セルフイメージ適正化
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前回の投稿「人生設計に大きくかけているものがわかれば、人生が劇的に改善する」では、コンセプトとストーリーの重要性、プロセスとコンステーレーションの重要性、そしてセルイメージやコンフォートゾーンなどについて解説しました。

今回は、セルフイメージの適正化、この世界の差異を生みだしている言葉、そして環境の重要性に軽く触れ、成長できる環境を強制的に作り出す方法などについて解説します。

パーソナルデザイン方程式:適正化×言語

苦痛と矛盾から逃れ、絶望を迎え入れたまでは良かったのですが、その後が本当に大変でした。

無職であることが親に知れるのが恐わかったので、感づかれないように毎日定時に家を出て出勤するふりをしていました。

お金もないので、山手線でグルグル何周も回ったり、家から離れた公園で時間を潰したりしてから帰宅するといったことが、いつしか日常化していました。

そんな生活が6ヶ月間続いたものですから、銀行口座の残高が1,215円まで激減し無一文同然になってしまったのです。

まさか自分がそんな事態に見舞われるなど夢にも思っていませんでした。

「あしたからどうやって・・・・」

無一文同然になり、さらに絶望的な状態になると逆にスイッチが入りました。

なんと、一瞬でこの世の中と自分自身に対する見方が変わったのです。

無一文になるってこういうことなのか!

そう思いました。

答えの出ない堂々巡りの類似性と戦っている

「僕はデザイナーになりたかった!進路もそれに沿って選択し、会社を起こし経営も経験した。」

「その失敗に気づいて勇気を出して再度起業したのに、なぜまたこんな状態になってしまったんだろう。」

その考え方そのものが、大きな勘違いだったのです。

そうした思いが、自分の成長を抑制していたナンセンスな考え方だったわけです。

  • 2番:本当はどうしたかったのか?
  • 1番:自分の人生に望まないことは何か?

当時、親は公務員になることを私に勧めていました。

”安定した生活が一番だ”と口を酸っぱくしていわれました。

それには安定した収入が確保できる公務員が一番だ、と。

”起業する??、、、お前にはそんな器量なんかない。

そう、親の言う通りになりたくない。

そうやって自分を見下す母を見返してやりたい。

自分が価値ある存在であることを認めてもらいたい。

だから、自分が価値ある存在であることを世間に認めさせなければならない。

実に女々しい、そうした考えに支配されてしまっていたんです。

自己評価より、他者評価が低いと感じると、そうした感情がふつふつと沸き起こってくる。

そしてまた、その感情と戦ってしまう。

他の何者でもない、そうした自己の類似性(るいじせい)と戦っていたわけです。

ただそれだけのことでした。

それを証拠に、上手く行っているときは、そんな女々しい考えはみじんも出てきません。

しかし、追い込まれると、自覚のないまま、そこまで視点が下がってしまう。

「また俺をバカにしやがって!」

そうした感情に支配されてしまっていたのです。

セルフイメージを適正化する

そのことを冷静に判断できなくなっていたのです。

自分の置かれた環境を構造的に見られなくなってしまった。

その極めて低下した視点によって、何事も思うように進まなくなった。

ただそれだけのことでした。

ですから、問題は、どうやって元に戻せばいいのか?

とうことでした。

類似性と格闘しないで、この忌まわしいパラダイムから脱するにはどうしたらいいのか?

家族と自分の生活を守っていくにはどうしたらいいのか?

もうお金がない。親からまた借りるわけにもいかない。

かといって、他に借りる宛もない。

これらの問題を同時に解決する方法は無いものか?

  • 借金を返済しつつ、生活するためにいくら必用か?
  • 今のリソースで適合できる職業はなにか?
  • 将来また起業できそうそうな職業はなにか?

そのためには、アパレル業界にいてはダメだろう。

まったく興味のわかない仕事を一度考えてみる必要がありそうだ。

ということで結局、保険と不動産の2つに的を絞りました。

強みを発見する

また、そのようなことを考えている内に、自分の強みも明確になりました。

それは、デザインセンスでもなければセールスでもなく、製品をチョイスする力でもありませんでした。

それらはあと付けされた能力であって、本質的なものではないということに気がついたんです。

私の「本当の強み」・・・それは優柔不断で臆病であること。

言い変えれば、順応性が高い、ネガティブ思考、この2つが最初から際立っていたということに気づいたということです。

私は遺伝子研究者ではありませんが、これはDNAと幼少期のある種の類似性が絡み合って生み出された「私らしきもの」の特性だと思っています。

それらをベースにして「デザインが好き」という思いが、デザイナーやアパレル業に展開していったに過ぎません。

参考▼

そのことについては「心と体をよりクオリティーの高い次元へ導く方法とは?」を参考にしていただくといいかもしれません。

この自分らしき特性を理解できた状態で、そこに柔軟性が備わると、物事に対して寛容になり、とても力強く自然体で生きられるようになれます。

「もう、何一つ無理しなくていいんだ」その感覚は、自由そのものを手に入れた感触でした。

言葉の差異によってものは生み出されている

ただし、ここで勘違いをしないでほしいいのです。

それは「自分らしさの探求」ということではありません。

「自分らしく生きること」を追求している人は、幸せになることができない。

という話をあなたもどこかで聞いたことがあると思います。

「自分」という存在は、もともとつかみどころのないものだからです。

そのつかみどころのないものを基軸にして「自分らしさ」を意識的に追求しても埒が明かないのです

したがって、自分らしい生き方を求めれば求めるほど悩みや障害が増えていくわけです。

社長というのもただ言葉だけ、従業員というのもただ言葉だけ。

私と言うのもただ言葉だけ、お金というのもただ言葉だけ。

すべては言葉によって差異が生じているだけであって、それが事実を表しているわけではないんです。

ですから、自分らしさの追求ではなく、自分以外に目を向けてほしいのです。

自分とは、これまでの類似性によって自分以外のものとの違いを認識しているに過ぎないからです。

「自分らしさ」「自分がやりたいこと」を求めて最終的に自滅していく人が後を絶たないのも、これらのことが理解できていないからなんです。

実に勿体無いことです。

次回は環境について、つまり「誰と何を学ぶか」などについてです。

ではまた。

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