

無職であることを同居中の親に悟られないように、毎日定時に出勤するふりをしていました。
手持ち資金もあまりなかったので、山手線でグルグル何周も回ったり、家から離れた公園で時間を潰してから帰宅する日々。
6カ月後には、銀行口座の残高が1,215円まで激減し、みごとに無一文同然に。
まさか自分がそんな事態になるなど夢にも思っていませんでした。
「あしたからどうやって・・・・」
でも無一文同然になったことが返ってよかったようです。
人間万事塞翁が馬!
一瞬で世間の見え方が変わったのです。
つまり、考え方がすっかり変わってしまったわけです。
この時は、回転率のいい脳を移植したかのような感じでした。
マインドセットを変換する
「世界的に有名なデザイナーになりたかった。進路もそれに沿って選択した。」
「マネジメントを学ぶために、起業して経営も経験した。」
「失敗を克服して再度起業したのに、なぜまたもやこんなことに。」
そう、おお元の思考プロセスがちょっとズレていたのです。
その考え方はどこからくるのか、そしていつから始まったのか?
幼少期は病弱でまともに幼稚園も通えませんでした。
眼に強く残っている残像は、へこんだタンスと天井に張り巡らされた板の節目。
小学の低学年期は、私めがけて母が振り下ろす竹製の長い物差し。
それから、通知表に書かれていた文字。
「消極的です、男の子なのでモット積極的に。」
この文面を目にした母は、ひどく怒り、私を縛って何時間も押し入れに閉じ込めた。
父はそれを黙ってみていた。
中学生の時、二人の同級生から虐められた。
ひとりからは罵声を浴びせられ続け、もう一人からは上級生からの命令と称して、数名の生徒とのタイマンを強いられ続けた。
罵声を浴びせ続けた彼は40歳の時に息子に殺されてしまい、もう一人はその10年後に崖から転落死してしまった。
だから、今は彼らは別の形で脳裏に刻まれている。
高校での進路選択の時期、母は私に公務員になることを強く勧めた。
母と同じ職業に進もうとしたからだ。
ファッションデザイナーになるなんて甘い考えは捨てろ!安定した収入が確保できる公務員が一番だ、と。
社会に出て6年目に起業する意志を伝えた時。
”起業する??、、、お前にはそんな器量があるわけない!!と
父はいつも何も言わなかった。酔っぱらった時間帯以外は。。
しかし、その後国際結婚を決意したときだけは母より先に口を開いた。
「なにはともあれ日本人と結婚してほしい」・・・と。
母の言う通りにしたくない、自分を見下す母を見返してやりたい。
父のような存在感のない、了見の狭い父親にはなりたくない、ず~とそう思っていた。
自分が価値ある存在であることを母に認めてもらいたい。
そのためには、自分が価値ある存在であることを世間に認めてもらう必要がある。
毎晩酒飲んで酔いつぶれる生き方ではなく、度量の大きい人になるために努力しよう。
そう、こんな幼稚な考え方に長い間支配されていたわけです。
皆、その人なりにメッセージを伝えていただけなのに。
「感情は論理に先立つ」といった哲学者がいたと思いますが、論理が感情に先立つのではないでしょか。
言葉によって感情が刺激され、それが繰り返されて思考プロセスができ上がっていくはずだからです。
私たちの世界は、言葉(記号)によって構成されている、といえるからです。
言葉がなければ何も認識し得ない世界。
論理をこえた世界も確かに存在しますが、それは非常に認識し難い代物。
通常は直感的に感じることしかできないはずです。
自己評価より他者評価が低いと感じると、無意味な感情がふつふつと沸き起こってくる。
その感情を打ち負かそうとして、自らジレンマに陥ってしまう。
それが体中から滲み出ていて世間から煙たがれていた。
ただ自己の類似性(るいじせい)との苦戦を強いられている内面を見透かされていただけ。
自ら作り上げた低次元のパラレルワールドで、下手な独り芝居をうっていただけ。
ただそれだけのこと。
調子のいい時は、微塵も感じないのに、類似の刺激を受けると自ずと視点が下がってしまう。
言葉に刺激された感情に支配された自慰的世界で、時の経過をボヤっと眺めていた。
極めて低下した視点で眺めてみたって新天地は見えてこない。
この忌まわしい低次元のパラレルワールドから抜け出すにはどうしたら?
家族との生活を守っていくにはどうしたらいいのか?
既に所持している能力を再認識して最大限に生かすにはどうしたらいいのか?
明確なことは、お金がない、もう借金もできない、餓死するわけにも行かない、ということ。
借金を返済しながら、生活を安定化させるにはいくら必用か?
これらの問題を同時に短期間で解決する方法は?
現能力で可能な仕事はあるのか?
将来また起業できそうそうな職業は?
このままアパレル業界にいても低次元のパラレルワールドが続くだけだろう。
冷静になるために、まったく興味のわかない仕事を一旦選択した方がいいだろう。
自分の人生に望まないことは何か?
本当はどうしたかったのか?
理想の一日とは、いったいどういったものだろうか?
本質的な強みを発見する
そのようなことを考え続けていると、本質的な強みがだんだんと明確になってくる。
それらは後付されたリソースのことではありません。
私の場合は、ずっと嫌っていた、弱点だと思い込まされていた資質でした。
それは、たぶん多くの日本人の方が本来持っている資質だと思います。
戦後の欧米化教育によって片隅に追いやられてしまった資質だからです。
その資質を起点として、後付けされたリソースが存在していた。
そこに気づくと、物事に対して寛容になりゆったりとした気持ちで日々を過ごせるようになりました。
弱点だと思い込まされていた資質を、特性として蘇生させることで、欧米的な後天性のリソースにも柔軟性が加味されたからです。
ずっと感じていた違和感がなくなったからです。
それは、それまでに体験したことのない解放感でした。
柔軟性と寛容性を持てるように、言語を意識的にコントロールする
ただ、勘違いしないでください。
それは「自分らしさの探求」ではありません。
「自己の内面と向き合う」という自己啓発的な方法ではありません。
「自分らしく生きること」それを追求すればするほど充実感から遠ざかっていく、という話をどこかで聞いたことがあると思います。
そもそも「自分」という存在を定義するのは非常に難しいからです。
曖昧な存在を基軸に「らしさ」を追求しても見つからない。
それどころか、自分らしい生き方を求めれば求めるほど、悩みや障害は増えていきます。
すべては言葉によって差異が生じているのであって、それが事実を表しているわけではないからです。
自信というのもただ言葉だけ、時間というのもただ言葉だけ。
お金というのもただ言葉だけ、私と言うのもただ言葉だけ。
私的言語で満杯になったパラレルワールド以外に目を向ける、そうすると直ぐに可能性が開けます。
私たちは普段から、自分以外のものとの違いを認識して自己に投影しているに過ぎないからです。
「自分らしさ」「自分がやりたいこと」を求めて最終的に自滅していく人が後を絶たない。
それも、これらのことが理解できていないからなんです。
本当に残念です。