ている。
その人の目はそういうものに敏感でないし、特にどんな場所で目を凝らさなければならないか、わかっていないからだ。
哲学の練習をしたことのない人は、問題が草むらに潜んでいる場所を、ことごとく通りすぎてしまう。
哲学の練習をしたことのある人なら、そこに立ちどまり、まだ問題を発見していないにもかかわらず、ここにあるぞと感じるのだ。
だが、練習をつんだ人でも、ここに問題があるぞとちゃんと気がついても、それを発見するまでには、ずいぶん長いあいだ探さなくてはならない。
とはいえ、それは驚くにはあたらない。
うまく隠されているものを発見するのは、とても難しいからだ。
by ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン

建築に詳しい人と現場に行くと、建築につてあかるくなる。

各専門家とその分野についてはなしていると、その分野について詳しくなっていく。

だから、ウィトゲインシュタインと一緒にいれば、確実に分析哲学について、あかるくなるだろう。

例えばそれは、日常の煩わしい問題が消えていくことを意味するかも知れない。

あるいは、今まで見えなかったものが視えることによって、別次元の苦悩が出現することなのかもしれない。

ポジティブな人なのか、おめでたい人なのか?

(A)
「『常識』を打ち破るストーリーを思いつきました」
「今までにない『価値』のあるトークを考えました」
「ようやく『自己否定』に慣れてきました」
「なかなかうまく『根拠』が捏造できません」
「すべては『捏造』なんだと知って、気持ちが楽になりました」
(B)
「『常識』の打ち破り方が、まだまだ常識的です」
「このトークは、この場合においてのみ『価値』がありますよね」
「もっと刺激的な『自己否定』をしたいです」
「そもそも『根拠』という言葉自体が捏造ですよね」
「すべては『捏造』という論理の捏造は、弱者を安心させますよね」

上記の(A)と(B)の会話の違い、あなたならどうお考えになるでしょうか?

Aは自己満足あるいは自己の内面の変化が嬉しくて、そこに留まっている状態、つまり自分の感情に囚われている。

Bは、ある種の変化を認めつつ、自分の状態と世間(ビジネスの構造)を対比して更に視点を上げるべく自己否定へ向かおうとしている。

世間一般では、Aをポジティブ、Bをネガティブと言うのだろうか。

これは個人的な見解だが、Aは「おめでたい人」、Bこそ真の意味での「前向きな人」ではないかと思う。

ネガティブ思考上等、わたしはネガティブに思考する人でいたい。

投稿者プロフィール

MSID研究所 Masao Saiki
3度の起業経験を持つキャッシュフロークリエイター
ライフデザイン、パーソナルデザイン、キャリアデザイン、キャッシュフローの創造・改善、塾の運営やサポートなどを主要業務としている。

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