はじめに:「人を扱う」とは、単に知識を使うことではない
医療、教育、福祉、心理、金融…。人間を相手にする仕事のすべてにおいて、「人を扱う専門性」とは何かという問いが改めて問われています。ここでいう“扱う”とは、道具として操作するという意味ではなく、「関わる」「理解しようとする」「共に変化する」という意味を含みます。
しかし近年、「エビデンスさえあれば誰でも対応できる」という風潮が専門性の形骸化を招いているのです。
「正しい答え」がある前提で動く人たち
エビデンスに頼りきる専門家の多くは、「正解が外部に存在している」と信じています。臨床データ、ガイドライン、論文…。確かにそれらは重要ですが、それらを“機械的にあてはめる”だけなら、AIでも十分可能です。
本当の専門性とは、個々人の背景や心理状態を読み取り、エビデンスを文脈に応じて“翻訳”し、“調整”する力のことです。これは、知識を超えた実践的知性であり、「人に触れること」からしか獲得できないものです。
「状況に応じる知性」と「思いやりとしての知性」
認知科学や教育心理学では、人間の知性には少なくとも2種類あるとされています。それが「状況的知性(situated cognition)」と「感情的知性(emotional intelligence)」です。
状況的知性とは、「いま・ここ」の文脈を的確に読み取り、最適な判断を下す力。感情的知性とは、相手の状態を感受しながら、関係性を構築していく力。これらの知性こそ、「人を扱う専門性」の本質なのです。
「再現性」の幻想と、“一回性”の尊重
科学的知見の多くは「再現性」に基づいています。しかし、人間との関わりにおいては、「全く同じ状況」は二度と起こりません。つまり、専門性の核心とは「再現性がない状況」にどう向き合うかという態度にあります。
対人支援や教育の現場では、「たった一度の対話」「ある表情の揺らぎ」「沈黙の間」など、“再現できない何か”が大きな意味を持つことがあるのです。エビデンス重視の論理だけでは、その繊細な営みを捉えることはできません。
専門性とは「問い続けること」である
知識や資格は、専門性の入り口にすぎません。成熟した専門性とは、むしろ「自分の知識がどこまで通用するのか」「相手にとってそれは本当に役立つのか」と問い続ける力のことです。
そして問い続けるとは、相手の中に「自分の知らない世界」があることを認める謙虚さであり、常に“わからなさ”を前提に立つ姿勢のことです。こうした態度こそが、「人を扱う専門性」の核心にあるのではないでしょうか。