

本当に資産を運用する必要があるのだろうか?
「運用を始めるのは早ければ早いほどいい」それは本当か?
資産運用が本当に必用なのかどうか、そして早いほうが有利なのか、
一緒に考えてみよう。
資産運用が必要だとする理由は何だろうか?
今後ますます少子高齢化が進み、公的年金が減額されていくことは確かだ。
ゆとりのある老後の暮らしを支えるには、それ相応のお金が必要だ。
公的年金だけでは賄えないことは皆わかっている。
しかし、自助努力と資産運用をダイレクトに結びつけることに違和感を感じる人は多いだろう。
お金の流れを作り出すことを生業としている私もその一人だ。
世界でも有数の長寿国であると言われる日本。
その長寿化はさらに進み、年金原資が不足している状態はさらに悪化し、年金の支給額も期間もこれまで以上に削減される方向に進むことが予想されている。
そうなれば、これまで以上により多くの資金を自助努力によって確保していかなければならない。
実際、高齢者の暮らしは年を追うごとに厳しさが増している。
悲惨な状況が報道される機会も増えてきた。
政治に期待しても埒が明かないことは皆承知している。
資産を守り、増やしていく具体策を持てない環境下で、政治にかすかな希望を残しておきたい気持ちもわかる。
しかし、そのかすかな願いは、これまでに何度も裏切られてきた。
早いスタートは本当に有利なのか?
高齢者だけではなく、労働に見合った賃金が確保できず、生活に困窮している現役世代もどんどん増えている。
これは他所の国の話ではないのだ。
必要最低限のお金すら確保できない人たちが、この日本で増えているのだ。
その背景には勤務先の企業の業績不振も一役買っている。
だから、副業によって賃金を補うワークスタイルを推奨している企業も徐々に増えてきた。
一人の生活を支えるだけの賃金を捻出できない企業が増加しているのだ。
これが今の日本の経済を反映した姿であり、労働者の現状だ。
一方で、使い切れないほどのお金を、これまで以上に得ている人たちもいる。
つまり、この日本でも貧富の差が大きくなってきているのだ。
それは、お金の流れを作る仕組みが複雑化したことによって起こってもいる。
今知っている、あるいは今まで学んできた方法ではうまくいかないのだ。
でも、そのことは皆既に承知しているはず。
そのような環境でも、少なくとも必要最低限の資金を確保する必要がある。
それは、早期に資産運用を始めることとイコールではない。
資金を増やす仕組みを持たないまま、始めても意味がないからだ。
「早く始めれば、資産の目減りを防ぎ、大きく増やすことができる可能性が広がる」とも云われているが・・・・
早く始めることが、必ずしも資産の目減りを防ぎ、大きくすることに結びつくわけではないだろう。
むしろ、大きく目減りした事例の方が多いくらいだ。
複利運用は役に立つ!?
例えば、「複利運用を味方につけて活用しましょう」と誘われることもあるだろう。
複利運用とは、一定期間の利息が元本に上乗せされて再投資されるカタチだ。
そこから「利息が利息を生んでいくという仕組み」という誰もが魅力を感じるような語り口が誕生した。
しかし、利息が利息を生むためには、「最初の利息」が発生し、その後も利息が利息を生む状態が維持されなければ成立しない。
つまり、スタート時期が早ければ早いほど、賢く資産を運用することができるという理屈は、この複利運用の旨味がずっと継続するという前提に立っている。
もう一度言おう!複利運用の旨味を享受するためには、長期運用が前提になっている。
そのような望ましい状態がずっと続く保証はどこにもないだろう。
また、そこからさらに「投資先を分散して長期間運用することで、リスクが軽減でき、より安定性のある長期分散投資が可能になる」という物語も誕生した。
しかし、これらの物語は実際に成果を出し続けている人たちの体験ではない。
そのほとんどは、金融に携わっている人や運用商品を販売したる人たちが語っている物語だ。
私の場合は、誰かが作った仕組みで複利運用の旨味を・・・
という都合が良すぎる物語は信じられない。
継続的に定額が転がり込んでくる仕組みを考えて、そこに投資する旨味を体験しているからだと思う。
だから、いつ利益を確定していいのかわからないような仕組みではなく、毎年、毎月、毎日決まった金額が確保できる仕組みに変えるか、自分で作るかして、そこに投資する。
また、例えば「投資先を分散して長期間運用する」ことについて投資のカリスマはこう言っている。
分散投資は無知のヘッジ!?
カリスマとは、投資で5兆円の資産を築いた投資の神とまで称されるウォーレンバフェット氏のことだ。
「分散投資は無知に対するヘッジだ。自分で何をやっているかわかっているものにとって、分散投資はほとんど意味がない。
」
彼はそう言っている。
そもそも運用は利殖のために行なう行為であって、リスク軽減が目的ではないからだ。
また、「リスクとは何か?」という問に対して、ウォーレンバフェット氏はこう答えている。
「リスクとは、自分が何をやっているかよくわからない時に起こるものです。
」
実際に大きな成果を得ているバフェット氏と、販売側の言葉のどちらをあなたは信じるだろうか?
本当にリスクを軽減したいのであれば、わからないことには手を出さない。
つまり、運用を理解していない人が行う投資ほど危険なものはない、ということだ。
また「運用しないとインフレリスクを回避できない」という物語もある。
しかし、運用によってインフレリスクが解消できるという保証はどこにもないはずだ。
運用そのものがリスクを伴う行為にほかならないからだ。
本末転倒も甚だしい。
結婚、出産、子どもの学費、住宅の購入、そして老後や相続、不慮の事故や病気の備えなどなど・・・
さまざまなシチュエーションにおいて経済的な裏付けが必要であり、そのための自助努力は間違いなく必要だ。
しかし、そのことと運用することは別の話だろう。
自助努力=資産運用・・・それは金融に携わる人や販売する側がこしらえた一つの物語でしかない。
次回は「投資信託が浪費信託にならないように運用設計を修正する」です。