
「三大言い訳」は、ただの弱さではなく“世界観”のあらわれ
私たちが無意識のうちによく使っている言葉に、いわゆる「三大言い訳」があります。
「お金がない」「時間がない」「自信がない」。
何かに取り組むことから静かに身を引くとき、私たちはとても自然に、この3つの言葉を口にします。
優秀なマーケッターやセールスのプロは、この「三大言い訳」を事前に潰しておくのが上手です。
マーケティングの教科書には、よく次のようなことが書かれています。
- 「三大言い訳」が出てこないように、あらかじめ設計しておくこと
- 三大言い訳を封じた状態でクロージングすること
たとえば、次のようなメッセージに集約されるでしょう。
「行動する際に『お金がない』『時間がない』『自信がない』という言葉を使う人は、自らチャンスを手放しています。」
これはこれで一理ありますが、ある程度視点の高い人に対しては、こうした言い方はあまり響きません。
その場合は、相手が持っている世界観に合わせつつも、より上位の概念に導いていく言葉づかいが必要になってきます。
「ルサンチマン」という上位概念で見てみる
そこで、私はしばしば「ルサンチマン」という言葉を使います。
とても雑に和訳するなら「弱者の逆恨み」といったニュアンスですが、ここで扱いたい意味合いはもう少し広いものです。
ルサンチマンとは、たとえば次のような思考プロセスを指します。
- 今起きていることから目をそらす
- 現実から逃避する
- 自分に都合のよい物語に事実を“翻訳し直す”
- その結果、従来の世界観の中で安心を取り戻そうとする
そして、三大言い訳は、このルサンチマン的なプロセスのごく一部が、日常語として表面に現れたものだと見ることができます。
だからこそ、相手に対しては、
「たった今あなたが下した判断は、ルサンチマン的な決断になっていないでしょうか?」
と問いかけるほうが、本質に届きやすい場合があります。
「お金がない」「時間がない」「自信がない」という個々の言い訳を責めるのではなく、その背後で起きている世界観レベルの動きに光を当てるわけです。
このとき、三大言い訳は、「ルサンチマン」という上位概念に包括される下位概念として位置づけられます。
相手がこの構造を理解した瞬間から、すでに一段高い階層の世界を共有し始めている、とも言えるでしょう。
そうなって初めて、メンターとメンティーの関係性が、静かに立ち上がってきます。
上位概念を「三大言い訳」に押し戻してしまうとき
では逆に、
「ルサンチマンを別の言い方をすれば、『お金がない』『時間がない』『自信がない』ということです」
と説明したらどうなるでしょうか。
これは、上位概念を下位概念へと押し戻してしまう言い換えです。
その過程で、どうしても抜け落ちてしまう要素が出てきます。
さらに問題なのは、
- 相手の世界観(下位概念)に全面的に同調してしまう
- 結果として、メンターとメンティーの階層差がなくなり、関係性が「横並び」に戻ってしまう
という点です。
一見、分かりやすく説明しているように見えて、実際には相手を低い階層に据え置くことに加担してしまうことになります。
人を自然なかたちで動かすのが上手な人は、例外なく「言葉の置き換え方」が絶妙です。
下位概念の世界に安住させるのではなく、相手が理解できる範囲を保ちながら、そっと上位概念へと引き上げていく。
そのバランス感覚を持っています。
安易な「分かりやすさ」が、かえって相手を停滞させる
下位概念から発せられる質問に、安易に答えすぎるとどうなるか。
その瞬間は「分かりやすくて親切」に見えても、長い目で見れば、相手を同じ階層に留め置くことになりかねません。
そもそも、階層の異なる世界の記述を、
「同じ地平の言葉」として扱おうとすること自体に無理がある場合があります。
たとえば、猫と犬を「動物」というカテゴリーにまとめることはできますが、低い階層の話(「うちの猫の性格」など)だけをもとに、
「動物とはこういうものだ」と語り始めれば、どこか不自然さが出てきます。
同じように、「ルサンチマン」という上位概念を、「お金がない」「時間がない」といった下位概念だけで説明しようとすると、
どうしてもこぼれ落ちるニュアンスが出てきます。
それを無視して、「まあ、そういうことです」とまとめてしまうと、世界の見え方はむしろ狭くなってしまうのです。
「分からないものを、分かるところまで引きずり下ろす」ときに起きていること
視点がまだ十分に高まっていない段階では、
上位概念の話を、何とか自分が理解できる世界に押し込めようとする動きが出てきます。
「ルサンチマンって難しいから、結局『お金がない・時間がない・自信がない』ってことでしょ?」
という具合に、上位の枠組みを下位概念に引きずり下ろしてしまうのです。
このとき、
- 事象を理論的に扱うよりも、感情のほうが優先されている
- 自分が理解できる枠組みに、世界のほうをねじ込もうとしている
という心理が働いています。
このプロセスの中にこそ、実はルサンチマン的な心理が垣間見える、と言えるかもしれません。
その結果、今起こっている事実が、感情によってどんどん“汚されて”いきます。
コーチングやコンサルティングの領域では、この状態を指して、
「事実との接触面が汚されていく」
と表現することがあります。
上位概念から冷静に眺める「俯瞰力」を持つということ
大切なのは、感情そのものを否定することではありません。
ただ、感情に絡め取られたまま判断してしまうと、事実との接触面はどうしても濁っていきます。
特に、コーチングやコンサルティングに携わる立場であれば、
- 相手の置かれている状況
- そこに働いている類似パターン
- 思考や感情のプロセス
を、なるべく上位概念のレベルから、冷静かつ客観的に眺める態度が求められます。
それは、ときに「冷たく」「批判的」に聞こえるかもしれません。
しかし、相手を本当に次の階層へと引き上げようとするなら、
安易な同調や、分かりやすさだけを優先した言い換えでは届かない領域があることも事実です。
「三大言い訳」を、ただの怠惰として責めるのではなく、
その背後にあるルサンチマン的な世界観に気づいてもらうこと。
そのうえで、上位概念の言葉を使いながら、相手が自分の行動を選び直せる地点まで一緒に歩いていくこと。
そのプロセスこそが、相手の変化をナチュラルなかたちで引き出し、
メンターとメンティーの双方にとって、意味ある成果につながっていくのだと思います。
ではまた。



