
私たちの意識は、起こってはまた消えてゆく。
至高体験や変性状態てあったとしても、刺激的な体験であったとしても、それは起こり、しばしば留まり、やがて消えてゆく。
ケン・ウィルバーは、意識は一時的なものだが、意識のステートは永続的だと言っている。
ステートとは成長と発達の道程における目印のようなものだ。
だから、一度ある段階に到達すると、それは永続的なものと成りえるのだ、と。
発達のレベル
例えば、ある子供が一度言語の発達段階に至ると、それ以降はずっとその領域へアクセス可能になる。
言語は瞬時に現れては消えていく性質のものではないからだ。
言語能力について天才スティーブン・ピンカーも「言語を生み出す本能」の中で詳しく解説しているので参考にしている。
同じことが、言語以外の他の成長タイプにも言える。
たとえば、より広い知識、より深い愛、より高い倫理的な欲求、より柔軟な知恵、より印象深い気付きなど、一度そのステージに到達すれば、ほとんどいつでも望む時にアクセスできるようになる。
このことは、一時的な状態が永続的な特性へと変換されたことを証明している。
どのような地図でも実際の土地をどのように区分し、描くかによって多少違いがある。
それと同じように世の中にはいろいろな区分や捉え方の違いがある。
例えば、凍結した水と、沸騰した水の関係について見てみよう。
摂氏の尺度を用いた場合、氷点と沸点の間には100の度合いの違いがある。
一方、華氏の場合、氷点は32度、沸点は212度だ。
つまり、華氏を基準にした場合は180度の違いがある。
では、どちらが正しいのだろう?
そう、どちらも正しい。
これは単に、パイの切り分け方の違いに過ぎない。
同じことが段階についても言える。
発達段階にも、あらゆる種類の切り分け方がある、ということだ。
だから、あらゆる種類の慨念が存在して当然なのだ。
例えば、チャクラの体系を見てみよう。
チャクラの体系には7つの主要な段階、意識のレベルがあるといわれている。
チャクラとは、サンスクリットで円、円盤、車輪、轆轤(ろくろ)を意味する語。 ヒンドゥー教のタントラやハタ・ヨーガ、仏教の後期密教では、人体の頭部、胸部、腹部などにあるとされる中枢を指す言葉として用いられる。
彼の書に出てくる有名な文化人類学者ヤン(ジャン)・ゲブサーという人物がどのような人なのかは定かではないが、ゲブサーが提唱した5つの段階概念についてウィルバーは次のように言っている。
- 原始(アルカイック)
- 呪術(マジック)
- 神話(ミシック)
- 合理性(ラショナル)
- 統合(インテグラル)
どれが正しいのかって・・・答えは全部であって、それは単に、あなたが成長と発連をどのようにたどっていきたいのか、によるのである。
「発達の段階」がまた「発達のレベル」と呼ばれるのは、各々の段階が、有機体や複雑体のあるレベルを表しているからである。
たとえば、原子から分子、細胞、生物体への連続において、各々の進化の段階は、複雑体における高次のレベルと関係しているし、ここで「レベル」という言葉は、堅苦しい、排除的な様式ではなく、別々の、量子のような〔飛躍的な〕様式で出現する傾向をもつ。
重要な創発的(エマージェント)な性質を指しているのである。
そして、発達段階における〔先行段階からの〕跳躍やレベルは、多くの自然現象に見られる重要な諸相なのである。
一般的に、統合的モデルでは、およそ8から10の段階を考える。長年のフィールドワークの結果、私たちはこれより多いと煩雑すぎ、これより少ないとあいまいになる、ということがわかった。
また、私たちがよく用いる段階概念には、自己の発達段階、スパイラル・ダイナミクス、意識の秩序段階などがある。
- 自己の発達段階:ジェィン・レーヴィンジャーやスーザン・クック・グルターによって開発された。
- スパイラル・ダイナミクス:ドン・ヘックとクリス・コーワンによって開発された。
- 意識の秩序段階:ロバート・キーガンによって調査された。
そしてまた、ハーバード大学の発達心理学者ハワード・ガードナー氏は次のようにいっている。
「幼児は全面的に自我中心的(エゴセントリック)であるというのは、自分のことだけを利己的 に考えていることではなく、逆に、自分自身のことを考えられないという意味である。自我中心的な子供は自分以外の世界と自分自身を差異化できない。他人または客体から自分自身を分離していないのである。そこで、他人は自分の苦痛や快楽をともにしている、自分のモグモグ言うことは必ず理解されるだろう、自分の展望はすべての人と共有されている、動物や植物さえ自分と意識を共有していると感じるのである。(中略)人間の発達の全コースは、自我中心性の連続的な減少と見なされる。」
もちろん、他にも多くの有用な段階概念が人手可能なので、状況にふさわしいものを適用するといいと思う。
理解が深まるにつれ、いかに「段階」というものが人の成長プロセスにおいて重要であるかがわかる。
この段階という考え方は個人の成長のみならず、ビジネスにおいても重要だろう。
手順を間違えると、目標を達成できないばかりか、返って遠のいてしまうことさえあるからだ。
そこで、個々の成長段階に関わるいくつかの例をあげておこう。
- 自己中心的(エゴ・セントリック)
- 自民族的(エスノ)
- 集団中心的(セントリック)
- 世界中心的(ワールド・セントリック)
思考が散漫にならないように、今回は3つの段階にまとめた非常に単純なモデルを使う。
断っておくが、これはレベルや段階に関わる概念を示すためのものだ。
まず最初は、コールバーグによる3水準6段階の道徳性の発達段階を3段階にまとめてたものだ。
コールバーグによる道徳性の発達理論
コールバーグは、ピアジェの道徳的判断(他律→自律)に関する研究に基づいて、道徳性の認知発達理論を提唱した。
日常の生活における道徳の実践はふつう慣習的なもだが、慣習に違反せざるを得ないような体験を通じて人は道徳と慣習の違いについて考え始める。
道徳性の発達段階(3水準6段階)
前慣習的水準
1.罰と服従への指向
苦痛と罰を避けるために、大人の力に譲歩し、規則に従う。
2.道具主義的な相対主義
報酬を手に入れ、愛情の返報を受ける仕方で行動することによって、自己の欲求の満足を求める。
慣習的水準
3.対人的同調、「良い子」指向
他者を喜ばせ、他者を助けるために「良く」振る舞い、それによって承認を受ける。
4.「法と秩序」指向
権威(おや・教師・神)を尊重し、社会的秩序をそれ自身のために維持することにより、自己の義務を果たすことを求める。
後慣習的水準
5.社会契約的な法律指向
他者の権利について考える。共同体の一般的福祉、および法と多数者の意志により作られた標準に従う義務を考える。公平な観察者により尊重される仕方で行為する。
6.普遍的な倫理的原理の指向
実際の法や社会の規則を考えるだけでなく、正義について自ら選んだ標準、人間の尊厳性への尊重を考える。自己の良心から非難を受けないような仕方で行為する。
原文をどう訳すかにもよるが、それにしても回りくどい解釈が多い。
1,前慣習段階
生まれたばかりの幼児は、倫理観や環境に順応するための教育を受けていない。
この段階のことを前慣習段階といっている。
それはまた、自己中心的(エゴ・セントリック)でもある。
生まれたばかりの幼児の意識が、自分以外のことに向いているとはいい難いからだ。
自分が置かれた環境の中で、規則やルールを学び始めると慣習段階に成長する。
2,慣習段階
この段階は、所属する特定の集団、部族、氏族、国家などが中心になるので、そこに所属していない人たちを排除しがちだ。
したがって、自民族的(エスノ)であり、集団中心的(セントリック)であるとも言える。
3,後慣習段階
次の発達段階では、視野が拡大し、人種、肌の色、性別、宗教などにかかわらず、あらゆる民族に対する思いやりや関心を持つようになる。
つまり、この段階は世界中心的とも言える。
このように、発達段階は、自己中心的な状態から自民族・集団中心的、そして世界中心的へと移行する。
もう一つ、3つの段階の例をあげてみよう。
体、心、 霊という捉え方
これらの言葉は、多くのことを意味しているが、「段階」を指す場合に限って云えば、次のことを意味する。
段階1.体
個人の身体的な現実がすべてを支配している段階だ。
分離した身体器官と、生き物の本質である生存欲求のみに動かされているからだ。
自己中心的(エゴ・セントリック)ともいえる。
段階2.心
アイデンティティが個から他へと向かい、多くの人と関係を共有し始めようとする段階だ。
価値、利益、理想、夢などが共有され、それが互いの関係性を結びつける基準となる。
人の立場になって感じることができるようになるため、アイデンティティは、自己中心的から自民族・集団中心的に移行している。
※アイデンティティとは、「同一性」「個性」「国・民族・組織などある特定集団への帰属意識」「特定のある人・ものであること」などの意味で用いている。
※心と体の関係については、「ちょつとスピリチュアリティな健康法」でも詳しく解説しているので参考にしてほしい。
段階3.霊
アイデンティティはさらに広範囲な領域へ到達し、「私たち」という領域を越え、世界(私たちすべて)に移行する段階。
これは自民族・集団中心的から、世界中心的への移行でもある。
彼は、人類や文化のすばらしい多様性に加えて、類似性や共通の特徴もまた存在することを理解し始めた。
すべての存在に共通する福祉をみいだすことは、自民族・集団中心的から世界中心的への移行であり、すべての意識あるもの〔一切衆生〕に共通のものという意味で「スピリチュァル」なのだ。
と言っている。
体から心、そしてスピリットへという段階を捉えた見方もある。
各々が自民族・集団中心的、そして世界中心的へと移行する。
自己の意識から他者への興味、思いやりへと展開していく段階だ。
生き物の起源や本質を探求するとき、私たちは常に進化と発達の段階の叡智に戻る。
私たち自身が外に向かって開けていくような進歩的で永続的な成長を願う時、段階によってそのシグナルや道標を見つけることができる。
意識の段階、エネルギーの段階、文化の段階、スピリチュアルな覚醒の段階、倫理的発達の段階などを語るとき、私たちはより高く、より深く、より広い潜在能力を展開していく、これらの重要で根本的な梯子段(ラング)について語っている。
と彼は言っている。
いかなる状況においても、この重要な段階の諸相を含んだかどうかのチェック
が、彼の提唱するIOSによって自動的に促されるのだ。
それが個人的なことであれ、社会的なことであれ、ビジネスのことであれ、他者のことであれ、宗教的なことであれ、この自動システムがあなたの可能性を大いに引き出すことだろう。
引用元:インテグラル・スピリチュアリティー(ケン・ウィルバー著・松永太郎訳)