
「投資」という言葉から受けるイメージは人それぞれだと思います。
あなたは「投資」にどのようなイメージをお持ちでしょうか。
「危ない」というイメージをお持ちの方は少なくありません。
ビジネスや株式に投資するのは危険だと思いながらも、パチンコ、競馬、競輪などのギャンブルにお金をつぎ込んでいる人もいます。
こと子どもの教育投資に至っては、何の疑いもなく当たり前のように、たくさんのお金が投下され続けています。
時には、考えられないほど莫大な金額を投入しているケースも見受けられます。
ということで、今日は教育投資について考えてみたいと思います。
教育投資の勝敗?
私たちは、消費することには慣れていても、自ら積極的に何かに投資することには慣れていません。
誰もが行っているような行為に対して、お金を払うことは平気だけど、不確実性の高い対象にお金を払うことには抵抗があります。
認知バイアスのところでも紹介しましたが、いかなる時も利益よりも損失を避けたいという気持ちの方が優先するからです。
では、子どもの教育に関してはどうでしょうか?
塾に通わせたり、大学に進学させたりといった行為も投資に他なりません。
不確実性の非常に高い子供の将来に、何かしらの期待を抱き、そこにお金を前もって投入する。
これはもう投資以外何者でもありません。
教育にお金と労力を投資したからといって、それが必ずしも開花するわけではありません。
世の中を見回してみればいくらでも事例はあります。
高い教育費を投入して高度な教育課程を終えても、まともに働きもしないで親のスネばかりかじっているパラサイト・シングルの存在。
働いて得たお金をすべてギャンブルにつぎ込み、借金まみれになって家族を不幸に追いやっている人。
犯罪を犯して世の中を騒がせてしまう人。
などなど枚挙に暇(いとま)がありません。
一方、まともな義務教育を受けてなくても、ビジネスやその他のことで成功している人もたくさんいます。
学歴がなくても立派な方はいらっしゃいます。
積極的に投資を試みている人の方が、仕事やビジネス、あるいは他のことでもうまくいっている。
これも事実です。
教育に莫大なお金を使う理由
将来その人がどうのような人になるのか、教育開始時点ではわかりません。
生きていくために必ずしも教育投資が必要なわけでもありませんが、教育費は数千万円、場合によっては6,000万円を軽くこえることさえあります。
非常に莫大なお金が、何のためらいもなく当たり前のように使われています。
その資金を準備するために親は一生懸命働いています。
ところが、他の投資に目を向けてみるとほとんど行われていません。
教育投資で目一杯で、他に回す資金が捻出できないというのも一つの要因でしょう。
人生が変わるかもしれない、ビジネスやその他の事に1円も投資できてない人がほとんどです。
一方、将来どうなるかわからない不確実性の非常に高い子どもの教育には、莫大なお金を投入し続けているわけです。
義務教育や大学進学を否定しているわけではありません。
そうではなく、なぜそのような状況になるのか?
投資を危険視しているにも関わらず、教育に莫大なお金を投資し続けられるのはなぜか?
なぜ皆、疑いもなく投資し続けているのか?
社会的証明の原理!?
実は、人は事実ではなく、他人の行動を基準にして物事を決定する傾向が強いのです。
例えば、お客さんが並んでいるラーメン屋を見た瞬間に「このお店のラーメンは美味しいに違いない」と勝手に思い込んでしまうのです。
人気のある塾があると「自分の子もその塾に通わせれば、勉強ができるようになる」と思い込んでしまうのです。
このように、他の人につられて行動してしまう特性を社会的証明の原理といいます。
同じ行動を取る人が多ければ多いほど、その力は強大になります。
特に自分と同じような境遇や環境下にある人に、意味もなく共鳴してしまうのです。
同郷出身者だとなんとなく身近に感じ、それだけでいい人だと思ってしまう、といったぐあいにです。
ではなぜ人は他人と同じ行動をしたがるのでしょうか。
自分自身でちゃんと考えないで、他人と同じ行動を取ろうとしてしまうのでしょうか?
「自分の子も◯◯ちゃんと同じように勉強ができるようになる」と勝手に思い込んでしまうのでしょうか。
ショートカット欲求!?
人間には、考えることに極力エネルギーを割きたくないという傾向があるからです。
できれば考えたくない、いちいち考えるのは面倒、それが思考の根底にあるからです。
ですから、思考をショートカットできる方法があると自動的に反応してしまうのです。
つまり、人間は自由に何かを考えているようでいて、実は機械的に反応してしまうという側面があるということです。
考えるよりも早く、思考の近道に沿って行動してしまうのです。
例えば、「高額なもの=良い品」「先生=偉い」といった具合にです。
有名な塾に入れたり、高名な先生の授業を受けられるとなると、その実力以上に高く評価してしまう習性があるのです。
でも実際はそんなことないですよね。
さらに授業料が高いと、そのことに拍車がかかります。
「有名(社会的証明)+偉い+良い品」という仕組みが、実力以上に凄いと思わせてしまうのです。
ここに専門性が加わると、また更にパワーアップします。
「専門家=間違いない」という類似性が追加されるからです。
便利なものほど要注意!
つまり、「有名(社会的証明)+偉い+良い品+間違いない」ということになります。
情報過多でスピード化が加速している中で、その類似性に絡め取られる傾向がさらに強まっているようです。
処理しなければならない問題が多ければ多いほど、思考ショートカット機能が敏感に作動してしまうからです。
有名な塾に入塾できただけで、本当に勉強ができるようになるのでしょうか?
先生と呼ばれる人たちは、本当に偉い人たちなのでしょうか?
高額なものは良い品の証明になるのでしょうか?
専門家は間違えを犯さないのでしょうか?
冷静になって考えてみれば、必ずしもそうでないことがわかります。
しかし、実際には考えるより先に自動的に行動しています。
そのシュチュエーションによっては便利な機能ですが、ほとんどの場合その使い方を間違えています。
さいごに・・・
類似性が、私たちの本能を刺激してショートカット機能が自動的に作動してしまう。
処理しなければならない課題が増えれば増えるほど、それを意識的にコントロールすることが難しくなる。
したがって、現代のような情報社会においては、誤作動するリスクが高まります。
「思考ショートカット機能」次第で、将来が大きく変わるわけですからこれは大問題です。
私たちが正しい選択をするためには「思考ショートカット機能」のクオリティーを早急に向上させる必要があります。
詰め込み式の教育が問題視される中にあって、さらに新たな多くの教材(知識)が教育の現場に投下され続けています。
例えば、世界中の科学雑誌を集めると40万部をこえるそうです。
そして、その一つ一つに新たな見解が掲載され続けています。
それが教育の現場に降りてくるのは時間の問題であり、火を見るより明らかでしょう。