言語ゲーム

【はじめに言語ゲームがあるからこそ、こういう考え方(意味)が生まれて、私たちは余計な苦労を背負いこむことになるわけです。】・・・・

何かを語った瞬間に、その言葉が持つ共通の意味と経験に基づくニュアンスとの違いが余計な問題を創り出す。

例えば、その対象が物質的なものであれば、その物に対して私が好きだという事と他の誰かが示す意味は若干異なるだろう。

その対象がある特定の人物となれば尚更のことだ。

言葉とは本来そうした曖昧なツールなのだ。

そのツールによってなされた翻訳などは、本来意図することから更に乖離している。

私たちはそれらを参考にして、その論理について意見を交わしたりもする。

こうした場合、その論理が正しいか、正しくないかを検討してることが多い。

いわば論理の評論家のようなことをやっている。

まったく滑稽ではないか、本来意図することから乖離しているそれを題材にして、ああでもない、こうでもない、とやっているわけだ。

別な言い方をすれば、己の寿命を自己を満足させる為だけに費やしていると云えなくもない。

これと全く同じことがビジネスや自己啓発系などの本にもいえる。

なぜなら、それらはこうした上位概念の理論の下位層で展開しているものだからだ。

感情を揺るがすようなストーリーのなかに、その上位概念の言葉を用いてひきつけ、販売数を伸ばそうとして懸命に仕掛けてくる。

これらのものは、私たちの視点を下げる役割を担っている。

そのことに気づかない人たちは、これらを実直に実践し、自滅していく。

気づいている人は、それを利用してさらに利益を拡大していく。

この違いは何処から来ているのだろうか?

いつから始まったのだろうか?

先天的なものなのか、後天的に備わったものなのか?

世間では、前者を天才といい、後者を「できる人」というのかものしれない。

また、馬鹿と天才は紙一重などと昔からいわれている。

どちらも常人では理解できないところに位置しているからだろう。

その常人かそうでないかを見分けるのも難しい世の中になったような気もする。

言葉を活用する能力よりも、語彙力(ごいりょく)の方がもてはやされる世になったからだ。

語彙力が増したところで、影響力が増すわけではないのに。。。

難しい言葉を多用したところで品格が向上するわけでもないのに。。。

言語ゲームを理解していない人が用いるそれは、あざとすぎるように思える。

言葉ゲームに勝利するには、その言葉そのものではなく、その言葉が何を語っていないのか、という視点を持つことが重要だろう。

言葉そのものに気を取られていると、本質的なことが見えなくなっていく。

したがって、余計な問題も止めどなく増産されていく。

世界R'(虚)と世界R(事実)

【クライアントに向き合っている世界(R')のほうが「私的言語」に近くなり、セールスの現場で意識する世界(R')のほうが、より相手の事実の世界(R)に影響を与えられる「類似性」を見つけ出しやすい、とも言えますね。】・・・

これはセールスの場数を踏んだことのない人には理解できない感触なのかもしれない。

擬似的にこの体験をクライアントに得させたいと思い試行錯誤してきたが、未だに苦戦している。

シナプスがフルに思考を連結させていく、その臨場感を擬似的に創り出す。

それをどうしても完成させたい。

私は、セールスの現場とそれ以外の場の緊張感の違いを嫌という程味わっている。

なぜなら、2つのタイプの仕事を現在も並行して行っているからだ。

特に連休明けの今日の様な日は思考することが億劫になる。

それがわかっているので、マーケティングとセールスに向き合わなければならない環境の一部として、敢えて自分をはめ込むようにしている。

今17時だが、今朝の9時45分からセールスとマーケティングに向き合うことができた。

途中1時間ほど映画も観たが、これでたるんだ思考を少しはましな状態に出来たような気がする。

クライアントでもある超多忙な謀女優に進言したことがある。

「少し休んだら」と。

すると彼女はこういった、休んでる暇はない、と。

日常の全てが女優としてのスキルを磨くチャンスだとも。

彼女は世界Rを上手に捉え、真摯に向き合ってきたから一流になれたのだ。

相手の類似性を見抜いて上位概念に導く

【上位概念である分析哲学的な世界の記述の仕方を、下位概念である「心理学でいうところの○○と何が違いますか?」とか「スピリチュアルの文脈で言えば□□ということですね?」といった質問には、安易に答えたくないのです】・・・・・

上位概念の世界の記述を下位概念の記述で表現しようとすると自ずとワードが増える。

つまり、より具体的な記述になっていく。

具体的に記述されたものを読んだりすると、何となく理解度が上がったような気になる。

だが実はそうではない。事実とどんどん乖離していくからだ。

だから、それが長く記憶に留まることも無い。

記憶に留まってほしくもないが。。。。

また、具体的に示された事柄に感じ入れば感じ入るほど、その分思考力が削がれてしまう。

つまり、具体的に示されたその事柄に従属的になるということだ。

プロフェッショナルが具体的に指示されることを毛嫌いするのもその辺りにある。

経営者もしかりだ。

コーチングなどでこのクラスの人たちと接するときには、特に気をつけた方がいいだろう。

考える事は自分で行いたい人たちだからだ。

一方、家計分野の相談を受けるときなどは、より具体的に示してあげないと相手が理解できない。

したがって、よい関係性も築けないからビジネスにならない。

いずれにせよ、相手の類似性をいち早く見抜き、それを上位概念に導くスキルが必要になってくる。

コーチングを生業とする以上そのスキルが無いとお話にならない。

相手の思考プロセスを磨いてあげることが出来ないからだ。

したがって、クライアントの成長も望めず、一時的な自己満足しか与えられない。

これは相手が誰であろうと同じことだ。

プロと接する場合も、そのプロを上位概念に導いていく必要があるというこだ。

ではまた。

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