これまでの37年間、アパレル事業、セールス、パーソナル系分野やビジネスコーチングなどを通して多くの方たちと接してきた。
彼らの職種や年齢、環境はそれぞれだったが、誰かから何かを学ぼうとする時、その根底には共通した意識というものが感じられた。
「何かを懸命に学ぼうとする理由」はなんだろう?
その1つとして「自己の能力開発」が考えられるだろう。
また、それを望んだがために大きな課題が生じることもあるだろう。
例えば、「具体的にどのような能力を、どのような方法によって開発していけばいいのか」という課題だ。
社会人としてある程度の期間が経ち、仕事に行き詰まりを感じたり、自分の生き方そのものに疑問を持ち始めた時に「自己の能力開発」という衝動にかられることが多い。
一人になった時、友人たちと話しをしている時、ざわめきの中でふと我に返った時「いまのようなスタンスで仕事にとりくんでいていのだろうか?」「何か新しくことにチャレンジした方がいいのではないか?」
などなど、さまざまな思いが沸き起こり、何かを学び始める。
パーソナルデザインとパターン
しかし、実際には、なかなか思うようにいかないのが現実だ。
そのような課題に直面した時、具体的にどのような能力をどのような方法によって開発していくべきなのか、といった明確な指針が少ないのも1つの原因だろう。
私自身、会社での研修などに参加したり、またそうした現場にも多く携わってきた。
そうした経験の中で思ったことは、会社から提示される研修だけで個人の能力を開発することは難しいということだ。
なぜなら、これらの研修はすべて受動的に行われるものだからだ。
本来なら、何か前進できない障害を自ら強く感じていて、その障害を乗り越えるべく自ら思考し、納得できる能力開発の道を見いだすというのが道筋だからだ。
しかし、残念ながらそのようなプロセスを経ても、そこから迷宮に迷い込んでしまう人も少なくない。
今回は、そのような「自己成長」を求めた時に陥ってしまいがちないくつかのパターンをご紹介しよう。
現在行き詰まりを感じていたり、実際に何かにチャレンジしてみようと思っている人は、一緒にチェックしてみてほしい。
早期断定パターン
「僕には人事の仕事が適しています。だから社労士の資格を取ってもっと専門性を高めたい・・・」
「今経理関係の仕事についているので、会計の勉強をしておきたい。税理士の資格も……」
その部署に配属され、そうしたことを口にする若手はほんとうに多い。
一見すると、担当している業務の専門性を高めることは、素晴らしいように思えるので賛同する人は多いだろう。
専門性を高めること自体を否定することはできないからだ。
ただし、その仕事が自分の専門となりえるのか、自分の体質にあっているのか、今後10年以上そのジャンルでやっていくつもりがあるのか、などを精査する必用がある。
自分の可能性というものを考察し、会社全体の構造を捉えた上で、その分野でやっていくことを決めたのであれば、専門性を強化していく必要はあるだろう。
しかし、こうしたことを口にする人の環境や心理を覗いてみると、
- 明確な理由もなく、他に目的がない。
- わずか数年の実務経験しかない。
といった人物像が浮かび上がってくる。
未来のキャリア形成の機会を排除している。
その結果、他の可能性を早々に排除してしまっていることに気づいていない。
自分は能力開発をしているのであって、自分の可能性を排除しているつもりなど毛頭ないのだ。
例えば、これを20代の人のタイムスケジュールで考えてみると、キャリアが70歳まで続くと仮定しした場合、まだ40年以上も残されていることになる。
いよいよキャリア形成をして行く段階において、未来の可能性を数年の経験によって断ち切ってしまっていいものだろうか。
もちろん、若いうちから何らかの専門性を高めておくことは望ましいことではある。
そのような動きが斬新な可能性の発見につながるといった場合もなきにしもあらずだ。
しかし、それは状況判断を確りできているという前提にたっての話だ。
また、それと同時に想定しておくべきことがある。
それは、「変化」だ・・・・
環境や人的資本の変化だ。
もし、現在欲している専門性がいっさい必要とされない環境になったらどうするのだろうか?
公認会計士と弁護士の資格を所有し、M&A業務を熟知した彼にかなうものは、現在もその会社には存在しない。
彼が何をしたかおわかりだろうか?
公認会計士と弁護士の資格を所有している人は他にもいることだろう。
しかし、彼の本当の目的は二つの資格を所有することではなかった。
それは「完全な戦略」を実証することにあったのだ。
会社で最も望まれている未来の状態に気付き、そのポジションに行き着くために彼は戦略を変え、実行した。
彼は若干29歳だ。
彼ほど戦略的で実行力のある若手社員は滅多にいないだろう。
彼のように自分に適した明確な戦略と行動力があれば億単位の給料を獲得することは十分可能だろう。
また、会社を飛び出してその道を極めていくのもいいかも知れない。
しかし、それが早期断定によるものだとしたら、それはいただけない考え方だ。
無自覚のまま、この自己啓発パターンに陥っている、たくさんの若者がいるということをもう一度付け加えておきたい。
苦戦する人の明確な共通点
仕事や人生でつまずいている人の状態を観察してみると、明確な共通点が浮かび上がってくる。
それは、現在のポテンシャルを生かしきれていないのに、さらに新たなポテンシャルをどんどん増やしてしまっている、というところだ。
- お腹がいっぱいで消化しきれないでいるところに、さらにデザートを放り込もうとしている。
- ある程度の過剰摂取であれば消化してくれるが、度が過ぎると肥満というカタチで外見に訴えてくる。
このように物理的に表れてくれるものであれば、発見しやすいから対処は容易だ。
しかし、これがマインドセット(思考)となると、ちょっとばかり厄介だ。
ということで、今回はマインドセットの改善を試みた時に、もっとも陥りやすい自己啓発の誤ったカタチを紹介しよう。
願望を追求し過ぎている
「あれも、これも」と、とにかく目新しいものにすぐ飛びつく自己啓発パターンだ。
- 西に儲かるグッヅがあれば買い求める。
- 東でセミナーがあると聞けばためらわず参加する。
- 南で読書会があると聞けば顔を出す。
- 西で最新機種が発売されたと聞けば直ぐに飛びつく。
- 新刊が出れば目的もなく本を買い。
- TV番組やCMに絡め取られて、直ぐにネット・サーフィンをし始める。
これらの情報やグッヅは「ポテンシャル(潜在的な能力、可能性)」を決めるものだが、成功の決定要因ではない。
もし現在のポテンシャルを完全に生かしきれていない状態で、さらにポテンシャルを増やすのは破壊行為に等しい。
不動のポテンシャルにさらにポテンシャルを上乗せしようとすれば、そこから生み出されるものは成功ではなく混乱と苦痛だ。
こうした悪習を断ち切るのは容易ではない。
その慣習がコンフォートゾーン(安心・安定)になってしまっているからだ。
彼女のような積極的な試みそのものを批判するつもりはない。
何も始めない人よりもずっとライブ感を感じていられるだろう。
しかし、注意してほしいことがある。
それは、結果的に破産する可能性が非常に高いということだ。
現に彼女は、子どもの進学費用が賄えない可能性があるということで私を訪ねてきた。
子どもを海外に留学させるどころか、進学すら危うい状態、これでは本末転倒である。
人生で苦い経験をしたり、ビジネスである程度成果をものにしてきた人であれば、こうしたプロセスには陥らないだろう。
- 知識だけではビジネスにならない、短期集中しなければ儲からない、ということを知っているから。
- 1つのプロジェクトを終えてから次のプロジェクトを始めた方が、はるかに効率的であることを知っているから。
専門用語を知って、それを並べ立てて通用するのは教室の中だけであって、現実のビジネスの世界では通用しない。
その詰め込みすぎた知識によって思考が空回りをしているのなら、なおさらのことだ。
「下手の考え休むに似たり」思考が堂々巡りしていたのでは、時間とエネルギーを無駄に消費するだけだ。
自分の特性をみいだし、その特性をビジネスの構造の中で適応させていくことなくして、ビジネスで成功することはないだろう。
無闇矢鱈とチャンスを追求するのではなく、今の自分の所有しているポテンシャルを生かしてほしい。
現時点でポテンシャルの多すぎる人は、「やらないこと」を先に決めてほしい。
パラノイア思考パターン
パラノイアとは 、ある妄想を始終持ち続ける精神病のことだが、ここではただ妄想と解釈してほしい。
具体的には他人の成功を自分の行動にオーバーラップさせてしまう自己啓発パターンだ。
他人の成功を聞いて、単純に自分もそうなれると錯覚をしてしまうのである。
それは、ヒーローへのあこがれから始まり、のめり込み、やがて自分化させるという順序で行われる。
例えば、、、
子供の頃、セーラームーンや仮面ライダーなど、TVに登場するヒーロになったことのある人は多いだろう。
その状態が大人になった自分に起こると想像してもらうといい。
実にそのような状態になっている人が多いことには驚かされる。
しかも、自分がそうであることを自覚できないでいる。
ビジネスの世界で言えば、スティーブ・ジョブズなどが該当するだろう。
「世界を変える」と平気で口にする若手もいる。
私たちの身の回りには、人生やビジネスのヒーローに関する情報が発進され、あちこちでセミナーや講演会などで紹介されている。
それらの情報は、わかりやすいストーリーに乗せられ、インパクトのある言葉によって飾られ、とても刺激的である場合が多い。
しかし、残念ながらそこに彼らがビジネスで成功する方法は書かれていない。
彼らとジョブスは違うからだ。
さいごに
もちろん、憧れを抱く気持ちはよくわかるし、それがある程度の範疇で収まっている分には何も問題ないだろう。
しかし、何度も読み返し、刷り込み、強く念じたところでジョブズになれるわけでもない。
なぜならば、そこに描かれているのは偶像であって、事実の中の一部分をフレーミングしたり、フォーカシングしたものに過ぎないからだ。
捏造されたものを目を皿のようにして何度も読んだところで成果にはつながらないだろう。
彼らが目にし、耳にしているのは、ジョブズの思考や行動そのものではないからだ。
したがって、彼らが置かれている現実と、捏造された物語が一致することはない。
彼らは、「スターウオーズ」や「美女と野獣の物語」と変わらないストーリーに触れているに過ぎない。
こうしたことは、ライフデザインに携わっている現場では頻繁に起こることだ。
逆に、彼らが置かれている現実と設計図がマッチした瞬間、驚異的なエネルギー(成果)が生まれるのを何度となく体験してきた。
ではまた。