はじめに ―― 専門家が思考を止めるとき
医者やカウンセラー、行政職員、あるいはファイナンシャルプランナー。
こうした「専門家」があなたの前でこう言う場面に、何度出くわしたでしょうか?
「それはエビデンスがあるので、間違いありません」
「科学的に証明されているので、そうしてください」
一見もっともらしく聞こえるこの言葉。
しかしその背後にあるのは、本当に知的な態度でしょうか?
本記事では、「エビデンス至上主義」がもたらす危うさと、真の専門性とは何かを問い直します。
第1章:エビデンス至上主義とは何か?
「エビデンスに基づく医療(EBM)」や「エビデンスに基づく教育」などの言葉は、現代の合理主義の象徴とも言えます。
数値化された結果・統計・メタ分析といった「証拠」こそが最も信頼できるとされる流れです。
しかし、エビデンスとは本来、「一定の条件下で得られた経験的なデータ」に過ぎません。
それが人間という複雑な存在に、そのまま適用できるのでしょうか?
第2章:専門家が陥る3つの罠
① 数値=真理という誤認
「有意差が出た」「効果が実証された」といった言葉に、人はつい安心感を抱きます。
しかし統計が示すのはあくまで「傾向」であり、「個人」に対する真理ではありません。
② 文脈の剥奪
エビデンスは「実験条件」を外れた瞬間に意味を失います。
例えば、ある認知行動療法が効果的であるという研究も、文化的背景や語りの文脈を無視していれば、現場では機能しません。
③ 主体性の放棄
「エビデンスがあるから」という言葉は、裏を返せば「私は自分の判断を放棄しています」と言っているようなもの。
知的誠実さとは、不確実性に耐えながら思考を続ける姿勢にこそ宿るはずです。
第3章:エビデンスは道具であって、主語ではない
認知科学の視点では、人間の意思決定はしばしば非合理的で、直感・感情・経験に深く根ざしています。
それを無視して「エビデンスだけ」で語るのは、人間の複雑性に対する暴力です。
また、トランスパーソナル心理学やアーユルヴェーダは、「個別性」や「内的体験」を重視します。
科学的根拠の有無よりも、その人自身が何を感じ、どのように変容していくかに重きを置いています。
第4章:人を扱う専門性に必要な視座
医療、教育、心理、そして人生設計(ライフプラン)の分野では、「人間とは何か」に対する深い理解が求められます。
そのためには、エビデンスだけでなく、
- 文化・時代背景
- 個人の物語(ナラティヴ)
- 身体感覚や直観
を取り入れたホリスティックな視点が必要です。
真の専門家とは、「数値の裏にある物語」を読み解ける人なのです。
おわりに ―― エビデンスの向こうに何を見るか
私たちは、便利さと安心を求めるあまり、「自分で考えること」を放棄してはいないでしょうか?
専門性とは、結論を押し付ける力ではなく、共に問い続ける態度の中にこそあるのです。
「それはエビデンスがあるので正しい」
――ではなく、
「このデータを踏まえて、あなたはどう感じますか?」
と問いかけられる専門家でありたい。