私は無職であることを同居している両親に気づかれないよう、毎日定時に出勤するふりをしていました。
手持ち資金も少なかったため、山手線を何周も回ったり、家から遠い公園で時間を潰してから帰宅する日々を送っていました。
6ヶ月後、銀行口座の残高は1,215円になり、ほぼ無一文の状態になりました。
こんな事態になるとは思ってもいませんでした。
しかし、この状況が良いきっかけとなりました。
まるで脳が刷新されたかのように、考え方が一瞬でかわりました。
それで、これまでの経緯を振り返り、考え方を修正することができました。
かつては世界的に有名なデザイナーになることを目指しました。
マネジメントを学ぶために起業し、経営の経験も積みました。
失敗を克服して再度起業する事にも成功しました。
でもどうしてまた、望まない状況になってしまったのでしょうか。
根本的な考え方のズレが望まない環境を創り出す
実は、私の根本的な考え方がズレていたのです。
その考え方はいつから始まり、どこから発生したのでしょうか?
幼少期は病弱で、幼稚園にまともに通えなかった。
強烈に記憶に残っているのは、父のげんこつで凹んだタンスと、喘息をこらえながら見上げた天井板の節目です。
小学校の低学年のころは、母に竹製の長いものさしでよく叩かれました。
また、通知表に書かれた「消極的で、男の子なのでもっと積極的に」という言葉を見て、母は激怒し、私を押し入れに閉じ込め何時間も放置されたこともありました。
父はそれを黙って見ていました。
中学生のころ、私は2人の同級生から虐めを受けました。
両人ともかつての親友です。
一人からは罵声を浴びせられ続け、もう一人からは上級生からの命令だと称して、何人かの生徒とタイマンを強いられました。
その2人は望んでいなかったであろう末路を迎え、残念な結果となりましたが、彼らの言動は私の脳裏にしっかりと刻まれています。
高校で進路を決める時期になると、母は私に公務員になることを強く勧めました。
母と同じ職業を希望したからでしょう。
ファッションデザイナーになるなんて甘い考えは捨てろ。
安定した収入が確保できる公務員が一番だ、と言われました。
社会人になって6年目、起業する意思を伝えたとき「起業する?お前にそんな器量があるわけない」と母。
父はこの時も黙認していましたが、国際結婚を決意したときだけは、「なにはともあれ日本人と結婚してほしい」と。
母に言われるがままにしたくなかったし、母を見返してやりたかった。
父のような存在感のない、狭い視野の父親にはなりたくなかった。
自分が価値ある存在であることを両親に認めてもらいたかった。
そのためには、世間に自分が価値ある存在であることを認めてもらう必要があった。
酒を飲んでくだを巻くような生き方ではなく、度量のある人になるために努力しようと思っていました。
今にして思えば、そんな幼稚な考え方に長い間支配され、根本的な考え方にズレが生じて望まない環境を自ら創り出していたのです。
類似性と思考プロセス
「感情は論理に先立つ」という定説がありますが、論理的な思考と感情とが相互作用し、人間の思考と行動を形成するのではないでしょうか?
論理によって構成されたルールや記号だらけの現代社会においては、むしろ論理が感情に先立つケースの方が多いのではないかと思います。
たとえば視覚を介して飛び込んでくる情報などはその典型ではないでしょうか?
飛び込んできた情報が言語化され、その言語によって感情が刺激される、そのプロセスが繰り返され類似性となり、思考プロセスが形成される。
極端な考え方かもしれませんが、私たちの世界は記号によって構成され、記号がなければ何も認識できない世界。
私はそう認識しています。
たわいもない言葉に刺激され、欲しくない感情がしばしば湧きおこってくる。
自己とのジレンマを生み出す時
その感情に打ち勝とうとして、自己とのジレンマを生み出してしまう。
やがてそれが体中から滲み出してきて、望まないストーリーへと自分を追いやってしまう。
このままアパレル業界にいたら、低次元のパラレルワールドから抜け出せなくなってしまう。
冷静になるために、まったく興味のない仕事を選択した方が良いかもしれない。
自分が望まない人生はとは?
本当はどうしたかったのか?
理想の一日はどんなものだろうか?
そんなことを考えているうちに、本当に望むものが分かったような気がしました。
理想の一日に思考をめぐらす
そこで理想の一日を創造するプロセスを考えてみることにしました。
プロセスの過程で、自分にとっての理想の一日とは、技能や情熱を発揮し、人々に影響を与えることができる仕事に従事していることだと気づきました。
それがデザインであれ、経営であれ、自分が達成感を感じることができる仕事に就いていること、そのものが重要。
そう決めた後、新たな仕事に取り組む決意をしました。
まずは、どのような職業に就くべきか、現時点のスキルや知識を認識し再評価しました。
そして、将来また起業ができそうな職業を選びました。
それは、自分が長く続けられる仕事であり、経済的な安定も得られることが期待できるものでした。
このようなプロセスを経たからこそ、選んだ仕事に全力で取り組むことができました。
借金を短期間で返済でき、生活を安定させることもできました。
持てる技能を最大限に生かし、新しいチャレンジも何度も試みました。
そして、家族との生活を守るために、自分がどのように成長していくべきかも考え続けました。
結果として、自分は自己成長を続け、周囲からも評価される存在になることができました。
思考錯誤しながらも、本質的な強みにも気づくことができたからです。
本質的な強みに気づくこと、それが一番の近道
本質的な強みとは、後付けされたリソースではなく、私たちが持っている独自の特性です。
私の場合、長年嫌っていた資質が強みでした。
これは多くの日本人に備わっている資質で、戦後の欧米化教育によって影が薄くなってしまったものだとも言えます。
私がその資質を自分の特性として認識し始めたとき、物事に対する寛容さが増し、日々の生活が楽になりました。
それは、この資質を弱点と捉えていたことが違和感の原因だったからです。
その違和感が消えると、これまでにない解放感が得られました。
しかし、これは「自分らしさの探求」や「自己の内面と向き合う」といった自己啓発的な方法ではありません。
実際、「自分らしく生きること」を追求するほど、充実感から遠ざかるケースが多いようです。
それは、「自分」という存在は曖昧な概念であり、本来は他者との差異によって認識しているだけだからです。
私たちは自分以外のものとの差異を認識して自己に投影しているに過ぎません。
言葉は不安定感を醸し出すツール、その程度に考えていたほうが無難かもしれません。
自信、時間、お金、私、自分といった概念もただの言葉に過ぎません。
ですから、言語を意識的にコントロールすることによって可能性を広げることもできます。
「自分らしさ」や「自分がやりたいこと」を追求する行為が、自滅の原因となることもあります。
それは、これらが本質的には理解し得ないものだからです。