『自分』は矢印にすぎない──個性と“やりたいこと探し”から自由になる視点

「自分」というラベルに振り回されすぎていないか

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※ 医療的診断ではありません。セルフケアの参考情報としてご活用ください。

ここ数十年、日本の社会では「自分」という言葉が、これまでになく強く押し出されるようになりました。
「自分らしさを大切に」「個性を発揮して」「独創性こそ価値」というメッセージが、学校でも職場でも、当たり前のように語られています。

もちろん、その背景には戦後の価値観の変化や、欧米からの影響があります。
ただ、その結果として、「自分とは何か」「自分らしさとは何か」を過剰に意識せざるを得ない窮屈さも、同時に生まれてしまいました。

養老孟司さんの『自分の壁』には、「『自分』なんてものは、地図に描かれた矢印にすぎない」という趣旨の言葉が出てきます。
この「矢印」という比喩は、とても示唆に富んだ視点だと思います。

個性は「作るもの」ではなく、にじみ出るもの

ビジネスの世界では、競争優位性を打ち出すために「オンリーワン」「差別化」「独自性」といったキーワードが重視されます。
企業が生き残るために、自社の特徴を打ち出すこと自体は、ある意味で合理的です。

ただ、そのロジックをそのまま個人の営みに持ち込んでしまうと、話はややこしくなります。

「いかに人と違うか」「どれだけ個性的か」という軸で自分を測り始めると、

  • 常に「もっと目立たなければ」「もっと変わっていなければ」と焦る
  • 人との違いばかりに意識が向き、共通点やつながりを感じにくくなる
  • 周囲との関係よりも、「自分の色」を守ることにエネルギーを取られてしまう

といった、ちぐはぐな状態に陥りがちです。

けれど本来、個性とは「つくるもの」ではなく、放っておいてもにじみ出てしまうものです。
極端に言えば、どれだけ「普通であろう」としても、勝手に出てしまう癖や好み、価値観の違いこそが、その人の個性です。

だからこそ、人生の軸にすべきなのは、
「人とどれだけ違うか」ではなく、「人とどこが同じかを見つけていくこと」なのだと思います。

共通点を探そうとするほど、私たちは世間に受け入れられやすくなり、人から愛されやすくなります。
ビジネスにおいても、「多くの人が共感できるポイントに、どう自分なりの視点を重ねるか」が収益を生む土台になります。

「やりたいこと探し症候群」が苦しさを生むわけ

ここ数十年で、もうひとつ広がったのが「やりたいこと探し」です。

「本当にやりたいことを仕事にしよう」「好きなことを仕事に」というメッセージが浸透する一方で、

  • やりたいことが見つからない自分はダメだ
  • 今やっている仕事は「本当にやりたいこと」ではない
  • いつかどこかに、もっとふさわしい場所があるはずだ

という感覚に悩む人も増えています。

しかし、皮肉なことに、「やりたいこと探し」を続けている人ほど、仕事も人生も充実しにくいという現象が起きがちです。

現状が物足りないから、必死に「別の何か」を探す。
けれど、不釣り合いな願望ばかりが膨らんでいくと、今いる場所とのギャップは広がる一方です。

その結果、

  • 地に足がつかない印象を与えてしまう
  • 具体的な行動よりも、「理想のイメージ」のほうが大きくなってしまう
  • 周囲からも、「何をしたいのかよく分からない人」と見られてしまう

という、本人も望んでいなかった状態になりやすいのです。

まずは「やりたくないこと」をはっきりさせる

もし今、あなたが「やりたいことが分からない」と悩んでいるなら、
発想を少し変えて、次の問いから始めてみるのも一つの方法です。

  • 自分の人生において、「これはやりたくない」と思うことは何か
  • 「これだけは続けたくない」と感じる働き方や人間関係は何か
  • 「こういう状態で生きていたくない」というイメージはどんなものか

「やりたくないこと」「望まないこと」を言葉にしていくと、自分の輪郭が少しずつ浮かび上がってきます。
それを取り除いたあとに残ったものを、世間との折り合いをつけながらやっていく。
実はそれだけでも、人生は少しずつ確かな方向に動き始めます。

さらに次の段階としては、

  • 「やりたくないけれど、やらざるを得ないこと」に、丁寧に向き合ってみる
  • それをこなすなかで、自分の中にどんな変化や感覚のズレが生まれてくるかを観察する

というプロセスがあります。

やりたくないけれど、やらなければならないこと。
そこに一定期間しっかり取り組むと、「避けていた領域」が少しずつ自分の一部になっていく感覚が育ちます。
その変化が、「人生の重み」や「信頼される存在感」にもつながっていきます。

「自分は矢印にすぎない」という視点を持つ

養老さんは、「自分とは、地図の中に描かれた矢印みたいなものだ」と言います。
これは、PFDで扱っている「自分軸」の考え方とも重なる部分があります。

地図の矢印は、

  • 「自分」が世界の中心だと言っているわけではない
  • ただ「いま自分がどこにいるのか」を示しているにすぎない
  • 周囲の地形や道、風景と一体になって初めて意味を持つ

私たちが使っている「自分」という言葉も、本来はそれくらいの位置づけでよいのかもしれません。

「自分を立てなければ」「自分らしさを証明しなければ」と力が入りすぎると、
かえって世界との接点を見失い、孤立感や生きづらさが強くなってしまいます。

いっぽうで、

  • 自分は、たくさんの人や環境のなかに置かれた「矢印」に過ぎない
  • 個性は、放っておいてもにじみ出てしまうもの
  • 大切なのは、人と違うところよりも、「どこが同じか」を探すこと

といった視点を持てると、「自分」という言葉にかかっていた重さが、少しずつ軽くなっていきます。

「自分」というラベルを守ることよりも、「いま、どんな世界のなかで、どんな矢印として立っているのか」に関心を向けてみる。
その小さなシフトこそが、PFDが大切にしている「感性と自分軸の再設計」の入口になるのだと思います。

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