パーソナルデザイン
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こんにちは、MSインテグラル・デザイン研究所の斉木です。 前回はパフォーマンスとは何か?ということについてでした。今回は、認知とパーフォーマンスなどについて取り上げてみました。これは、P塾の塾生に向けて掲載したものですが、よろしかったらご覧になってください。

認知とパフォーマンスとの比較

認知、パフォーマンスという言葉は極めて抽象的です。

この2つの言葉で、人間の活動の主なものを網羅しているといっても差し支えないでしょう。

ですから、その2つの関係も当然ながら、さまざまな側面を含んでいるといえるでしょう。

例えば、

  • 意識と行動
  • 注意と動作
  • 知覚と運動
  • 直感と行為

言葉は異なりますが、これらの問題は何度も取り上げられてきたテーマです。

このことは、どれも人間のもつ本質的な二面性。

つまり、心の内の私的な現象性(本能)と心の外側にあらわれる公的な行動性(論理構造)をなんとか関係付けようする昔からの努力、あるいは願望の現れだといえます。

このように二項対立しながら、かつ密接に結びついている認知とパフォーマンスを比較してみていくことにしましょう。

その関係を考察するときに用いる主な視点は次のようなものです。

  1. コントロールされるものとされるものとしての認知とパフォーマンス
  2. あい対立する動因としての認知とパフォーマンス
  3. パーソナリティ特性としての認知志向型とパフォーマンス志向型
  4. 状況に指定されるものとしての認知志向型とパフォーマンス志向型
  5. 発達過程の方向としてのパフォーマンスから認知
  6. 認知の指標としてのパフォーマンス

このうち5のパフォーマンスから認知へということは、ほとんどすべての発達理論に共通した視点です。

  • クラパレードの「意識の介入」という概念
  • ピアジェの感覚運動的知能から操作的知能への発達段階
  • ルリアの外言から内言へという発達の見方

など、いずれも基本的には、パフォーマンスから認知へという考え方だからです。

適応の手段としての認知とパフォーマンス

これらの分析にあたっては、人間の心理的活動を全体的に捉えていく必要があります。

そして、その上で、その中における認知とパフォーマンスを考察していくことが重要です。

教科書のように各章に分けてバラバラに見ていったのでは理解できないからです。

もちろん、時にはそれぞれを単独に分析することも必要です。

  • 人間の心理的活動が全体としてどのような構造をしているのか?
  • その中で認知とパフォーマンスがどのような位置をしめているのか?

このような大枠が時に忘れられてしまうことは問題です。

構造を捉えてその中で認知とパフォーマンスの関係を見ていくと、

まず根本的な機能として、認知とパフォーマンスはそれぞれ手段の体系の両面であるといえます。

環境を正確に認知することが生存の必要条件です。

また、知覚的認知によって現在の環境を正確に認知するだけでなく、

  • 自然や社会について理解したこと
  • 環境世界において生起した地所について経験したこと

などを記憶し、

  1. 思考によってそれを体系化
  2. 表象的にそれを認知する

ことによって、生存を脅かす災害の到来を予見して、それに対してより早くから対応を準備することができます。

ですが、単に世界に関する認知のみ正確で、それらの問題に対して何ら対応することなく、傍観していたのでは適応できません。

  1. 生存や適応するために有害な障害な条件や物質を除去
  2. 環境を生存に最適な状態へと改変
  3. 社会的対人的な問題を解決する

ことが必要です。

そうするためには、認知だけではなく、能動的に直接人々に働きかけるとういことが必要になってきます。

パフォーマンスによって個体は環境と直に接触し、環境を変えうるエネルギーともなりえます。

ともすると認知のための認知、パフォーマンスのためのパフォーマンスということが言われます。

しかしそれぞれは、より大きな目的である人間の生存のためにあることを忘れることはできません。

認知もパフォーマンスも基本的に人間の適応あるいは生存のため、そして欲求実現のための手段に他なりません。

その環境世界は常に変動していて、人間の生存に最適な状態をつねに保っているとはいえないからです。

ですから、環境に適応する人間の手段もまた、固定されたものではなく、その状況に応じて認知を新たにし、新しいパフォーマンスを創造していく必要があるでしょう。

それらの認知とパフォーマンスは、その時々の状況に対する結果とともに、経験として学習され、記憶され、それがまた次の機会への準備となり、知識となって蓄積されていきます。

このように、認知もパフォーマンスも日々の生活の中でたえず創造され、学習され、レパートリーとなっていきます。

そして、手段としての体系を次第に充実させ、高度の構造をもつ認知体制、あるいはパフォーマンス体制へと成長させていきます。

誤った認知に導かれたパフォーマンスは危険

認知とパフォーマンスの内、環境世界や社会に直接働きかけ、都合のいいように造り替えることができるのは、パフォーマンスです。

認知の方は、世界に対する見方を変えるという静的で受動的な働きしかしないからです。

それは認知というものが、現実を一歩退いて冷静な目で世界を見ることで成立するものだからとも言えます。

これに対してパフォーマンスは、現実に直接ぶつかり、状況に揉まれながら進行しているものです。

しかし、認知に基づいて形成された意図は、パフォーマンスによってはじめて現実的なものとなります。

その意味では、適応の手段として抗えない力をもっているのは、パフォーマンスだといえるでしょう。

ここで云う直接的接触というのは、社会の中での人間や物体との接触のことです。

自分のパフォーマンスを促すような格言が作られたのは、認知の享楽あるいは所有だけに終わってしまうことを回避したかったからでしょう。

それがいかに素晴らしいものであっても、お題目だけに終わってしまっては、現実にはなにも起こりません。

そのことを戒めたかったのでしょう。

でも一方では、衝動的なパフォーマンスが、いかに実りの少ないものかを、その成長過程において誰もが知ることになります。

場合によっては、危険なものですらあることを・・・・

このような行動を「目を瞑ってやる」と表現したりします。

しかし、この言葉はまだその人が認知できていることを意味しています。

「悪い結果が予想されているのにやらなければならない。」

それを認知できているわけです。

どういうことかというと、

「完全に認知のないパフォーマンスというのはない」という可能性が大きいわけです。

だから、たとえそれが不完全な認知であったとしても、

そういった緊迫した状況が、私たちに強いストレスを与えることになります。

つまり、認知のないパフォーマンスがないと仮定し、それが誤った認知に導かれた場合には、悲惨な結果をもたらすということになります。

今や若者の死因の主役になってしまった自殺行為もその典型的な例でしょう。

参考▼

2017年閣議決定した自殺対策白書によると、2016年の自殺者数は前年より8.9%少ない2万1897人で7年連続で減っている。しかし、15~39歳の死因は事故やがんを上回って自殺が1位だ。他の主要国の同年代の若者は事故死のほうが多い。

具体的には、15~34歳の人口10万人あたりの死因は、自殺が17.8%を占め最も多い。事故の6.9%やがんの5.2%と比較しても圧倒的な件数だ。未成年者の自殺死亡率は1998年からほぼ横ばいで減っていない。

「飛び降りる」「首をつる」「ガスをすう」といったとても残念な行動。

これは、一時的ないじめや失敗や失恋といった辛い状態を、もしかしたら簡単に解決してくれるかもしてらい。

そういった漠然とした不完全な認知のもとに行われてしまうのでしょう。

彼らが、すぐにこれをパフォーマンスに直結していまうところに問題があるわけです。

自殺しようという衝動に駆られてしまった時に、、、、、

すぐに実行することがなければ、生命を絶ってしまうほどの状態にはならないだろうということです。

それを実行していまうより、はるかに多くの可能性を探索できるというのに、、、、

そこにこそ認知の本質があり、それが私たち人間の特権でもあるわけです。

試行錯誤という考え方

ソーンダイクは、試行錯誤というの考え方を提唱しました。

試行錯誤とは、課題が困難なとき、何回もやってみて、失敗を重ねながらも段々と目的にせまって行くという方法です。

ここで問題になってくるのは、そのことです。

問題箱の実験によって、ソーンダイクが証明しようとしたことは、、、

  • 見通しがなく、まったくでたらめにやった行動でも偶然の成功の反復によって学習が起こる。

と言うことでした。

当時の心理学では、意識主義的な連合心理学の考えが、まだ主流を占めていました。

学習を観念の連合によって説明しなければなりませんでした。

ワトソンが行動主義を宣言したのは、

ネズミの迷路学習の実験をしても、その解釈として改めてネズミの意識がどうであったかと問題にしなければならないような風潮に我慢ができなくなったからだといわれています。

ソーンダイクは、実験的にこの意識主義的な考え方への反証を提供したといえます。

問題箱の脱出装置を、中に入れられる猫にとってとても理解できないような複雑なものにすればするほど証明するのに都合がよかったわけです。

観念をもつとは考えられない猫が、到底理解できないような複雑な装置を操作して脱出するという高等な学習が、行動の結果生じた快の積み重ねによって起こるというのは重要な事実です。

このような学習の一つの型、そして、その背後にあるソーンダイクの試行錯誤という考え方は、現代でも認知とパフォーマンスとの関係に重要な示唆を与えてくれています。

認知だけで全てを説明することができないのは当然でしょう。

つまり、認知とパフォーマンスが単独で意味を持つのではなく、互いの協応があるからこそ、より高い水準の行動ができるようになることを示しています。

認知は集約、パフォーマンスは拡散

認知とパフォーマンスは、その方向性において異なっていることは理解していただけたと思います。

  1. 認知は、情報を集約して求心的に取り込む方向の活動
  2. パフォーマンスは、遠心的に拡散して環境世界の中にその意図を実現する活動。

このように両者はその活動の方向が本質的に異なっています。

認知のために積極的に外に向かって情報を収集することはあっても、それは認知過程のある段階です。

能動的に収集された情報は、

  1. 既成の認知構造に取り込まれる。
  2. 体制化される。
  3. もともとあった認知構造を変容させる。

したがって、時間のかかる一連の事象も圧縮され、空間化され、やがて構造に取り込まれるでしょう。

これに対してパフォーマンスは、

  1. 認知構造の上で立てられたプランのようなものに基づいく。
  2. 一連の行動が時間の経過の中で展開されていく。
  3. 始まりと終りがある
  4. その進展には時間がかかる。

ですから、その展開は現実の中で進行するため、常に不確定要素を含んでいます。

これに対して認知は現実を超えた方向へ集約するので静的です。

ハットは、探索行動と遊び行動の差異を観察の時点で客観的に定義することの困難さを問題としてとりあげ、結局それを探索行動の集約性、遊び行動の拡散性に求めました。

  • 探索は認知的な活動。
  • 遊びはパフォーマンスそのもの。

遊びというのは、そもそも不確実性を楽しんでいるということでもあります。

ですから、この定義はそれぞれの本質をついているといえるでしょう。

ではまた。

この投稿は、認知とパフォーマンス (認知科学選書)梅本 尭夫著から内容を抜粋し、部分的にわかりやすく解説したものです。

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