『分かりやすさ』だけを追いかけると、視野は狭くなる──類似性とアウトプットが意味を育てる

「分かりにくさ」に飛び込むとき、視野は静かに広がりはじめる

前回の「ルサンチマン」についてのアウトプットは、試してみていただけたでしょうか。

少し分かりにくいテーマにあえて挑戦し、自分の言葉でアウトプットしてみると、最初はモヤモヤしたとしても、やがて脳が刺激され、視野がじわじわと広がっていきます。
その背景には、言葉の「意味」が生まれるプロセスにおいて、「類似性」という要素が大きな役割を果たしている、という事情があります。

「分かりやすい」と感じるのは、単に“既知の再確認”にすぎない

私たちがある言葉に触れたとき、その意味は単に辞書的な定義から理解されるわけではありません。
多くの場合、

  • その言葉が使われている文脈(カタチ)
  • 過去に見聞きしてきた出来事や経験

とのあいだに「類似性」を見つけた瞬間、

「ああ、わかる」「それ、経験したことがある」

という感覚とともに、その言葉の意味が「自分のもの」になっていきます。

「分かりやすかったです。よく理解できました!」という感想が出てくるとき、
実際には、

  • 今まで自分が見聞きしてきた世界の“内側”に収まっている
  • 既存の経験の枠を確認しているに過ぎない

ということが少なくありません。

新しい知識を得たように感じながらも、実は「これまでの自分の世界」の延長線上をなぞっているだけ、ということがよくあるのです。

類似性の低いものに触れないと、視野は広がらない

したがって、

  • 自分の過去の学びや経験と類似性の高いもの
  • すぐに「わかる」と感じられるもの

だけを選んで読み続けていると、視野はなかなか広がりません
むしろ、「自分の世界観の補強」ばかりが進んでしまうリスクさえあります。

反対に、

  • これまでの自分の経験と類似性が低いもの
  • すぐには咀嚼できず、“分かりにくい”と感じるもの

に、あえて関心を向けられるようになると、少しずつ視野が押し広げられていきます。

「視野を広げたい」と願うなら、“分かりやすさ”の外側に、一歩踏み出す必要があるということです。

もちろん、最初から完全に理解する必要はありません。
分かりにくさに触れ、そこで生まれる違和感や引っかかりごと抱えたまま、自分なりに言葉にしてみる──。
その繰り返しが、結果的にあなたの認知の枠を少しずつ広げていきます。

「誰かの目に触れるアウトプット」が、学びを変えていく

とはいえ、自分の頭の中だけで考え続けたり、
アウトプットしても自分だけしか見ない場所にしまい込んでしまうと、学びの質はそこで頭打ちになりがちです。

視野を本当に広げたいのであれば、

  • アウトプットが、他者の目に触れるかたちになっているか
  • 誰かが読んだときにどう受け取るかを、少しだけ意識して書いているか

といった点も、大切な条件になってきます。

他者の視点に触れることで、

  • 自分が「分かりやすい」と感じていた枠組みの限界に気づく
  • 自分とは違う類似性のパターンに出会う

といった経験が積み重なり、結果として認識の地図が更新されていきます。

分かりにくいテーマに挑戦し、それを誰かに届くかたちでアウトプットしてみる。
その一歩は小さくても、長い目で見れば、あなたの視野を確実に広げていく力になります。

ではまた。

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