
もし、IOS(インテグラル・オペレーティング・システム)が、さまざまな構成要素を関連付けられないとしたら、それは単なる「寄せ集め」にすぎないことになる。
また、その統合的モデルも同じ結果になることを意味している。
例えば、それぞれの国の文化の共通要素をみいだして、その中の重要な要素を指摘することと、それらの要素を結び付けているパターンを発見することは全く別の話だ。
もし、そうした結合パターンが発見できれば、統合的アプローチの大きな成果になる。
それを彼はAQALと呼んでいる。
結合パターンのアウトライン
彼が示すAQALとは、インテグラル思想の基本概念であり、4象限とレベルを合わせた概念だ。
※インテグラル思想の基本に関しては、「インテグラル理論入門」を参考にしてほしい。
つまり、今まで話してきたすべての構成要素を組み込んだものだ。
また、AQALは、IOSや「統合地図」の別名であると彼は言っている。
気づくことさえできれば、統合的モデルを構成する5つの要素はすべてがすぐにも人手可能だ。
それは象限についても同様だ。
代名詞
主要な言語には、 一人称、二人称、三人称といわれる代名詞がある。
例えば、私があなたに、私の所有物について話すとき、「私」は一人称、「あなた」は二人称、「所有物」は三人称だ。
また、私(一人称)とあなた(二人称)が話しているとき、その状態を「私たち」と表現する。
「私たち」は一人称複数形だが、あなた(二人称)と私(一人称)が意思疎通をはかっているときには、「私たち」に含まれる。
つまり、二人称は時として「あなた、私たち」「あなたがた、私たち」あるいは単に「私たち」を意味することもある。
だから、一人称、二人称、三人称を各々、「私」「私たち」「それ」というふうに簡約化することができる。
これは取るに足らないことに思えるかも知れないが重要だ。
でも恐らくほとんどの人は興味を示さないだろう。
美・善・真
そこで「私」「私たち」「それ」を「美」「善」「真」という言葉に置き換えてみよう。
そして、あらゆる瞬間に、一つの漏れもなく、自分自身の成長と発達のレベルにおいて、この3つの次元が伴っているとしたらどうだろうか。
IOSを試みることによって、自分自身の善、真、美のディメンション(次元)を、さらに深く発見していくことができるとしたら。。
美も、善も、真も、あらゆる主要な言語において、 一人称、二人称、三人称の別名なのである。
と彼は説く。
なぜ、「あらゆる主要な言語に見られる」と言えるのだろうか?
美も真も善も、すべて実在する現実的な次元に位置しているからだ。
三人称は、客観的な真理を指している。
だから、科学によって最もよく探索される。
二人称は、善を指す。
それは、あなたと私が、お互いをもてなす方法を指しているからだ。
誠実に、正直に、敬意を持ってお互いをもてなすこと、つまり、基本的な道徳意識を指している。
自己と自己表現を扱い、芸術、美学、見る者の目に宿る美、これは一人称だ。
こうして、「私」「私たち」「それ」という次元は、それぞれ芸術、倫理、科学を指していると解釈することができる。
別な言い方をすれば、自己、文化、自然を指し、さらに美、善、真を指す。
重要なポイントは、すべての事象はこれら3つの次元を持つということだ。
いかなる事象も個人的にどう感じ、どう見るかという視点から見ることができる。
あるいは、他の人たちがどう見るかという視点から見ることができる。
また、その事象を客観的事実として見ることもできるだろう。
この3つの次元、つまり三人称すべてを考慮に人れることが統合的な試みなのだ。
その試みによって、より包括的で効果的なアプローチは可能になる。
3つの内の1つでも無視してしまうと何かが壊れてしまう。
科学的な要因を無視して、芸術や倫理を考えても埒が明かない。
自己と文化と自然は、 一緒に解放されてはじめて用をなすものだ。
4象限(私、私たち、それ、それら)
象限は、「私」(個人の内面)、「それ」(個人の外面)、「私たち」(集団の内面)、「それら」(集団の外面)の4つだ。
また、この基本的な4つの視点は、いかなるシチュエーションにおいても可能だ。
個人と集団の内面と外面を示すともいえる。
個人の内面の象限
例えば、一人称(私)の象限は、個人の内面を示す。
この象限には、すべて主観的な一人称の言葉で表すことのできる事象がある。
具体的には、把握・被刺激性・感覚・知覚・衝動・情動・シンボル・概念・規則・形態・ヴィジョン・ロジックなどだ。
個人の外面の象限
個人を外側から見ると、すべて三人称を主語とする言語で語られる事象がある。
具体的には、原子・細胞・原核生物・真核生物・神経組織・神経管・爬虫類的感応・辺縁系・新皮質・複合新皮質・構造(機能1,2,3)だ。
この象限は特に物質やエネルギー、具体的な身体などの物質的構成要素を含み、客観的な三人称「それ」として言及される。
ここは、あなたやあなたの身体を外側から見て、客観的な「それ」の立場から語られた物質、エネルギー、物体の象限だ。
では、どちらの見方が正しいのだろうか?
答えは「どちらも」だ。
統合的なアプローチ視点から見ればどちらも正しい。
これらは同じ現象を、外側と内側から捉えているに過ぎない。
どちらかの事象を排除したり否定したりすると問題が起こる。
だから、4つの象限すべてを視野に入れることが「統合的アプローチの基本」になる。
集団の内面の象限
私たちの世界は、どこかに境界が有って、そこで断絶されるものではない。
「私」は、他のすべての「私」と関係がある。
つまり「私」は、多様な「私たち」の一員なのだ。
この「私たち」は、集団(共同体)の意識を表している。
具体的には、物質的・プレローマ的・原形質的・植物的・運動的・ウロボロス的・テュポーン的・古代的・呪術的・神話的・合理的・ケンタウロス的だ。
つまり、主観的ではなく客観的でもない。
間主観的な意識であり、最も広い意味で文化と呼べるものだ。
集団の外面の象限
次に外側から「私たち」は、どのように見えるだろう。
この象限は社会的次元、あるいは集団の外的形態や行動であり、三人称の科学によって探求される。
具体的には、銀貨系・惑星・ガイアシステム・有機的生態系・労働分業のある社会・家族・部族的だ。
別な見方をすれば、それは狩猟・採集的、農耕的、産業的、情報的だ。
このように4象限は、個人と集団の内側と外側を示す。
もし、あなたが統合的な視点を目指すのなら、すべての象限を視野に入れなければならない。
そして、今あなたは、統合的な要素をすべて結びつけることができる出発点にいる。
今、象限、レベル、ライン、状態、タイプを理解できる入り口にいるのだ。
レベルと段階
まずは、レベルや段階から、ゆっくりとはじめてみよう。
4つの象限は例外なく、成長、発達、進化のプロセスを示している。
4象限はいずれも何らかの発達の段階やレベルを示している。
それは、直線的なものではなく、流れるような波の中で進行していく。
自然界ではどこでも見られる現象だ。
種が大木になるように、成長と発達の段階を踏んでいる。
人間も同様に、個人の内面の象限では、自己中心的、自民族・集団中心的、世界中心的という発達段階、あるいは体、心、霊という発達段階を踏む。(体⇒心⇒霊)
個人の外面の象限では、感覚エネルギーを現象学的に表現すれば、グロス、サトル、コーザルという段階を踏む。(粗大⇒微細⇒元因)
集団の内面の象限では、「私たち」は、自己中心的、自民族・集団中心的、世界中心的に拡大する。(私⇒私たち⇒私たちすべて)
この意識の拡大によって、集団の外面の象限である社会システムは、単純な集団からグローバル・システムのような複雑なシステムヘと拡大する。(集団⇒国家⇒世界)
では、そろそろレベルからラインヘ移るとしよう。
ではまた。