
「事実」に見えているものは、本当に事実だろうか
私たちはふだん、「事実に即して行動している」と思いがちです。
しかし、少し丁寧に眺めてみると、どうやらそう単純ではありません。
実際には、私たちは自分の欲望や都合に応じて「事実」を決め直し、その捻じ曲げられた「自分にとっての事実」に沿って判断し、選択し、行動しています。
そこにあるのは、厳密な意味での客観的事実ではなく、
「自分が事実だと思いたい事物」だということです。
たとえば「りんご」という言葉を考えてみましょう。
りんごは客観的な事実そのもの、のように感じられますが、実際には「それがりんごでないといろいろと都合が悪い」ために、
私たちが「りんご」というラベルで特定しているにすぎません。
私たちは、自分が置かれた環境(事実世界)の中で、
自分の欲望が満たされないと感じたとき、事実のほうをねじ曲げ、自分に都合のよいかたちに置き換えることがあります。
ルサンチマンとは「事実を書き換える」心の動き
強者がつくったルールの中で、弱者が押さえつけられていると感じたとき。
私たちは、そのルールや強者そのものを憎み、現実から目をそらして、幻想の世界で価値の逆転を図ることで、心のバランスを保とうとします。
こうした、自分を弱めるねじ曲がった考え方を、ここでは「ルサンチマン」と呼びます。
具体的には、たとえば次のような形で現れます。
- 「お金を稼げていない自分」という事実をねじ曲げ、
「お金がすべてではない!」という言葉に置き換えて、心の安定を保とうとする。 - 「うまくいっていない今の自分」から逃れるために、
「これは本来の自分じゃない!だから、自分らしさを追求するんだ!」と語り直す。
このように、私たちはふだんの生活の中で、
気づかないうちにたくさんのルサンチマン的な態度や解釈を顕(あらわ)にしています。
あなた自身の「ルサンチマン」を言葉にしてみる
では、他にはどんなルサンチマン的な態度や解釈があるでしょうか。
日々の選択や行動を振り返りながら、
- これまで自分が口にしてきた言葉
- 心の中で何度も唱えてきたフレーズ
- 「本当は分かっているけれど、言い訳に近いかもしれない」と感じる思い
の中に、ルサンチマン的な要素がなかったか、静かに探ってみてください。
前回扱った「固定点」の話よりも、
このテーマのほうが、具体的な日常場面を思い浮かべやすいかもしれません。
大切なのは、そこで出てきた言葉や解釈を、
正しい/間違っていると裁かないことです。
それが言葉として綴られている以上、「これが絶対に正しい」「これは完全に誤りだ」と誰かが決めつけることはできません。
言葉とは、本来コミュニケーションのための道具であり、唯一の正解を確定させるための武器ではないからです。
だからこそ、まずは自信を持ってアウトプットしてみてください。
- 「これはもしかするとルサンチマンかもしれない」と感じる自分の言葉
- 事実を書き換えて心を守ろうとした瞬間
そうしたものを、一度言語化して外に出してみること。
耳慣れない題材を使ってアウトプットすることは、あなた自身の視野を広げ、自分の世界の構造を知るきっかけになります。
ぜひ一度、あなたの中のルサンチマンを探し出し、言葉にしてみてください。
ではまた。



