
40代の心臓病患者で20代の時に何らかしらの徴候を表していなかった人はほとんどないらしい。
アレルギー、慢性肥満、高コレステロール、胃潰瘍などの傾向が幼少期に既に見られるのかもしれない。
その頃にその徴候がつかめたとしたら、治療や予防が容易になるだろう。
だから、体質特有の強さや弱さがわかると、病気が表面化するずっと前から予防することが可能になる。
個別的な予防が早期から可能になる。
どの病気にもかかりやすいという平均的な人は、どこにもいない。
しかし、多くの人は、あれもこれも予防したいという欲求に絡め取られている。
がんを始めとして、心臓疾患、脳疾患、あるいは骨粗鬆症など、さまざまな病気が恐怖の対象となってしまっている。
自分の資質を知ることなく、あらゆる病気に対処しようとすることは、的を見ないで矢を射るようなものだ。
これは経済的な負担も大きい。
大量の健康食品や機材、その他健康に関するあらゆるものを仕入れたがるからだ。
私の父がそうだったように。。。
しかし、父は5回切腹させられた後、最終的には末期がんで72歳の若さで他界した。
例えば、私は子供の頃から鼻炎で悩まされていたが、インフルエンザになったことが一度もない。
花粉症の徴候もいまのところはまったくない。
そのかわりと言っては何だが、42歳を過ぎるまで友人にしか明かせなかった特有の症状を抱えていた。
4,000人以上の人と面談したが、私と同じ症状の人は一人もいなかった。
がん、心臓疾患、脳疾患、骨粗鬆症、糖尿病も一人ひとり個別に起こるのであって、全員に起こるわけではない。
予防もそれと同じように、個別的であって初めて有効になるのではないだろうか。
的確な治療が可能になる
精神が安定していない人には精神安定剤を、胃潰瘍の人には制酸剤をといった処方箋は、個々のユニークさを完全に無視していることにもなる。
病気はどの人にも同じように表れるわけではない。
しかし、そういう前提から考えられているとしか思えない。
そのような前提は、もちろんナンセンスだ。
例えば、今ここに不安を感じている3人の人がいると仮定した場合、その3人が同じようなレベルのストレスを感じているとは考え難い。
だから、3人とも胃潰瘍だとしても、その原因となっている食事の内容やストレスといったものは三者三様だ。
つまり、この3人は、胃潰瘍という言語の異なった病気になっていることになる。
そして、これはあらゆる病名に言えることだと思う。。
胃潰瘍というその固定点(病名)による共通認識によって、個々の体質が覆い隠されてしまうわけだ。
どんな病気の場合でもその人の体質がベースにあって然るべきだ。
大雑把すぎて呆れ果てる。
自分の体質を知るということは、自分自身を理解する上でも不可欠なことだ。
自分の内部で実際何が起こっているかを知る。
それは、何を成し、何を言い、何を考え、何を感じるべきかという束縛から脱出する手段にもなる。
彼らの理論を知る。
それは、私たちが個人の特異性として、普段ないがしろにしている事柄の本当の意味がわる切っ掛けにもなる。
例えば、、朝食時のバイキングには、必ずと言っていいほど、オレンジジュースが置いてあるが私は手に取らない。
オレンジジュースが原因で、急性の胃潰瘍になったことがあるからだ。
私以外にも、オレンジジュースで胸焼けがしたり、胃潰瘍になったりする人を数名知っている。
オレンジジュースの酸性が体質に合っていないからだ。
コヒーは一日4~6杯飲んでも平気だが、カフェラテを2杯飲むと気持ち悪くなったり、頭痛が起こる人もいる。
私もそうだが、友人の一人も同じ症状になる。
一杯のコーヒー、冷たい隙間風、上司の小言、配偶者の態度、天気などに体が反応するとき、私たちの体質が私たちに信号を送っているのだ。
その信号は個々に異なっていて、その波長を捉えることができるのは自分自身だけだ。
だから、それらの信号を意識できるように訓練していくと、振る舞い、知覚、味覚、才能、あるいは他人への関心など、実にさまざまな事柄がその信号に影響されていることに気づけるようになる。
では、その心理・生理的な体質は、いったいどこからきているのだろうか?
そのことについては次回観てみることにしよう。
それではまた。