なぜそれを重要だと思いたいのか?
別な言い方をすれば、「重要事項を括弧でくくって一旦外に出して俯瞰してみる」といったところでしょうか。
こうした試みは、自己成長モデルやアプローチ手法など、何が本当に役立つのかを検討するのに非常に役立ちます。
ビジネスやご自身の成長について、正しい方法によって行っているか?
それらを考える機会にしてください。
途中いくつかの話しが交差する場面もあると思いますが、それはいくつもの思考法を共有するためだと解釈してほしい。
そして、話をつなげる訓練になると思っていただけたら幸いです。
すべてに共感していただく必要はありません。
これから共有するいくつかの事柄を取り入れるかどうかは、ご自身の感性で判断してください。
ですから、私の感性を用いて話を繋げることも避けたいと思っています。
まず、ティッピング・ポイント―いかにして「小さな変化」が「大きな変化」を生み出すか」というマルコム・グラッドウェル(著)、高橋 啓
の本の中に出てくる考え方を共有したいと思います。
「研究者のダーリーとバトソンは1973年、セミナー研究生たちと新約聖書の「善きサマリヤ人のたとえ」について論じました。
セミナー受講生はそれぞれ、聖書の主題に関してちょっとした話を準備して、決められた時間に近くの建物へ行き、それを発表するように言われました。
研究者は、セミナー生のうち半数に対して「急がないと発表に遅れますよ」と伝えました。
そして、近くの建物に向かう途中に、うつ伏せになってうめく男性を配しました。
受講生が立ち止まってその男性を助けるかどうかが見たかったのです。実験の結果ですが、「善きサマリヤ人のたとえ」の話を聞いた後にもかかわらず、急がないと遅れると思った受講生のうち、足を止めて助けた人はわずか10%でした。
予定された発表時間にはまだ余裕があると思っていた受講生では、63パーセントの人が足を止めて助けました。
この実験結果から言えることは、自分が認識していることはそれほど重要ではなく、言葉によって創り出されたシュチエーションに大きく影響されるということです。
「遅刻しますよ」という言葉によって、それまで学んだはずの良識というものが薄まったり、あるいは全くなくなったりしてしまうわけです。
それが人の本質だと云えばそれまでですが、どんな人間でもいつもとは違った行動をとってしまうということです。
つまり、「遅れている」という言葉によって創り出されたシュチエーションによって、手を差し伸べないという行動が決定されたわけです。
言葉がシュチエーションを創り出し、神学校の生徒に無慈悲な行動をさせてしまったのです。
どういうことかというと、あなたが何かに苦戦していたり、苛立っていたりするその背景には、あなたが思っている以上にこうしたロジックが大きく影響していて、あなたの成長を妨げているということです。
その言葉の影響力について「第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい 。沢田 博 (翻訳), 阿部 尚美 (翻訳)」という彼の本に「言語が情報を書き換える」という章があります。
その中で彼は、言語による情報の書き換えは、もつと広範な問題解決のプロセスにも影響を及ぼす。
と言っています。
その例として次のようなシュチュエーションが提示されています。
「ある男性と彼の息子がひどい交通事故に巻き込まれた。父親は亡くなり、息子は救急治療室に運び込まれた。病院に着くなり、治療に当たった医者はその子を見て息を飲んだ。「うちの子だ―」。さてこの医者は誰か。」
答えは母親なんですが、すぐに正答できなかった人は多いと思う。
男性と彼の息子が・・・という言葉によって、既にその後の全てのイメージが支配されてしまったのではないでしょうか。
これは、一般的な解釈として医者=男という類似性を多くの人が持っているからです。
このように私たちは、既にその言葉から想起するイメージがある程度固定されているのです。
その固定概念を変えられた瞬間に物事の本質が見えてきます。
もちろん、それも言葉の使い方によって起こせるのです。
そのことについて、ここでじっくりと考えてみてください。
次に共有したい考えは、ある本からのものです。
つづく・・・