
私たちは「言葉でできた世界」に生きている
私たちがふだん「現実」だと思っているものの多くは、実はそのままの事実ではなく、言葉によって形づくられた世界です。
「事実そのもの」ではなく、「事実をどう解釈したか」という物語のほうを、私たちは現実だと信じて生きています。
けれど、この構造をきちんと教えられる機会は、ほとんどありません。
そもそも、そのことに気づいていない人が大多数ですし、なかには「人々がその仕組みに気づかないほうが都合がいい」と考える側も存在します。
そうした要因が重なって、「言葉は現実そのものではない」という当たり前の事実が、なかなか広まっていないのです。
言葉は「不安定」だからこそ、人を縛る
まず前提として、言葉とは本質的に不安定な道具です。
にもかかわらず、私たちはその言葉を使って、自分や他人や世界を説明し、評価し、分類しようとします。ここで大きなゆがみが生まれます。
たとえば「優(すぐれている)」「善(よいこと)」といった言葉を考えてみましょう。
これらの言葉を使った瞬間、世界は自動的に二つに分かれます。
- 「優」「善」とみなされる側
- そうではない側(=どこかで「劣」「悪」と感じられてしまう側)
言葉のレベルでは、「優」だけを取り出しているつもりでも、
その裏側には必ず「劣」という影が張り付いています。
この「言葉そのもの」と「言葉にされなかった残り」に世界を分ける構造こそが、言葉の不安定さであり、同時にその危うさでもあります。
思考は「固定点」を求めてしまう
人間の思考は、本来は何もラベルのない、連続した世界の中に、無理やり「固定点」や「境界線」をつくることが得意です。
あいまいで揺らぎのある現実を、そのまま抱えておくのは不安だからです。
そこで私たちは、
- 「これは正しい/これは間違っている」
- 「これは優れている/これは劣っている」
- 「これは成功/これは失敗」
といった対立構造をつくり、自分の考えを安定させようとします。
先人がつくった「ルール」や「正しさ」を愛してしまうのも、その延長線上にあります。
ヘーゲルの弁証法のように、「人は矛盾を乗り越えて成長する」といった考え方もあります。
これはこれで一つの見方ですが、同時に、矛盾や対立を前提とした世界観を強く信じ込ませる仕組みにもなり得ます。
「安定には必ず否定が現れ、またそれを乗り越えなければならない」というルールを絶対視してしまうと、
本来は必要のなかった葛藤や苦労まで、わざわざ背負い込んでしまうことにもつながります。
言葉に騙されないための視点とは?
では、こうした過程で生み出される「言葉の世界の幻想」に、振り回されないためにはどうすればいいのでしょうか。
つまり、私たちは言葉とどのように向き合えばいいのでしょうか。
ここで大切になるのが、次の視点です。
「その言葉が何を言っているか」ではなく、
「その言葉が何を言っていないか」に目を向ける。
言葉そのものだけを見るのではなく、その裏側に追いやられているもの、
つまり、その言葉と対立するもう一方の側に意識を向けてみることです。
たとえば、誰かが「彼はとても優秀だ」と言ったとき、
- 「優秀」と評されていない人たちは、どのように見なされているのか
- その評価の基準は、誰が、何の都合で決めたものなのか
- その言葉によって、何が切り捨てられているのか
といった問いを立ててみるのです。
このとき、私たちは初めて、言葉の持つ不安定な構造から一歩外側に出ることができます。
「事実だと思い込まされていた世界」を揺らす
こうした視点を持てるようになると、これまで「事実そのもの」だと思っていた多くのことが、
実はある特定の言葉の枠組みの中でだけ成り立つ物語にすぎなかった、ということに気づき始めます。
それは、これまで自分を縛ってきた世界観を、静かに脱構築するプロセスでもあります。
「自分は劣っている」「自分はダメだ」「自分は普通でなければならない」といった思い込みも、
言葉の枠組みを問い直すことで、その根っこから揺らぎ始めます。
重要なのは、ある言葉の「意味」を暗記することではありません。
むしろ、
その言葉によって、何が見えなくなっているのか。
その言葉を信じていることで、どんな可能性を自ら手放しているのか。
この部分に静かに光を当てていくことです。
言葉との距離感を取り戻すために
私たちは、言葉そのものから逃げることはできません。
しかし、言葉と少し距離を取りながら付き合うことはできます。
- ある言葉を聞いたとき、「これは何を言っていないんだろう?」と一度立ち止まる
- 自分を苦しめているラベルがあれば、「そのラベルの外側には何があるか」を想像してみる
- 評価やジャッジの言葉を聞いたとき、「誰の都合で決められた基準なのか」を眺めてみる
こうした小さな習慣が、少しずつですが、言葉に支配される生き方から、言葉を使いこなす生き方へと、舵を切らせてくれます。
あなたが日々使っている言葉は、どんな世界をつくり出しているでしょうか。
そして、その言葉の「裏側」にあるものを、どれだけ見落としてきたでしょうか。
その問いに静かに向き合うところから、
これまで「当たり前」だと思っていた世界を、もう一度描き直すプロセスが始まります。



