
これは、私のコンサルテーションを1年以上続けて受けている方やパーソナルデザイン塾の塾生に向けて投稿したものだ。
またこれは、インテグラルな視点でものごとをとらえようと試みてきた人たちの研究を、できるだけわかりやすく伝えることを主な目的としている
私たちは通常偏った発達の仕方をしている。
そのことに気づいている人は少ないと思うが実際そうだ。
たとえば、論理的な思考力が非常に発達している人が、感情面は未発達だったりする。
そう感じさせる人に、あなたも会ったことがあるかもしれない。
たいへん勉強はできるが、それ以外の言動は幼いといった感じだ。
逆に感情面は非常にアダルトだが、勉強が苦手だという人もいるだろう。
このことは、ハーバード大学の心理学者ハワード・ガードナーが1983年に提唱したMI(多重知性)理論
などによって広く知られるようになった。
つまり、人はさまざまな知性を所有している。
例えば、認識的知性、感情的知性、音楽的知性、運動感覚知性など。
一つか二つの面で優れているが、他の面では劣っている自覚のある人が多いと思う。
私の場合は、運動感覚知性と感情的知性だろう。
他の認識的知性や音楽的知性よりはマシという意味だ。
知恵の役割とは、自分が所有している中で最も優れた才能を社会に対して最大限提供できる方法を見つけることである。
=ウィルバー
自覚するためには何が必要だろう。
少なくとも長所と同時に弱点にも気づかなくてはいけないだろう。
それで、5つの本質的な要素{象限(quadrants)、レベル(levels)、ライン(lines)、ステート(states)、タイプ(types)}だけではなく、多重知性や発達論的な「ライン」がもたらされる
からだ。
ラインや多重知性とは何か?
では、「ライン」や多重知性とはなんだろう?
さまざまな多重知性には、認識、インターパーソナル(間人格)、倫理、感情、美学などが含まれる。
なぜ、これらを「発達論的なライン」と呼ぶのだろう?
それらの知性が成長と発達を示すからである。
また、それらは進歩的な段階を路んで展開する。
では、進歩的な段階とは何だっただろうか?
前回の投稿で慨略を見てきた段階のことだ。
すなわち、各々の多重知性は、3つの主要な段階、自己、自民族・集団、世界という道筋を経て成長する。
3段階以上の発達段階のモデルでもかまわない。
3段階と仮定した場合、例えば認知的発展段階には、段階1、段階2、段階3があることになる。
他の知性に関しても同じことがいえる。
感情的発達の第1段階では、自己を中心とした感情を意味する。
とくに生存欲求に起因する、飢餓への回避、自己防衛などの感情や衝動を発達させてきた段階だ。
この感情的発達の第1段階から第2段階の自民族・集団中心的段階へと成長し続けることによって、アイデンティティが拡大し、愛する人、家族、親しい友人、自分の部族や国家などに対する興味を持ち傾倒し、愛着を深めるようになる。
それが第3段階に至れば、今度は思いやリや惻隠(そくいん)の情が強まり、それは一切衆生に対するものにも成りえるだろう。
これは段階なので、ある意味永続的に手に入れることができる。
段階に到るまで能力は単に一時的に現れるステート(状態)にすぎない。
拡大された知性や存在の至高体験、アハ体験、自分の高次の可能性を垣問見る高度の変容経験など
一時的な状態において現れていた体験が、練習を重ねれば段階に転換でき、自分の領域のなかの永続的な特性になる。
これらについては前回も解説した。
統合的サイコグラフ
こうした多重知性のラインを表すのに実に簡単な方法があると彼は指摘している。
例えば下の図1のモデルは、3っの主要な段階を表したもので、どのような発達論的ラインにも適用可能なのだ。

図1サイコグラフ
また、上記の図によって各ラインの成長と意識の「高度」を認識することができる。
ここから読み取れるのは、その発達レベルにおいて、認識的や間‐人格的には優れているが、倫理的には未発達段階にあって、感情的には非常に低度の未発達段階ということだ。
自分の可能性の中で何が最大値なのかを示してくれる。
それをサイコグラフと云う。
自分のどの部分が優れ、どの部分がそうでないか、あなたは既に知っているかもしれない。
自分の優れた部分をもっと伸ばしたい、そうでない部分を補いたいと思っていることだろう。
そう願っている人に朗報だ!
彼が提唱する統合的アプローチによつて得られるものは多い。
- 自分自身に関する知識を洗練できる。
- 長所のみならず自分の短所に対しても自信を持って対処できるようになる。
- 私たちがいかに不均などに発達しているかを認識することができる。
一つの分野が優れているから、劣っているからといって、一喜一憂してはいけない。
偏ったものの見方は、人の成長を留めてしまう。
実際、多くの人たちが傾向認識によって転落していった。
「統合的に発達する」というのは、あらゆる知性のラインが段階3になければならないという意味ではない。
そうではなく、自分のサイコグラフか、現在どのような状態なのかをよくわきまえることだ。
統合的な自己イメージをもつことで、成長プロセスを鮮明に描けるようになることが最も重要なポイントだ。
特定の知性を強化する。あるいは、一つのラインを浄化することになるかもしれない。
自分の長所と短所が明確に認識できるようになり、適切な成長プロセスを描けるようになるかもしれない。
統合的な視点を用いれば、そのサイコグラフをより明確に認識できるようになるからだ。
また、すべてのラインを発達論の観点からマスターしなければならないということでもない。
もし、あなたが不均衡を治したいならば、「統合的な生活実践(Integral Life Practice)(ILP)を行えばよい。
それは、あなたが統合的アプローチを通じて意識と発達のレベルを高めるのに役に立つ
と彼は示してくれる。
※「ILP」
については、後ほど詳しく取り上げる
もう一つの重要なポイントがある。
それは、ある種の訓練によって、最初から、至高体験、瞑想体験、シャーマンの幻視、変性〔意識〕状態など、 一連の意識状態と身的体験を経験できるようになるということだ。
なぜなら、こうした至高状態が可能なのは、主要な意識状態があらゆるシチュエーションにおいて現前する可能性があるからだ。
主要な意識状態とは、例えば覚醒‐粗大(グロス)」「夢見‐微細(サトル)」「無形(深い眠り)-元因」などのことだ。
これらの主要な意識状態が常に存在していることによって、
多くの意識の高次の状態を素早く経験できる。しかし、あらゆる高次の段階のクオリティーを経験することはむずかしいだろう。
各成長過程において意識して実践していかなければ、高次の段階のクオリティーを手にすることはできないからだ。
ただし、高次の状態だろう。
なぜなら多くの状態は、つねに現前しているので、それらはただちに「至高のもの」として経験できるからだ。
と彼は言っている。
しかし、ピアニストになるような至高体験をいきなり持つことはできない。
なぜなら段階とは連続的に展開するものであり、成長にはかなりの時間を要するからだ
。
段階は順序よく進んでいくので、途中の段階を飛ばすことはできない。
例えば、原子から分子を飛ばして、いきなり細胞レベルに到達することはできない。
これが状態と段階の相違点の一つだ。
ただし、高次の状態に触れる練習を繰り返すことによって、発達段階はずっと早くなり、容易に展開するようになる
ことが多くの事例によって証明されている。
例えば、瞑想状態のような高次の意識状態になればなるほど、いっそう早く、意識の段階を経て成長し発展することができるだろう。
高次の状態の訓練が、あなたを低次の状態との同一化から引き離し、高次の段階へと引き上げてくれる。
この訓練を繰り返しているうちに、高次のレベルの意識に安定的にとどまることが可能になる。
一時的にしか現れなかった状態が永続的なものとなり、あなたの特性として備わる。
瞑想のような、これら高次の状態の訓練形態は、変容への統合的アプローチに欠かすことのできないものである。
と彼は指導している。
つまり、「段階」を省略することはできないが、さまざまな「状態」を試行、実践することによって、成長を加速させることができるということだ。
これらの変容を促すような試行・実践は、統合的なアローチに欠くことのできない重要な要素だ。
主な引用元:インテグラル・スピリチュアリティー(ケン・ウィルバー著・松永太郎訳)