キャリアデザインについて
「キャリアデザインの80%は偶然のでき事によって決まる
」これは、スタンフォード大学のジョン・D・クルンボルツという教授が、多くの事例から導き出した結論。
キャリアデザインの80%が偶然に形成されるものだとすると、そのための努力のほとんどが無駄になってしまうのだろうか?
安心してほしい、決してそのようなことはならないからだ。
そもそも偶然とは何か?
辞書を引いてみると「何の因果関係もなく、予期しないことが起こること。」と定義してある。
では因果関係とはどういうことだろうか?
辞書ではこれを「二つ以上のものの間に原因と結果の関係があること。」としている。
つまり、「二つ以上のものの間に原因と結果の関係がなく、予期しないことが起こること。」ということになる。
簡略すれば想定外のことが起こること、ということだろうか。
そもそも、これらの因果関係を感じ取れるかどうかは、個々の感性によって異なるはずだ。
通常は感じ取れない領域を敏感な人は感じとれるからだ。
また、その人が本当に感性の鋭い人かどうかを見極めるのは容易ではない。
多くの人と直接対話を重ねた経験がないと尚更だろう。
実験や調査により帰納的に導き出した結果を理論化したものを鵜呑みにしてしまうのは、あまりにも危険だろう。
だから、その個人的に格差の著しい意識できない領域のことを偶然とか想定外という言葉で簡単に処理してしまうのは些か乱暴すぎると思う。
そのように簡単に処理されては、一歩を踏み出す勇気が削がれ、いつまでたっても改善も成長もできない人を増加させてしまう。
実は、ジョン・D・クルンボルツ教授もそのことを危惧しているのだ。
キャリアデザインとは何か?
キャリアデザインと聞いて、あなたはどのようなことを想い浮かべるだろうか?
専門的な分野や専門職、あるいは資格取得をイメージする人も多いことだろう。
言葉にはデノテーション(明示的意味)とコノテーション(暗示的意味)の2つるがあが、・・・・
Careerの意味を辞書で見てみると、「生涯、経歴、履歴、(特別な訓練を要する)職業、生涯の仕事、疾走
」となっている。
またDesignの方は、「下図を作る、デザインする、設計する、(…を)計画する、立案する、企てる、つもりである、(…を)予定する
」という具合に解釈されている。
Design∋人生設計
「Designの中には人生設計という意味もある」というようなPRを何処かで耳にした覚えもある。
キャリアデザインをあえて日本語の意味に置き換える必要もないだろう。
辞書の解釈などにとらわれず、どのようなことも、もっと自由に解釈したいものだ。
キャリアデザイン(career design)とは、他者に依存することなく、自らキャリアを形成していくための設計を自ら立案していくこと、というのが一般的な見解になるだろうか。
キャリアデザインの共通認識と類似性
またキャリアという言葉の響きをどう感じるかは個人によって異なるだろう。
言葉には一般的な共通認識と個人の類似性とが混同しているからだ。
つまり、あなたのキャリアと私のキャリアに対する解釈は異なるはずだ。
所有している能力ではなく、経験や体験などによって蓄積された類似性の話をしている。
このキャリアをデザインするという試みは、欧米に遥かに出遅れ、日本では平成に入ったころから重要視され始めたように思える。
私のビジネスキャリアは1980年からスタートしたが、そのころにはキャリアデザインという言葉すら存在していなかったように思う。
その背景には、近代以前の特徴である世襲社会という、個人がキャリアを自由に選択することが難しいような社会環境もあったという理屈も成り立つだろう。
また、終身雇用という制度によって、個人のキャリア形成の主導権を会社側が握っているという時代が長く続いたことも、その1つの要因だとする考えもあっていい。
だからといって、終身雇用制度そのものが「悪」だったとは言い切れないだろう。
終身雇用制度という中の一部の機能や人が、終身雇用制度を盾に個人のキャリア形成を抑圧してきたに過ぎないのだから。
キャリアデザインの意味が変わった
しかし、今やその終身雇用制度は姿を消し、代わりに派遣社員・契約社員などの形態をとりいれる企業も増え、雇用形態は多様化した。
一方で、正規雇用者に対して彼らが生活できるギリギリの賃金で雇用し、副業禁止という枷をはめて「ゆとりを生み出す道」を阻害している企業も中には見受けられる。
技術革新によって一瞬生産性が向上したような時期もあったが、グローバル化によって有利な企業とそうではない企業の格差が生まれ、生き残りをかけた戦いがそれぞれの市場において今日も展開されている。
そして、その格差は、今後ますます大きくなっていくことが予想される。
そうした社会全体の煽りを受け、産業構造や就業構造も変わることを余儀なくされてきたのだろう。
キャリアデザイン能力そのものが問われている
こうした世の中の流れによって、自分のキャリアを会社に委ねる時代は遠い昔に過ぎ去った。
自主的にキャリアを設計し、そして選択していくという、「キャリアをデザインする能力」そのものが個人に求められる時代になったのだ。
企業が世界を相手にしたサバイバルゲームの中で生き残るには、組織のクオリティーを高めるしかない。
したがって、できる限り個人の能力や人的資産を向上させておかなければ、その組織からはじき出されてしまうだろう。
また、各々のライフイベントやリスク度合いの違いによって、キャリアの選択は当然異なる。
例えば、今後、結婚や出産、マイホームの取得などの予定が控えている人と、そうでない人ではキャリアデザインが違ったものでなければ困る。
偶然のでき事によってキャリアの80%が形成される?
また、その設計が順調に推移していたとしても、会社の倒産や転勤などによって変更を強いられるケースもあるだろう。
そしてまた、大病や事故などの予期せぬでき事によって、待ったなしでキャリアデザインを変えなければならない状態に追い込まれることがあるかもしれない。
スタンフォード大学のジョン・D・クルンボルツ教授は、多くの事例からキャリア形成に関して次のような結論を導き出した。
「この変化が激しい時代には、キャリアは予期しない偶然のでき事によって、その80%が形成される
」と。
また、キャリア形成途上において、こうした不測の転機は「計画された偶然」であり、予定外のでき事は逆に「望ましいものである」
とも言っている。
この理論は、計画された偶発性理論( Planned Happenstance Theory)
と訳されている。
偶然を意図的・計画的な段階へと変える試み
だからといって、予期できないでき事が80%だから流れに身を任せるしかないという話ではない。
この理論において重要なことは、予期しないでき事をただ待つだけでなく、自ら想起できるように積極的に取り組み、意識を集中して、その偶然を意図的・計画的な段階へと変えていくべく努力するというところにある。
これを実践するための具体的な行動指針として彼は次の5つを示している。
- 「好奇心」⇒たえず新しい学習の機会を模索し続けること
- 「持続性」⇒失敗に屈せず、努力し続けること
- 「楽観性」⇒新しい機会は必ず実現する、可能になるとポジティブに考えること
- 「柔軟性」⇒こだわりを捨て、信念、概念、態度、行動を変えること
- 「冒険心」⇒ 結果が不確実でも、リスクを取って行動を起こすこと
つまり、上記の5つを怠れば、キャリアデザインの方程式は多くとも20%以下の部分にしか適応できない、ということになるだろう。
この提示をどう落とし込めばいいのか?
この5つの戒めらしき行動指針をご覧になって、あなたはどのように思い、どのように感じただろうか?
この5つの試みを常に考え、実践できる人間が果たしてこの世に存在するのだろうか?
もし、仮に存在するとしても、キャリアデザイン全体を編成できるような設計図(標準)をつくり上げるのは至難の技だろう。
なぜなら、現代のような攻撃的で混沌とした環境下では、標準そのものが固定されたものではなく、戯れの中に存在してしまうことになるからだ。
しかし、人知を越えた知恵と理論を所有することがあれば、それは可能になるかもしれない。
ではまた。