エビデンスとは何か――定義・構造・限界とその誤用

「科学的根拠があるから正しい」と言われる時代。
しかしその“根拠”は、誰に、どんな条件で、どこまで通用するのか。
この章では、エビデンスの定義・階層構造を整理しつつ、現代の誤用と限界を読み解きます。

1. エビデンスの定義と現代的な位置づけ

「エビデンス」とは本来、「証拠」や「根拠」を意味する言葉です。科学的判断を支える基盤として、特に医療分野では
EBM(Evidence-Based Medicine:根拠に基づく医療)の潮流とともに重視されてきました。

しかし現代では、エビデンスがしばしば過剰に神格化され、
個別性や文脈を無視した「唯一の正解」として扱われる傾向が見られます。
その結果、「人間の複雑性」を削ぎ落とした単純なモデルが、現場の思考を支配しているのです。

2. 科学的エビデンスの階層構造(EBMのピラミッド)

科学的エビデンスは、その信頼性の度合いによって階層化されています。一般的に上位であるほど信頼性が高いとされます。

  • メタアナリシス・システマティックレビュー(最上位)
  • ランダム化比較試験(RCT)
  • コホート研究・症例対照研究
  • 症例報告・専門家の意見(最下層)

この構造は科学的厳密性を保証するうえで有効ですが、「すべての現場にそのまま適用できる」わけではありません。
エビデンスはあくまで「特定の条件下での傾向」を示すに過ぎず、人間の生活や文化的文脈にそのまま置き換えると歪みが生じます。

3. エビデンスの限界と問題点(外的妥当性と平均化の罠)

  • 外的妥当性の欠如: RCTで統計的に有意だった結果が、現場では再現されないことも多い。
  • 平均値への過剰依存: 個人差を無視し、「平均的な人間」に最適化された判断が進む。
  • バイアスと選択的報告: 利害関係者(製薬会社・行政など)の関与によって結果が偏る可能性。

エビデンスは「確かさ」を意味するものではなく、「現時点で最も妥当とされる仮説」を支えるものです。
科学的であることと、絶対的であることは同義ではありません。
それを混同した瞬間、専門家は思考を止めてしまいます。

4. なぜ「誤用」が起きるのか?(構造的要因と心理的要因)

エビデンスの誤用は、主に次の2つの文脈で生じます。

  1. 専門家自身がエビデンスの本質を理解していない場合:数値=真理と誤認し、思考の柔軟性を失う。
  2. 政治的・商業的な目的で「エビデンス」が利用される場合:社会的正当化の道具として乱用され、異論を封じる。

後者の構図では、エビデンスが「科学的根拠」ではなく「支配の言葉」に変質します。
それは、科学の名を借りた新しい迷信とも言えるでしょう。

5. 専門家の思考を止めないために(問い直す力)

私たちはエビデンスに依存しすぎることで、かえって現場の洞察力や柔軟な判断を失いがちです。
大切なのは、エビデンスを「使う力」よりも、「問い直す力」を持つこと。
数値を参照しつつも、その背後にある人間の文脈や物語を読み解けるかどうかが、専門性の境界を分けます。

エビデンスは信じるものではなく、思考の補助線として扱うべきもの。
その補助線の向こうに、ひとりひとりの“現実”が存在しています。

まとめ:エビデンスは「判断の主語」ではなく「補助線」

エビデンスは思考を導くための道具であり、それ自体が主語になるべきではありません。
専門家が持つべきは「正しさ」よりも「探究の姿勢」。
その姿勢こそが、現場の不確実性を希望へと変える唯一の方法です。

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