
老後プランの目覚め:38歳での気づきから始まった転機
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結果はPDFレポートで保存でき、日々のセルフケアのヒントもついてきます。
- Vata / Pitta / Kapha の割合を可視化
- 暮らしの整え方(食事・睡眠・運動)の要点
- そのまま PDF で保存・印刷 可能
※ 医療的診断ではありません。セルフケアの参考情報としてご活用ください。
38歳のとき、私ははじめて自分の老後収支を本格的にシミュレーションしてもらいました。
その紙には、数字だけが淡々と並んでいましたが、最後の一行だけは妙に太く、重たく、心に突き刺さりました。
「70歳で資金が枯渇する可能性あり」
頭では「まあ、そうだろうな」と思っていたはずなのに、具体的な数字として突きつけられた瞬間、身体の奥がスッと冷たくなったのを覚えています。
「老後はなんとかなるだろう」という、根拠のない楽観。
「そのうち考えればいい」という、見ないふりの習慣。
それらが、一枚の紙によってあっさりと崩れ去りました。
「このままでは足りない」と知った瞬間、何が起きるのか
シミュレーションでは、年金や貯蓄を前提としながらも、運用をせず、現状の支出を大きく変えなければ、70歳前後で資産が底をつくという結果が出ていました。
「年利3%で運用できれば、数字上は十分持ちますよ」
そう言われても、当時の私は投資も運用もほとんど知らず、その3%をどうやって現実に変えればいいのか、見当もつきませんでした。
数字が教えてくれたのは、「足りない」という事実だけではありません。
- 私は「老後」を、ほとんど自分の意思で設計してこなかったこと
- お金の話を、どこか“後回しにしていいテーマ”として扱ってきたこと
- そして、「なんとかなる」というあいまいな期待に、自分の未来を預けていたこと
この「見たくなかったもの」と向き合わざるを得なくなったことが、私にとっての最初の転機でした。
数字の裏側(リスク・感度・逆算)まで1画面で可視化。
未来の選択を「意味」から設計します。
- モンテカルロで枯渇確率と分位を把握
- 目標からの逆算(必要積立・許容支出)
- 自動所見で次の一手を提案
再起業という選択──「一生分のキャッシュフロー」という視点
そこから私は、ある決断をしました。
「もう一度、起業しよう」
もちろん、かっこいい決断だったわけではありません。
正直に言えば、「このままではまずい」という焦りが、そのままエネルギーになったようなものでした。
私が自分に課したテーマは、シンプルでした。
- 老後のための“貯金”ではなく、一生涯続く“お金の流れ”をつくること
- 「いつか終わるお金」ではなく、「生きているあいだ動き続けるキャッシュフロー」を設計すること
そこからの数年は、試行錯誤の連続です。
事業の形を整え、収入の柱をいくつかに分け、将来の自分が「働き方を変えても、流れだけは残る」状態を目指しました。
振り返ってみれば、あのときの焦りがなければ、ここまで本気で「生涯のキャッシュフロー」を自分事として扱うことはなかったと思います。
「年齢を重ねる不安」と「年齢を重ねたからこその強み」
また、50代後半のクライアントと関わる中で、私はある事実に気づきました。
年齢を重ねることで失うものにばかり目が向きがちですが、脳科学や心理学の領域では、こんな特徴が指摘されています。
- 若い頃よりも、「大局を見る力」が育っている
- ネガティブな出来事に対しても、意味づけをし直す力が高まっている
- 経験の蓄積によって、「直感の解像度」が上がっている
一方で、変化への抵抗感や、新しいことを学ぶ腰の重さも、確かに増していきます。
しかし、それは「もう成長できない」という意味ではありません。
「何を変えるか」ではなく、「どの順番で、どこから変えるか」
ここを押さえることで、年齢脳の特性はむしろ味方になります。
40代・50代・60代──老後プランニングの「視点のスイッチ」
老後の話をするとき、よくこうした質問を受けます。
- 「老後、いくらあれば安心ですか?」
- 「どのくらい貯めておけば大丈夫なんでしょうか?」
この問い自体は、まっとうです。
ただ、ここから一歩踏み込むためには、視点のスイッチが必要です。
① 40代:老後を「遠い将来」から「具体的な設計図」へ
40代は、多くの人にとって仕事も家族も「同時進行」で負荷がかかる時期です。
ここで老後の話をすると、どうしても「そんな先のことより、今が大変です」という感覚が強くなりがちです。
だからこそ、この時期にやっておきたいのは、
- 老後資金の「ざっくりした必要額」を一度、数字として見てみること
- いまの延長線上にある将来では「足りない」かもしれない、という感覚を持ってみること
- 「どこを調整すれば、将来の自分が楽になるか」を、1つだけでも決めてみること
完璧な計画はいりません。
ただ、「見える化して、1つだけ決める」。この小さな一歩で、老後の風景は確実に変わり始めます。
② 50代:数字から「生き方そのもの」に視点を移す
50代になると、老後は急に「具体的な時間」として立ち現れてきます。
定年や役職定年、親の介護、健康診断の結果──さまざまな出来事が、「このままの延長線上に、老後が来るわけではない」と教えてくれます。
ここで必要なのは、
- 「あと何年働けるか」だけでなく、「これからどういう働き方をしたいか」を問うこと
- 「いくら残すか」より、「どんな時間の使い方にお金を回したいか」を描き直すこと
- これまでの経験やスキルを、「誰かの役に立つ形に翻訳し直す」こと
この時期の老後プランは、「資産の最大化」よりも「意味の再設計」に重心を移したほうが、結果的にキャッシュフローも安定します。
③ 60代以降:プランから「実装」へ、暮らしの単位で組み替える
60代、65歳を超えると、いよいよ「計画」より「現実」に向き合うフェーズになります。
- 公的年金がどの程度入ってくるのか
- いまの住まいを、今後も維持するのか、コンパクトにするのか
- 仕事の比重をどう落としていくか、あるいはどう続けるか
ここでは、「こうありたい自分」と「現実の条件」をすり合わせながら、暮らし全体を組み替えていきます。
大切なのは、「もう遅い」と線を引いてしまわないことです。
環境を大きく変えなくても、月々の出入りのバランスや、時間の使い方を再設計するだけで、「安心感」と「自由度」は大きく変わります。
エビデンスに触れながら、「自分の物語」として回収する
老後のお金や働き方を考えるうえで、統計や研究は心強い手がかりになります。
- 平均寿命や年金制度の議論が、「どのくらいの期間を見ておくべきか」を教えてくれる
- 脳科学の研究が、「年齢を重ねてもなお育つ力」があることを示してくれる
- 起業や再就職の統計が、「中高年だからこそ活かせる経験値」があることを裏づけてくれる
ただ、どれほど立派なデータや理論も、それだけでは“安心”にはつながりません。
大事なのは、それらの情報を「自分の物語」にどうつなげるかです。
- 「平均」ではなく、「自分の暮らし」に引き寄せてみること
- 「一般論」ではなく、「自分の選択肢」として翻訳してみること
- 「不安なニュース」ではなく、「行動のきっかけ」として受け止めてみること
老後プランニングは、「正しい答え」を探す作業ではなく、
情報と経験を素材にしながら、「自分なりの答え」を編み直していくプロセスと言えるでしょう。
老後プランは「未来の設計図」ではなく、「いまの行動計画」
38歳のあの日、私は「70歳で資金が尽きるかもしれない」という一文に出会いました。
いま振り返れば、あれは「老後の終わり」を告げる紙ではなく、「これからの生き方を変えませんか?」という招待状だったのだと思います。
もし、いまあなたの頭の片隅にも、こんな言葉が浮かんでいるとしたら──
- 「老後のこと、ちゃんと考えなきゃとは思っている」
- 「でも、何から手をつけていいのかわからない」
- 「見てしまったら、かえって不安になりそうで怖い」
そんなときこそ、問いを少しだけ変えてみてください。
- 「老後、いくら必要か?」ではなく、「どんな時間を大事にしたいのか?」
- 「将来が不安だから」ではなく、「これから何を増やしていきたいのか?」
- 「足りないものは何か?」ではなく、「すでに持っている強みは何か?」
老後プランニングは、「老後のために、いまを削る話」ではありません。
むしろ、「これからの時間を、もっと自分らしく使えるように整えていくプロセス」です。
そして、そのスタートラインは、
38歳でも、53歳でも、65歳でも、「今、この瞬間」にしかありません。
数字とにらめっこする前に、
まずは一度、自分にこんな問いを投げかけてみてください。
「もし、老後の不安が少し軽くなったとしたら、いま何を始めてみたいだろう?」
その答えの中にこそ、あなたの老後プランの“核”が隠れているはずです。



