私たちは「言葉」の世界、つまり「事実ではないが事実と解釈している世界」に生きています。
しかしながら、多くの人はこのことを理解していません。
それを教えられる人が少ない、という環境の問題もありますが、それを知られると困る人たちが邪魔をしているので、そうした考え方がなかなか広まらないという事情も絡んでいます。
そもそも言葉というものは、不安定なものであり、それが私たちの考え方や認識にさまざまに影響しています。
例えば、優や善といった言葉です。
これらを言葉にした瞬間に、その言葉そのものと、その言葉で表されていないものに分かれます。
これも、言葉の構造の一つです。
優という言葉を使った瞬間に対立するもう一方の言葉「劣」という言葉が脳裏に浮かぶ人は多いでしょう。
自覚のないままこの2つを相対して、自分の思考を安定させようとするからです。
思考は、本来であれば何も存在していない世界に無理やり固定点を創り、そこに錨を下ろして安定させようとします。
そういうプロセスが得意なのです。
例えば、先人が作り上げたルールを愛するのもその一つです。
「人は矛盾を乗り越えて成長する」これはヘーゲルの弁証法という考え方です。
安定には、必ず否定が現れるから、その問題を解決して、さらなる安定を目指すことができる、とするルールです。
つまり、既にこうしたルールがあるからこそ、次から次へと虚の世界観が誕生し、余計な苦労をわざわざ背負うことになるのです。
では、こうした過程で生み出される幻想に騙されないためには、どうすればいいでしょうか。
つまり、言葉とどのように向き合えばいいのでしょうか?
大切なことは「その言葉が何を言っているか」ではなく、「その言葉が何を言っていないか」という視点で考えることです。
言葉そのものではなく、その「裏側」にあるもの、つまり、その言葉と対立しているもう一方に目を向けることです。
その視点に立てて、はじめて言葉の持つ不安定な構造から抜け出すことができます。
あるいは、これまで事実だと思い込まされていた認識を揺らがすことができるわけです。
つまり、これまでの忌まわしい世界観を脱構築することができるのです。
重要なことは「その言葉の意味」ではなく、「その言葉によつて隠されている部分」です。
ではまた。