

私たちの体のどこを捉えても、持って生まれた傾向に導かれ、外界の環境とユニークに関わっている。
そして、その傾向に従うことも、それを修復することも選択できる。
これは私が人生設計について考える際の指針にもなっている。
クライアントの今後について、どのような選択をすればいいのか。
どのようなことに気をつければいいのか。などなど・・・
統計学の一部である占に頼っている人はたくさんいるが、体質に目を向けている人は稀だ。
彼らはこう言っている。
「持って生まれた傾向に無謀に逆らって生きるのは不自然だ。気楽に快適に無理をせず「自然」に調和して生きるためには、自分のユニークさを尊重する必用があるのだ」と。
だから、彼らの視点は、今患者がどのような「病気」にかかっているか?
ではなく「患者はどんな人か?」ということに注力している。
つまり、その人が、どんな体質をもって生まれてきたのかということだ。
また、体質に関する彼らの定義は、通常のそれとは異なる。
彼らはそれを「プラクリティ」と表現する。
プラクリティとはサンスクリット語で、直訳すると「自然」。
彼らはそれを「心理・生理的な体質」と考えているようだ。
彼らが最初に知ろうとすることは、患者の訴えや症状ではなく、患者の自然(心理・生理的な体質)だ。
それは、私たちの体に組み込まれている傾向を示すブルーシート(青写真)のようなものだろう。
例えば、コップ一杯(200㌘)の牛乳(普通)には134キロカロリーが含まれている。
このカロリーを主に脂肪を蓄えるために使う人もいれば、その大部分をエネルギーに変換する人もいる。
子どもはミルクからカルシュウムを吸収して新しい骨を形成する。
しかし、大人は同じカルシュウムを腎臓を通して排泄する。
この過程において上手く処理することができない人は、腎臓結石を形成し、それが例の激痛の原因にもなる。
つまり、こうしたプロセスが体質によって大きく変容する。
だから、、、、
- その人にとってどんな食事や運動や治療が助けとなるのか
- どんな方法が役に立たないのか
- あるいは害になるのか
などを知る必用があるというわけだ。
例えば、チーズをたっぷり使ったピザは私の大好物だが、動脈の病気が進行している人にとっては命取りになる。
摂取した脂肪が、血管を狭める血栓に加わって、取り返しのつかない事態を引き起こしかねないからだ。
逆に体重を増やさなければならない人にとって強い味方になる。
自分がどのような体質をもっているのかを知る。
それは、何を食べたらいいのか?
その回答にもなる。
つまり、自分の体質を知ることが、「完全なる健康」への第一段階になるのだ。