論理展開の構図が頭にないと相手の話が理解できなかったり、相手に自分の話をわかってもらえなかったりする。
話の道筋がバラけていると、想定外の事態に見舞われることさえある。
その道筋を整えてくれる2つの代表的な論理展開方法がある。
いわゆる演繹的論理展開と帰納的論理展開だ。
この2つの方法がうまく用いられているかどうかで、コミュニュケーションの良し悪しが決まる。
演繹的論理展開法とは、一般論や普遍的な前提から出発して、ある特定の結論に導く論理的推論の方法だ。
どちらかと云えば言い切った形の文脈になるだろう。
たとえば「人は必ず死ぬ」という出発点から入り、私も人だ!➾だから私も必ずいつかは死ぬ。
といった流れで必然的に結論に至る形式になる。
提示された大前提を認めるなら、その後の論理は絶対的に正しいという展開になるわけだ。
よく知られる三段論法は演繹的な論理展開の代表だ。
まず事実や普遍的なルールを述べ、それらに関連するデータなどを参照した後、そこから導き出されるだろう結論を示す形式だ。
このように演繹法は非常にわかりやすい論理展開方法であるが、前提が適切でない場合は誤った結論が導き出される。
一方、帰納的論理展開法は、いろいろな結果からある種の法則性を見つけ出す推論方法だ。
たとえば、研究や実験に基づき一つの仮説を設けるなどが該当する。
複数の観察や意見から共通性をみいだし結論に結びつけるという形式になる。
どちらかといえ「~だろう」といった推測の域を出ない言い方で終わる。
それだけに個人的な判断が介入しやすい。
また、この2つの論理展開方法を同時に用いた方が有効な場面もあるだる。
しかし、いずれの方法によっても、新たに普遍的な結果を導き出すことはできない。
事象には例外なく、反証可能性があるからだ。
たとえば、大昔は盲腸は切除するものだというのが常識だった。
しかし、今は非常識とされている。
医者の勧めもあって、私も4歳の時に盲腸を切除しているが、今となってはもう取り返しがつかない。
既に執刀医も病院も存在しないので訴えることもできないからだ。
このように新たな事実が確定すると、これまでの常識は覆される。
そしてもちろん、この結論も不確かなものでこの先どうなるかわからない。
また新たな事実が発見され、やっぱり盲腸は切除しておいた方がいい、ということになるかもしれない。
この世にあらかじめ決まった結果も結論も存在しないと思っていた方が賢明だろう。