

昨年3人の友人が続けざまに心筋梗塞(しんきんこうそく)で倒れ、3人共バイパス手術を受けている。
こうしたことが人生設計を狂わせる切っ掛けになりやすい。
一昨年は心筋梗塞で倒れた友人が54歳という若さで亡くなってしまった。
大抵の場合は、心臓に酸素を運ぶ冠動脈が血栓で塞がれて心臓病になる。
そして、その経過や症状には著しい個人差がある。
個人差とは、体質のみではなく、その体質が基礎となって選択していく環境や心理も含む。
経験は、病気に対する私たちの身体の抵抗力は実に様々だということを教えてくれる。
同時に、同じ症状に同じ調合の薬剤を投与し同じ治療を施してもいいのか、という疑問も生じてくる。
また、免疫力に大きく影響する情動の存在も忘れてはならないだろう。
社会環境が情動に作用して起こる病気もある。
たとえば、うつ病、強迫神経症、心身症、拒食症などなど。。
そして校内暴力や登校拒否、過労死もその一部と考えられるだろう。
本質的な痛みを受け入れられるのか!?
心理学の本には、よく下記のようなことが書かれている。
病気になること、年をとること、死ぬことをうけいれられるようになると、生きるということに対して障害が軽減でき、うまく適応できるようになる。
本当にそのようなことが可能なのだろうか?
本能をダイレクトに刺激するような痛みを心底受け入れ、適応できている人間がいるのだろうか?
という疑問を私は抱かずにはいられない。
なぜなら何千人という人たちと接してきた中で、それが出来ていると感じた人は私も含め一人もいなかったからだ。
私が単に鈍感なだけなのかもしれないが、師匠筋に当たる何人かの高僧の方からもそれを感じとることはできなかった。
一説によると、病気についてあれこれ気にしている人の方が病気になりやすいそうだ。