

私たちは通常、自分が信じられる範囲でしかモノゴトをとらえることができない。
したがって、その範囲を越えたものは想定外となり、不思議だとか偶然だとかいう言葉で終わらせてしまう。
今私たちが現実と認識している世界は、数多いチャンネルの一周波数領域内に過ぎないことを知っているだろうか?
そして、その世界がすべてだという思い込みが、他の周波数を捉える能力を抑制してしまっている。
私たちが事実と認識している世界は、自己都合の視点から捉えた数多の世界のうちのひとつでしかない。
つまり、事実そのものではなく、そうあって欲しいという願望によって想像された世界に過ぎないということだ。
偶然などというものは存在しない。人は偶然に起こったように見えることすら、あらかじめ充分に起こり得る可能性を含んでいたのだ。つまり、私たちにとって、それが偶然に見えているだけに過ぎない。あるいは、自分の思慮不足から予測できなかっただけのことなのに、あり得ないことが起きたかのように驚きつつ、それをあまりにも偶然なことだと名づけているだけである。だから、いつでもあらゆることが起こり得る。何が起きても不思議ではない。そして、あらゆることを自分が起こし得る。
ーウィトゲインシュタイン
寿命の柔軟性を感知しよう!
あたりまえだが、すべての生命は例外なく環境に大きく影響されている。
例えば、本来なら800年は生きる植物を、大都会に植樹したら100年ともたない。
生命を永らえさせようとする力も、朽ち果てさせようとする力も併せ持っているからだ。
生命はとても柔軟なのだ。
だから、どちらを選択したとしても、どちらもその環境の中においては自然のなせることだ。
実験用のネズミは自ら環境を選択し、制御することはできない。
しかし、人は自ら環境を選択し、制御することがきる。
ある程度の領域までは、自らの意志によってコントロールすることもできる。
例えば、江戸時代の平均寿命は30歳~40歳と言われている。
乳幼児死亡率が非常に高かったということもあるが、現在の平均寿命の半分以下だ。
これは人の寿命にも柔軟性があるということを物語っている。
寿命は、当然ながら人生設計にも大きく関わってくる。
生命は新古一体
さらに細胞の単位に目を向けてみると、その寿命の差はとても大きくなる。
個々のアメーバーの寿命はせいぜい2~3週間だが、細胞分裂によってアメーバーは増殖を繰り返すので、部分的には何十億年以上も生き続けている。
アメーバ内部は、酸素や水素、炭素や窒素で作られていて、それが渦となって絶え間なく入れ替わり、同じ働きやカタチを維持し続けている。
半分近くまで数は減ったが、それでも考えられないほど膨大な数の細胞によって構成されている。
したがって、アメーバと同様、私たちの生命は古くもあり新しくもある。
例えば、皮膚の細胞の寿命は2週間、胃の内壁細胞に至ってはわずか2、3日だ。
赤血球は2、3ヶ月で、肝臓は数年間、心臓と脳の細胞は一生入れ替わることがないと言われている。
つまり、全く同じDNAが非常に短命な細胞から長寿の細胞まで、様々な寿命をコントロールしていることになる。
例えば、両親から受け継いだDNAが一緒になって、新しいDNAが形成され、私たちになった。
つまり、私たちのDNAは脳、皮膚、心臓、肝臓、髪、爪の先に至るまで、分化してさまざまな細胞を作り出すことができるわけだ。
一生変わらない脳のニューロンも、4週間毎に変わる鼻の臭覚細胞も外見は変わらない。
一見するとこれらの変わらない細胞が、それぞれ寿命を割り当てられ、見事にコントロールされている。
これが何を意味しているのか?
私たちの細胞も、アメーバと同様凄まじい勢いで流れる原子で成り立っていることを証明している。
想像を絶するような激しい変化にさらされながら、私たちの人体は正確に継承され維持されてきた。
人間のDNAは、少なくとも2百万年以上の長きに渡って人間のDNAであり続けてきたのだ。
そして、人間のDNAの基になった原始的なDNAの起源は、そこからさらに20億年近くさかのぼることになる。
私たちの体を構成する物質は頻繁に入れ替わり、その寿命は短いと言える。
しかし、それを遺伝子レベルで見た場合、とてつもなく長い寿命を持っていることになる。
であるなら、私たちはもっともっと長寿であってもおかしくないはずだ。