「障害だらけ」に見えた50代の彼が、自分の物語を組み替え始めた瞬間
このケースは、50歳を迎えた一人の男性との対話から始まります。部署異動、離婚、将来への不安──中年期に訪れがちな「ミッドライフクライシス」の只中で、彼は自分の人生を「障害だらけ」と感じていました。今振り返ると、このケースは 、コンサルの現場において後に大切にすることになる、「障害」をどう意味づけ直すかというテーマを、非常にわかりやすい形で示してくれていたように思います。

ケースの背景──部署異動と離婚が、「人生の終わり」に見えていた

彼は50歳を迎えたばかりの会社員でした。年齢的には、組織の中核として重要なポジションを任されてもおかしくない時期です。しかし、彼が最初に口にしたのは、こんな言葉でした。

「部署替えになったのは、自分に能力がないからだと思っています。」
「そろそろ解雇されるんじゃないかと、いつもどこかで覚悟しているんです。」

そこに追い打ちをかけるように、離婚という出来事も重なっていました。家庭も仕事も、同時に揺らぎ始めたように感じていたのでしょう。彼の頭の中では、

  • 部署異動 = 不要になった人材への“左遷”
  • 離婚 = 人生設計の失敗

というネガティブな解釈が、ほとんど自動的に再生されていました。その解釈が、そのまま「自分の価値」そのものを下げるような感覚につながっていたのです。

ミッドライフクライシス──病気ではなく、「物語が変わるタイミング」

中年期に差しかかる頃、心身にさまざまな変化が現れることがあります。体力の衰えを意識したり、これまでのキャリアの意味を問い直したり、「このままでいいのか」という漠然とした不安が強くなったり。

心理学の世界では、こうした現象を「ミッドライフクライシス(中年期の危機)」と呼ぶことがあります。しかし、これは病気ではありません。多くの場合、時間の経過とともに自然と落ち着いていくプロセスであり、「今までの物語から、次の物語へ移る途中のゆらぎ」と捉えることもできます。

むしろ、「何とかしなきゃ」と焦りすぎてしまうと、かえって自分を「病気」に見立ててしまうことがあります。極端な治療や安易なラベル付けに飛びつく前に、

「今、自分はどんな物語で自分の人生を説明しているのか」

を静かに見てみることのほうが、大きな意味を持つことも少なくありません。

ネガティブな言語化が、「本来の能力」を押し込めていた

彼との対話の中で見えてきたのは、「出来事」そのものよりも、その出来事に彼が与えている意味づけでした。

部署異動=「自分は能力がない」という証拠。
離婚=「自分には人間として何か欠陥がある」という証拠。

こうした言葉が、彼の口から繰り返し出てきました。事実として起きたのは「部署が変わった」「離婚した」という出来事にすぎません。しかし、彼はそれを「自分の価値を否定するストーリー」として語り続けることで、本来持っているはずの力を自分で抑え込んでしまっていたのです。

私から見れば、

  • 長年の現場経験からくる実務力
  • 部下や後輩への面倒見のよさ
  • 状況を俯瞰して捉えられる視点

といった強みが、すでにいくつも見えていました。それでも本人の中では、「自分はダメな人間だ」という物語があまりに強く、現実の強みを受け取る余地がほとんど残されていませんでした。

「障害」を問い直す──ゴールは、実は目の前にあった

そこで行ったのが、「障害」という言葉そのものを問い直す対話です。彼は当初、自分の人生の障害として、

  • 年齢(50歳という数字)
  • 部署異動という事実
  • 離婚しているという経歴

を挙げていました。そこで私は、こんな問いを投げかけていきました。

「あなたの今の障害は何ですか?」
「本当に取り除かなければならない障害は、どれですか?」
「そもそも、『障害』という言葉は、あなたにとって何を意味していますか?」

対話を深めていく中で、彼は次第に気づいていきます。

  • 「50歳」という年齢そのものが障害なのではなく、「50歳だからもうダメだ」という思い込みが障害だったこと。
  • 部署異動そのものが問題なのではなく、「左遷された」と勝手にラベルを貼っていた自分の解釈が苦しみを生んでいたこと。
  • 離婚経験が「欠陥の証拠」なのではなく、人の痛みに寄り添うための経験値になり得ること。

ここで重要なのは、「障害」そのものを消してしまうことではありません。むしろ、

「障害」の位置を、ゴールのほうへそっと移してしまう

という発想です。

たとえば、「50歳で体力が落ちてきたからこそ、自分の経験を次の世代に渡す役割にシフトしていく」。この見方に立てば、「年齢」は障害ではなく、新しいゴールの条件になります。同じ出来事も、意味づけが変わるだけで、まったく別の景色を見せ始めます。

「障害なんてもともとない」──自分がつくった物語だと気づくこと

セッションを重ねていくうちに、彼は次第にこう語るようになりました。

「結局、自分で『障害だ』と思い込んでいただけかもしれませんね。」

障害だと感じていたものの多くは、

  • 過去の経験から引っ張り出してきたイメージ
  • 誰かから言われた言葉を、自分の内側で繰り返してきたもの
  • 「こうでなければならない」という、自分で作ったルール

といった「物語の産物」に過ぎません。もちろん、現実には制約や条件は存在しますが、それを「障害」と読むか、「ゴールの条件」と読むかで、動き方は大きく変わります。

興味深いのは、人は「障害を感じていたとき」のほうが、むしろ充実感を覚えていることさえある、という点です。困難を乗り越えようとしている最中のほうが、生きている手応えを感じやすい。彼自身も、振り返ってみると、「大変だったけれど、あの時期があったから今がある」と感じ始めていました。

※上記はあくまでも一つの事例であり、絶対的な成果や効果を保証するものではありません。

あなたへの問いかけ──「楽しさ」か、「充実感」か、それともその先か

このケースは、一人の50代男性の物語ですが、その根底にあるテーマは、決して他人事ではありません。

もし今、あなた自身が

  • 年齢や経歴を「障害」のように感じてしまうことがある
  • 部署異動や役割の変化を、すべて「評価の低下」と結びつけてしまう
  • 過去の失敗経験を、何度も心の中で再生しては、自分を責めてしまう

そんな感覚を抱えているとしたら、一度こう問いかけてみてください。

「今、自分が障害だと思っているものを、そのままゴールの条件に置き換えるとしたら、どんな生き方が見えてくるだろうか。」

人生に「楽しさ」を求めるのか、「充実感」を求めるのか。それによって、生き方は大きく変わっていきます。ただ、どちらか一方を選ぶというよりも、

・ときに楽しさを味わいながら、
・ときに障害と向き合いながら、
・その両方を含んだ「自分なりの物語」を描いていくこと。

そのプロセスこそが、ミッドライフという時期に訪れる「問い」の本質なのかもしれません。

あなたが「障害」と呼んでいるものの奥にある本当のテーマを、言葉にしてみましょう。

もし、今の人生の物語を少しだけ組み替えてみたいと感じたときは、どうぞ一度ご相談ください。

暮らしの輪郭を、内側から描きなおす

すぐに“答え”を出すより、まずは“問い”を整える。
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