出口のあとに、すぐ次の道が見えるわけではなかった──退職後の空白と再始動の入口

出口のあとに、すぐ次の道が見えるわけではなかった──退職後の空白と再始動の入口

会社を去った瞬間、最初に来たのは不安ではありませんでした。

むしろ、爽快感に近いものがありました。

あれほど重かった月曜会議も、親族が絡み合った職場の空気も、仕入れ先や店舗で起きる緊張も、もう自分の目の前にはない。そう思ったとき、身体のどこかが一気に緩んだのだと思います。

妻からも、「顔色が良くなってよかった」と言われました。

自分では気づいていなくても、顔には出ていたのでしょう。

それほどまでに、私は追い詰められていたのだと思います。

ただ、会社を辞めたからといって、すぐに次の道が見えるわけではありません。

外へ出られたことと、次に進めることは別です。

むしろ、出口を抜けたあとに待っていたのは、しばらく何もできない時間でした。

それは、休暇というより、空白に近い時間でした。

何かを考える力も、次を探す気力も、誰かに会う気持ちも、すぐには戻ってきませんでした。


二日ほど休んだあと、私は働きに行くふりをした

退職した直後、おそらく二日ほどは家で休んだと思います。

そのあと、私は一つの計画を立てました。

いつも通り、朝八時半頃に家を出る。

そして、夜九時頃に帰宅する。

つまり、仕事に行っているふりをすることにしたのです。

今から考えると、夜九時に帰宅すること自体が不自然でした。

それまでの私は、まず十時前に仕事を終えて帰ることなどありませんでした。むしろ、それより遅くなることの方が普通でした。

だから、本来ならそこには何か理由が必要だったはずです。

けれど、その理由を思い出せません。

何と言って取り繕っていたのか、記憶が抜け落ちています。

取り繕った嘘は、思い出せないものなのかもしれません。

妻以外には、退職したことを伝えていませんでした。

両親とも同居していました。

だからこそ、朝になると家を出る必要があった。

会社へ行くふりをしなければならなかった。

それは、誰かをだますためというより、自分でも現実を受け止めきれなかったからだったのだと思います。

辞めた。

けれど、次がない。

家にずっといるわけにもいかない。

両親には言えない。

ならば、いつも通り出かけるしかない。

そんな状態でした。


山手線の中で、行き先のない時間を過ごしていた

最初の頃は、山手線に乗っていたと思います。

夏場で暑かったからかもしれません。

電車の中なら、冷房もあります。

座れれば、しばらく何もしなくてもいられます。

喫茶店や飲食店には行かなかったと思います。

ああした場所の雰囲気に触れる気分になれなかったのです。

店に入れば、注文しなければならない。

店員とやり取りしなければならない。

周囲の人の気配を意識しなければならない。

そのようなことすら、当時の私には重かったのだと思います。

山手線なら、ただ乗っていればよい。

目的地を決めなくても、電車は勝手に走っていく。

降りなければ、また同じ場所に戻ってくる。

行き先のない時間を、行き先のある電車の中で過ごしていました。

それは、どこか今の自分の状態に似ていたのかもしれません。

動いている。

けれど、どこにも向かっていない。

時間は過ぎている。

けれど、何も進んでいない。

私は、ただぼうっとしていたかったのだと思います。

考えることを拒絶していました。

次をどうするか。

仕事をどう探すか。

家族をどう支えるか。

そうしたことを考えなければならないのはわかっていました。

けれど、身体が動かない。

頭も動かない。

人にも会いたくない。

ただ、時間が過ぎる場所に身を置いていたかったのです。


天井のない場所を歩いていた

その後は、外気温に合わせて休む場所を変えていたように思います。

電車だけではなく、公園や川沿いで時間を潰すこともありました。

人と関わらなくてよい場所。

誰かに何かを説明しなくてよい場所。

天井がなく、空が見える場所。

そういう場所を、どこかで求めていたのかもしれません。

川沿いを、くたくたになるまで歩いたこともありました。

何かを考えながら歩いていたわけではありません。

むしろ、考えないために歩いていたのだと思います。

足が疲れれば、頭の中のざわつきが少し弱くなる。

身体が疲れれば、余計なことを考えなくて済む。

そんな感覚だったのかもしれません。

不思議なことに、車で出かけたり、バイクでツーリングに行ったりすることはありませんでした。

運転する気力がなかったのか。

精神的に不安定な状態で運転すれば、事故を起こすかもしれないと無意識に避けていたのか。

はっきりとはわかりません。

ただ、当時の私は、目的地を決めて自分で運転するほどの力を失っていたのだと思います。

電車の中や、川沿いの道のように、自分で何かを判断しなくても時間が流れていく場所を選んでいました。

今思えば、かなり気力が落ち切っていたのだと思います。

朝起きられたのか、食欲があったのか、本を読んだりテレビを見たりできたのか、そのあたりの記憶はあまり残っていません。

ただ、人と会いたくなかったこと。

仕事を探そうとしても、身体が動かなかったこと。

その感覚だけは残っています。


両親に言えなかった理由

両親に退職を伝えられなかったのには、理由がありました。

一度目の起業が終わったとき、私は父に支えてもらいました。

そのとき、父は同居を嫌がる母を一喝し、私たちが一緒に暮らせる環境をつくってくれました。

それは、ある意味で経済的な援助でもありました。

父は、とても穏やかな人でした。

普段、大きな声を出したり、誰かを押し切ったりするような人ではありません。

その父が、あのときだけは違いました。

私のために、家族の中で強い態度を取ってくれた。

それは、私にとって大きな出来事でした。

そのとき初めて、男とはこうあるべきなのかもしれないと思いました。

同時に、それまでどこかで父を軽んじていた自分を悔いました。

その瞬間から、父への尊敬の念が芽生えたのです。

そんな父と母がつくってくれた環境を、どうして壊すことができたでしょうか。

また辞めた。

また立ち止まっている。

そんな現実を、どうしてすぐに伝えられたでしょうか。

裏切ることなどできない。

少なくとも当時の私は、そう感じていました。

だから、働きに行くふりをしました。

本当は何もできていないのに、外へ出て、時間を潰し、夜になると帰る。

それは、両親に対する嘘であると同時に、父がつくってくれた環境を壊さないための、苦しい取り繕いでもありました。


韓国へ向かう飛行機の中で、「何もしなくていい」と感じた

空白の期間の中で、韓国へ旅行したこともありました。

なぜそのとき韓国へ行ったのか、はっきりとは思い出せません。

ただ、韓国は私にとって何度も訪れている国でした。

これまで四十回ほどは行っていたと思います。

家族を通じた縁もあり、前職時代には仕事でもたびたび訪れていました。

いくつかの人生の転換点とも、不思議と重なる国でした。

ただ、このときは仕事ではありません。

仕入れでも、商談でも、誰かに会うためでもない。

ただ行ったのだと思います。

韓国へ向けて飛行機が滑走路を離れる瞬間、いつも感じることがありました。

この時間は、何もしなくていい。

そう思えるのです。

地上で絡まっていたものから、少しだけ離れる感覚。

家のこと、仕事のこと、両親に言えないこと、次が決まっていないこと。

そうしたすべてのわだかまりから、一時的に解き放たれるような気分がありました。

飛行機の中では、何かをしなければならないわけではありません。

誰かに説明する必要もありません。

日本から離れているあいだだけは、何もしなくていい。

その感覚が、当時の私には必要だったのかもしれません。

しかし、日本に戻ってくると、現実も戻ってきます。

税関を通り、高速道路に乗る瞬間が嫌でした。

何も変わっていないのだろう。

また、あの現実に戻るのだろう。

そう感じていました。

海外へ行ったからといって、何かが解決したわけではありません。

ただ、一時的に考えなくて済む時間があっただけでした。


妻は、黙って支えてくれていた

この期間、妻はほとんど何も言わなかったと思います。

退職直後に伝えたとき、「どうするの」といった言葉はあったかもしれません。

けれど、私の記憶に強く残っているのは、「辞められてよかったじゃない」という言葉です。

責めるのではなく、まず離れられたことを受け止めてくれた。

そのことは、今でもありがたく思っています。

妻は、最初の起業が終わったときにも、私を支えてくれました。

「まだ若いんだから、やり直せるよ。私も頑張るから、再起して」

そう励ましてくれたことがあります。

今回も、妻は私を責めませんでした。

五か月ほど、何も言わずに黙っていてくれたのだと思います。

そして、両親にも悟られないように協力してくれていたのでしょう。

ただ、いつまでもその状態を続けることはできません。

預金も減っていきます。

両親も、さすがに疑い始める。

ごまかしも、キャッシュフローも、限界に近づいていました。

五か月ほど過ぎた頃、妻が言いました。

「ねぇ、もうそろそろ仕事したらどうなの? お父さんもお母さんも疑い始めてるよ」

その言葉は、私を責める言葉というより、現実に戻す言葉でした。

私自身も、もう限界だと感じていたのだと思います。

その一言で、少しだけ現実に戻りました。

いつまでも山手線に乗っているわけにはいかない。

いつまでも川沿いを歩いているわけにはいかない。

いつまでも働きに行くふりを続けることはできない。

そう思い始めたのだと思います。


求人誌の中で、保険代理店研修生の文字が目に留まった

再始動の最初の一歩は、求人誌でした。

求人誌を眺めていたとき、ある募集欄に目が留まりました。

保険代理店研修生の募集です。

給料も悪くありませんでした。

ただ、それだけで目が止まったわけではありません。

義母のことがありました。

これまでの経験もありました。

人の生活、家族、病気、収入、事業の失敗、再起。

そうしたものを、自分なりに見てきたつもりでした。

保険という仕事が、その経験とどこかでつながるのではないか。

そう感じたのだと思います。

それまで私は、このジャンルに人脈があったわけではありません。

経験もありません。

むしろ、まったく新しい領域です。

けれど、だんだんと、ここで再スタートを切ることに意識が向いていきました。

ただ、募集要項をよく見ると、一つの条件がありました。

大卒以上。

私は、その条件に当てはまりませんでした。

普通に考えれば、そこで終わりです。

応募資格がない。

だから諦める。

そう判断するのが自然です。

けれど、そのときの私は、なぜかそこで止まりませんでした。

無謀だとは思いました。

それでも、その条件を無視して、いきなり東京海上の本社に電話をしました。

電話口の人は、困ったと思います。

募集要項に合わない人物から、いきなり問い合わせが来たのです。

本来であれば、そこで終わっても不思議ではありません。

ところが、何らかの形で取り計らってくれたのでしょう。

該当する支社から連絡が入りました。

そして、支社長が面接に応じてくれました。

結果として、入社が許されることになります。

そこから先は、また別の緊張感のある現場でした。

けれど、少なくともこの一本の電話で、私は空白の時間から少しだけ外へ出たのだと思います。


空白は、怠けではなかった

退職後の数か月を、外から見れば、何もしていない時間に見えるかもしれません。

仕事もしていない。

次も決まっていない。

家族にはごまかしている。

山手線に乗り、公園で時間を潰し、川沿いを歩き、韓国へ行く。

その姿だけを見れば、逃げているようにも見えるでしょう。

実際、逃げていた面もあったと思います。

けれど、それは単なる怠けではありませんでした。

役割に絡め取られ、身体が限界を知らせ、最後に会社を飛び出したあと、すぐに次へ向かえるほど、人は単純ではありません。

壊れかけた感覚が戻るまでには、時間が必要です。

何もできない時間。

考えることを拒む時間。

人に会いたくない時間。

自分の現実を直視できない時間。

そういう時間を通らなければ、次の一歩に届かないこともあります。

もちろん、その空白が長く続けば、生活は苦しくなります。

キャッシュフローも尽きていきます。

家族にも負担をかけます。

だから、どこかで現実に戻らなければならない。

私の場合、そのきっかけをくれたのは妻の言葉でした。

そして、求人誌の中に見つけた保険代理店研修生という文字でした。

会社を辞めたあと、すぐに次の道が見えたわけではありません。

空白がありました。

ごまかしもありました。

情けなさもありました。

けれど、その空白を抜けて、ようやく一本の電話をかけることができた。

それが、次の仕事へ向かう最初の動きでした。

再始動とは、強い決意で始まるとは限りません。

ときには、もうごまかせないという現実と、なぜか目に留まった一つの募集欄から始まることもあります。

私の再起は、そこから始まりました。



正解を探す前に、判断の前提を整える。

何かを終えたあと、すぐ次の道が見えるとは限りません。

何もできない時間、考えられない時間、動けない時間にも、意味があります。大切なのは、その空白を責めることではなく、どの条件が整えば次の一歩を出せるのかを見つめ直すことです。

初回整理相談では、40分の対話を通じて、いま抱えている違和感や迷いを整理し、次に何を見ればよいのかを一緒に確認していきます。

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