
効率的市場仮説(EMH)――「市場は正しい」の意味を、誤解しないために
効率的市場仮説(Efficient Market Hypothesis, EMH)は「利用可能な情報は価格に反映されている」という、非常に強い見取り図です。
強い見取り図は便利ですが、強いぶんだけ誤用も起きます。
よくある誤用は二つあります。
ひとつは「市場は常に正しい=割安も割高も存在しない」という短絡。
もうひとつは「だから個別分析は無意味」という諦めです。
EMHが言っているのは、そのどちらでもありません。
EMHは“市場が完全”だと断言する理論ではなく、「情報と価格の関係が、どの程度の速度と精度で成立していると仮定するか」を整理する枠組みです。
投資家にとって重要なのは、EMHを信じるか否かの宗教戦争ではありません。
EMHを“道具”として扱い、①自分が勝てると考えている根拠は何なのか、②勝ち筋があるとして、それはどのコストと引き換えなのか、③その勝ち筋が崩れたときに何が起きるのか――ここまでを冷静に点検することです。
EMHは、過信や思い込みを剥がすための検査器として優秀です。
弱形効率市場――「チャートで勝てない」は、何がダメだと言っているのか
弱形効率とは、過去の価格や出来高などの取引情報が、すでに価格に織り込まれている状態を指します。
ここで重要なのは、「チャート分析が一切無意味」という乱暴な結論ではなく、「過去の情報だけで将来の超過収益を安定的に得るのは難しい」という含意です。
もし誰もが同じように移動平均やトレンドを見て売買し、同じ手法で利益が出るなら、その利益は取引によって早期に消えます。
利得が見えるところには資金が集まり、期待利得は薄まる。
これが効率性の直観です。
ただし、弱形効率が成立しても、短期の価格には“癖”が残り得ます。
たとえば流動性の偏り、取引コスト、売買単位、投資家層の行動パターンなど、摩擦がある市場では、完全に裁定し尽くせない歪みが残ります。
つまり「弱形効率=過去情報は完全に無意味」ではなく、「過去情報は“安定して儲かる聖杯”にはなりにくい」というほうが現実に近い。
結局のところ、チャートの問題は正しさ以前に“再現性”です。
再現性があるなら他者が参入し、薄まり、コストに負ける。
その構造を見抜けているかどうかが焦点になります。
半強形効率市場――公開情報が織り込まれるなら、分析は何のためにあるのか
半強形効率は、「公開されている情報は価格に反映される」という仮定です。
ここでありがちな誤解は、「ニュースが出ても株価が動かないはず」というものです。
しかし実際には、ニュースが出れば動きます。
重要なのは“動くか動かないか”ではなく、「その情報から機械的に超過収益を抜くのが難しい」という点です。
公開情報は皆が見ます。
皆が見る情報から、誰も見ていない利益を安定して取り続けるのは難しい。
つまり半強形効率が示唆するのは、情報そのものよりも、情報の解釈・差分・速度が勝負になる、という構造です。
たとえば決算が出た瞬間に株価が動くのは「情報が反映された」からですが、その反映が常に一回で終わるとは限りません。
市場参加者の解釈が割れたり、将来の見通しが変わったり、情報が後から補強・修正されたりすると、価格は“再解釈”されます。
ここに、分析の居場所が残ります。
分析とは、公開情報を読んで悦に入ることではなく、「市場の平均的な読み筋と、自分の読み筋の差がどこにあるか」を明確にする行為です。
ただし、その差分が本物なら、当然ながら逆方向のリスクも大きい。
差分は“優位性”であると同時に、“孤立”でもあります。
強形効率市場――インサイダーまで織り込む世界が、現実で成立しにくい理由
強形効率は「非公開情報まで価格に反映される」という極端な仮定です。
これは理論上の限界を示すために置かれた設定に近く、現実の市場で成立しにくい。
理由は単純で、非公開情報は“全員”には届かず、届かない情報は価格に完全には反映できないからです。
さらに、インサイダー取引が完全に放置されている市場なら一部は価格に滲むかもしれませんが、それは同時に市場の信頼を損ね、流動性や参加者の行動を歪めます。
結果として、強形効率という仮定は“市場が機能するための条件”と衝突します。
この章で大事なのは、強形効率を否定して安心することではありません。
「自分だけが知っているつもり」の情報が、どれだけ危ういかを理解することです。
知った気になりやすい情報ほど、すでに価格に織り込まれている可能性が高い。
逆に、本当に織り込まれていない情報は、そもそも入手が難しいか、解釈が難しいか、あるいは“正しいがタイミングが読めない”類のものです。
EMHの強形は、情報の非対称が残る限り、市場には完全な正しさではなく“限界付きの正しさ”しか成立しない、という現実を逆照射します。
EMHが投資家に突きつけるのは「戦略」ではなく「コスト構造」
EMHを読んで「アクティブかパッシブか」という結論に急ぐと、肝心の論点が抜けます。
EMHが実務で効くのは、投資の成否を“能力”より先に“コスト構造”として捉え直す点です。
市場がある程度効率的なら、超過収益は簡単に残りません。
残りにくい場所で超過収益を狙うなら、調査コスト、売買コスト、税、時間、精神的負担が増えます。
そして、その増えたコストを上回るだけの優位性が必要になる。
ここを曖昧にしたまま「自分は勝てる」と考えると、確証バイアスや過度の自信が入り込みやすくなります。
一方で、EMHがある程度正しいからこそ、パッシブ投資が“有力なデフォルト”になる理由も見えてきます。
市場平均に勝つのが難しいなら、まず平均を取りに行き、余計な摩擦を減らす。
これは投資家にとって非常に合理的です。
ただしここでも短絡は危険です。
パッシブが合理的なのは「市場に勝てないから」ではなく、「勝つためのコストが、期待できる超過収益を侵食しやすいから」です。
つまり、勝負すべき論点は“市場の正しさ”ではなく、“自分が支払う摩擦”の総量です。
「例外」が存在するなら、どこに、どんな形で現れるのか
EMHの議論が面白くなるのは、例外があるかどうかの話ではなく、例外があるとしたら“どんな形で”現れるかを考えたときです。
たとえば、流動性が低い市場、情報が届きにくい小型銘柄、規制や制度で参加者が限定される領域、あるいは投資家の行動バイアスが強く出る局面。
こうした場所では、効率性が弱まり、価格に歪みが残る可能性が高まります。
ただし同時に、そこはコストも高い。
売買が難しい、スプレッドが広い、情報の真偽が判別しづらい、時間がかかる。
歪みには“報酬”があるかもしれませんが、歪みは“摩擦”とセットです。
結局、EMHを読んだ後に残る問いはこれです。
自分が狙っている超過収益は、何によって生まれると考えているのか。
その源泉は、情報の速さなのか、解釈の深さなのか、行動の規律なのか、あるいは他者が避ける摩擦を引き受ける覚悟なのか。
そして、その源泉は再現性があるのか。
EMHは「勝てない」と言っているのではなく、「勝つなら、勝ち筋を具体化せよ」と迫ってきます。
ここを曖昧にできないところに、この仮説の価値があります。
まとめ――EMHは結論ではなく、思考の検査器
効率的市場仮説は、投資の正解を配ってくれる理論ではありません。
むしろ、投資家が持ちやすい誤解――「知っている」「読める」「当てられる」――を点検するための検査器です。
弱形・半強形・強形という分類は、どの情報がどれほど価格に反映されると仮定するかを切り分けるための道具にすぎません。
重要なのは、そこから導かれる態度です。
市場平均に対して何を狙うのか。
狙うなら、どんな摩擦を引き受けるのか。
引き受ける摩擦は、期待リターンを食い尽くしていないか。
ここまで自分に問い直せるなら、EMHは“知識”ではなく“実装”になります。



