はじめに:エビデンスは“正義”なのか?――思考停止と権威依存の罠
現代の専門家は、しばしば「それにはエビデンスがあるのか?」から会話を始めます。理知的に見えるこの姿勢は、同時に
思考停止・権威依存・責任回避という落とし穴も孕みます。本章では、無意識に陥りがちな
「エビデンス主義の罠」3選を取り上げ、なぜ危ういのか、現場でどう乗り越えるのかを具体化します。
罠①:思考停止としての「エビデンス主義」――未踏領域を捨てない
「ある/ない」の二分で検討を打ち切ると、仮説生成・観察・直感・現場知が切り落とされ、
「論文に載っていないものは存在しない」という極端な認知に陥ります。
本来の専門性は「わからなさ」に踏みとどまり、仮説を置き、暫定的に試し、学び直す往復運動にあります。
- 現象→仮説→小さな実験→振り返りのマイクロサイクルを明記して回す
- 「現時点の最良証拠+現場観察+当事者の物語」の三点張りで判断する
- 結論の文末に前提条件と不確実性を明記(誰に/どこまで通用するか)
罠②:数値信仰と「平均的人間」の幻想――外的妥当性と個別化
統計の有意差は「群の傾向」を語る指標です。平均で有効でも、個人では無効・有害が混じり得ます。
それでも「エビデンス通りにやったのに」と対象側へ責任を転嫁してしまう――ここに
数値=正解の誤謬があります。
- 推奨介入にNNT/NNH(利益/害の頻度感)とサブグループ条件を添える
- 平均値だけでなく分布・ばらつき・外的妥当性を確認する
- 「適用/非適用/再評価」の分岐をプリセットし、ケース毎に個別化(テーラリング)する
罠③:「責任回避の盾」としてのエビデンス――免罪符化を防ぐ設計
「ガイドラインに沿った」「論文通り」は、万一の際の予防線として機能します。
しかし個別判断が要る場面でエビデンスを免罪符化すると、専門性は形式化します。
科学的態度とは、数値の背後にある文脈と当事者性を引き受ける営みです。
- 共有意思決定(SDM):選択肢・利害・価値観を可視化し、合意文面を残す
- ケースカンファ:異職種レビューでバイアスを減らし、判断の妥当性を確認
- 説明可能性の確保:判断理由・代替案・再評価時点を記録(説明責任の中身)
まとめ:エビデンスは「思考の出発点」――結論ではなく補助線
エビデンスは大切――ただし主語ではなく補助線です。専門家に問われるのは、
その補助線を使って何を読み取り、どこまで自分の責任で引き受けるか。
盲信でも相対化でもなく、問い続ける姿勢こそが「人を扱う知」を鍛えます。
よくある質問(FAQ)
- Q. エビデンスが乏しい領域では、どう判断すべき?
- A. 小規模実験と共有意思決定を組み合わせ、可逆性の高い介入から開始。再評価時点を先に決めて介入。
- Q. ガイドラインと現場が矛盾する場合は?
- A. 適用前提(対象・環境・資源)を点検し、外的妥当性の根拠を記録。逸脱時は代替根拠と合意内容を文書化。
- Q. 平均値の“効く/効かない”を個人に落とすコツは?
- A. ばらつき指標・サブグル群・リスク層別化で事前確率を調整。開始後は個人内ベースラインで効果検証。


