
最初の条件が崩れたとき、私はもう。。。
二度目の独立では、最初にいくつかの条件を置いていました。
その中でも、私にとって大きかったのは、親族を会社に入れないということでした。
これは単なる好みではありません。
小さな会社ほど、仕事と家庭の境界が曖昧になりやすい。経営者の家族が会社に入ると、役割と感情が重なり、仕事上の判断が家族関係に引っ張られることがあります。
上司と部下である前に、親と子である。
経営者の妻であり、母であり、家族である。
その関係が職場に入り込むと、誰が何を言っているのかが見えにくくなります。
仕事上の指示なのか、家庭内の感情なのか。
会社としての判断なのか、家族としての不安なのか。
そこが混ざり始めると、現場は非常に扱いにくくなります。
だから私は、最初に親族を入れないという条件を置いていました。
けれど、その条件は少しずつ崩れていきました。
最初は、奥様の関与でした。
自宅を事務所にしていたこともあり、仕事と家庭の境界はもともと曖昧でした。奥様が店舗やスタッフの様子に口を出すような場面もありました。
そのとき私は、このまま続くなら会社を去ると伝え、実務からは外れてもらいました。
その時点では、まだ境界を戻せると思っていたのだと思います。
しかし、その後に長男を入れる話が出ます。
そこで、最初に置いた条件は、はっきりと崩れ始めました。
ホテルのラウンジで切り出された話
長男を会社に入れたいという話が出たのは、四店舗目の準備をしていた頃でした。
宿泊していたホテルのラウンジで、三人で食事をしていました。
少し酒も入り、ほろ酔いのような空気になった頃、元専務が神妙な様子で切り出したのです。
彼は、処世術にも長けた人でした。
いつ、どこで、どのような空気の中で話を出すか。そのあたりの感覚は、よくわかっていたのだと思います。
おそらく、彼にとっても必要な話だったのでしょう。
長男が勤めていた会社が倒産したこともありました。
人手も足りない。
私にも休みが必要だ。
知らない人を新しく入れるより、自分の息子を入れた方が安心できる。
そうした事情も、確かにありました。
けれど、それは同時に、私のポリシーを曲げることでもありました。
独立前に確認していた「親族は入れない」という条件に反することでもありました。
元専務も、そこに気が引けていたのだと思います。
最初から強く押し切るのではなく、「ぜひ前向きに検討してほしい」という言い方でした。
その言い方の中に、本人もこの話の重さをわかっているのだと感じました。
私はその場ですぐに強く拒絶したわけではありません。
ただ、心の中では、何かが変わった感覚がありました。
この条件が崩れるなら、自分はここに長くはいないかもしれない。
そう思い始めたのは、おそらくこのときだったと思います。
許可したのは、私の中にも計算があったからだった
結局、私は長男の参加を認めることになります。
ただ、それは単に押し切られたからではありません。
私の中にも、別の計算がありました。
私は元専務に対して、最低でも三年は関わるという約束をしていました。
けれど、親族が会社に入り、実行の一部を担えるようになれば、自分がそこに居続けなければならない期間を短くできるかもしれない。
そういう考えが、どこかにあったのです。
この判断は、きれいなものではありません。
相手の都合を受け入れながら、こちらもそこから離れるための条件を探していた。
今振り返れば、そういうことだったのだと思います。
最初の条件が崩れたとき、人はすぐに辞めるとは限りません。
むしろ、現場には仕事があります。
スタッフがいます。
店舗があります。
仕入れ先があります。
約束もあります。
だから、身体はその場に残ります。
けれど、内側ではすでに少し離れ始めている。
私の場合も、そうでした。
長男を認めた瞬間から、私はその会社に残りながら、どこかで出口を探し始めていたのだと思います。
最初の印象は、決して悪くなかった
初めて会った長男に、悪い印象はありませんでした。
真面目そうでした。
受け答えも、ごく普通の青年でした。
父親の会社に入ることになった若い人として、少し緊張していた部分はあったかもしれません。
しかし、このときの私は、後に起きるようなことを想像していませんでした。
あのように感情が大きく振れ、店舗や仕入れ先で周囲を困らせるようになるとは、夢にも思っていなかったのです。
最初から問題のある人として見えていたわけではありません。
むしろ、普通に受け答えができる青年でした。
だからこそ、後から起きた変化は重く感じられました。
人は、最初からわかりやすく崩れているわけではありません。
置かれた役割、家庭内で抱えてきたもの、仕事上の圧力、周囲からの見られ方。
そうしたものが重なっていく中で、少しずつ表に出てくることがあります。
長男も、そうだったのかもしれません。
休みは取れるようになった
長男が入ったことで、実際に助かった面もありました。
私は定休を取れるようになりました。
それまでほとんど休みなく動いていたことを考えると、これは大きな変化でした。
その頃、私はオートバイを購入しました。
毎週水曜日になると、ツーリングに出かけるようになりました。
時には、娘を後ろに乗せて走ったこともあります。
仕事に追われ続けていた中で、そうした時間は確かに救いでした。
長男は最初、運転手のような役割や、各店への商品搬入を担っていました。
それによって、私の身体的な負荷は少し減りました。
人が入ることで、楽になる部分は確かにあります。
何もかも自分で運ばなくてよい。
すべての店舗を自分一人で回さなくてもよい。
休みも取れる。
その意味では、長男の参加は、短期的には助けになりました。
けれど、負荷には種類があります。
身体の負荷が減ったからといって、すべてが軽くなるわけではありません。
むしろ、その後に増えたのは、思考の負荷でした。
身体の負荷は減り、思考の負荷が増えていった
長男が店舗を回るようになると、しばらくして不穏な話が店舗側から聞こえるようになりました。
最初は、噂のような形でした。
言い方が強い。
態度が怖い。
スタッフが萎縮している。
そうした話が、少しずつ入ってきます。
そのうち、私の前でも暴言を吐くようになりました。
仕入れ先に同行させることもありましたが、そこで感情を爆発させられるのが、私にとっては一番困りました。
仕入れ先との関係は、事業にとって非常に大切です。
こちらの事情を聞いてもらい、返品や支払い条件の調整をお願いし、時には無理も聞いてもらう。
そういう関係の中で、感情的な言動をされると、こちらが積み上げてきた信頼まで傷つきかねません。
店舗でも、スタッフは長男に気を遣うというより、怖がるようになっていきました。
社長の息子である。
しかも、感情の起伏が読みにくい。
そうなると、普通の社員に対する接し方とは違ってきます。
注意しづらい。
距離を取りづらい。
言われたことを、社長側の意向として受け止めてしまう。
この状態は、現場にとって非常に厄介でした。
人が増えたことで、身体は少し楽になりました。
けれど、その人の言動を見て、受け止め、フォローし、周囲との関係を調整する必要が出てきました。
その分、私の思考負荷は確実に増えていきました。
身体の疲れよりも、思考の疲れの方が人を深く消耗させることがあります。
この頃の私は、そのことを身をもって感じていました。
家庭と職場の境界が、さらに曖昧になっていく
長男の言動には、本人だけの問題では片づけられないものがありました。
元専務にも、似たような強い叱責の傾向がありました。
大きな声で叱られたパートさんが、その場で辞めてしまったこともあります。
前職時代にも、店長に対してかなり強い態度を取った場面を見たことがありました。
そう考えると、長男の中に見えていたものは、家庭や親子関係の中で長く続いてきた空気の延長でもあったのかもしれません。
初期の頃は、私が元専務と長男の間に入ることもありました。
しかし、後半になると、私だけでは難しくなっていきます。
介入できたのは、経理を担っていた川島さんくらいだったと思います。
彼女は、ある意味で少し外側の位置にいました。
性格もどっしりしていて、気丈でした。
だからこそ、彼らの間に入ることができたのだと思います。
親族が職場に入ると、仕事の問題が家庭の問題と重なります。
父親としての言葉なのか、社長としての言葉なのか。
息子として反応しているのか、社員として反応しているのか。
周囲は、それを切り分けることができません。
本人たちも、おそらく切り分けられなかったのだと思います。
家庭内の緊張が職場に出る。
職場での不満が家庭に持ち帰られる。
そして、その間にいる人間が、両方の空気を受け止めることになる。
これが、親族参加の最も難しいところでした。
「社長の息子」として扱ってほしいという言葉
六店舗目の準備で、遠方に出ていたときのことです。
元専務の家族と私で食事をする場面がありました。
その席で、奥様がこう言いました。
「社員扱いしないで、社長の息子だから、そういう扱い方をしてほしい」
その言葉を聞いたとき、私は複雑な気持ちになりました。
まさに、私が最初から恐れていたことだったからです。
社員なのか、社長の息子なのか。
仕事上の役割なのか、家族としての扱いなのか。
そこが混ざれば、現場は必ず苦しくなります。
興味深いことに、その場では元専務が反応するより先に、長男本人が強く反応しました。
「何を言い出すんだ。いい加減にしろ」
そう言って、感情をあらわにしたのです。
その反応を見たとき、長男自身も苦しかったのだろうと思いました。
社長の息子として扱われたい気持ちもあったかもしれません。
一方で、それを母親の口から言われることへの反発もあったのでしょう。
自分は社員なのか。
息子なのか。
特別扱いされたいのか。
それとも、そう見られることに傷ついているのか。
その揺れが、彼の中にあったのかもしれません。
後から聞いた家庭内の記憶にも、彼自身が抱えていた苦しさの一端を感じることがありました。
私は、そのとき彼も苦しんでいるのだろうと思いました。
けれど、私にはどうしてあげることもできませんでした。
その頃には、私自身もできるだけ彼らと距離を取りたいと思うようになっていました。
仕事への熱も、少しずつ落ち始めていた時期だったと思います。
次男の参加は、崩れたバランスを保つためでもあった
その後、次男も会社に入ることになります。
元専務からその話をされたとき、私はすぐに承諾しました。
すでに「親族を入れない」という条件は、奥様と長男の関与によって崩れていました。
それなら、次男の参加は、むしろ内部のバランスを整える可能性があると思ったのです。
次男は温和な性格でした。
とても話しやすく、本部で三人でいるときの雰囲気は悪くありませんでした。
彼は、「三人兄弟みたいですね」と言うような人でした。
実務上も、人手は足りませんでした。
猫の手も借りたいくらいの状態でしたから、七店舗目の店長として迎えることにも了承しました。
不安がなかったわけではありません。
しかし、当時の私には、反対する気力もほとんど残っていませんでした。
それ以上に、次男が入ることで、長男や奥様の言動がこれ以上悪い影響を及ぼさないようになるなら、その方がよいとも考えました。
元専務も、次男がいると家が落ち着くと言っていました。
おそらく次男は、自分が暴走を防ぐ役割を担っていることを、どこかで理解していたのだと思います。
それは、本人が選んだというより、家庭の中で自然に身についてしまった役割だったのかもしれません。
家庭とは、そういうものでもあります。
誰かが強く出る。
誰かが受け止める。
誰かが間に入る。
その役割が、言葉にされないまま決まっていく。
次男は、その中でバランスを取る側にいたのだと思います。
会社に入ってきた次男も、そうした家庭内の役割を、そのまま職場へ持ち込むことになりました。
ここでもまた、家庭と職場の境界は曖昧になっていきました。
月曜会議は、少しずつ重くなっていった
店舗が増えるにつれて、毎週月曜日に会議を行うようになりました。
参加するのは、店長以上のメンバーです。
遠方の二店舗と、経理の川島さんは除かれていました。
時間は、朝九時から正午まで。
三時間の会議です。
その会議は、元専務の独壇場に近いものでした。
売上、在庫、スタッフ、店舗の状態、問題点。
さまざまな話が出ます。
最初は、店舗運営上必要な会議だったのだと思います。
しかし、後半になるにつれて、会議の空気は変わっていきました。
次第に、マネージャーである私への吊るし上げのような方向になっていきます。
結局、マネージャーが不甲斐ない。
そういう結論に向かっていくように感じられました。
店長といっても、もともと販売経験が豊富な人ばかりではありません。
パートでの勤務経験しかないような人も多かった。
当然、私に頼らざるを得ない面がありました。
一方で、火の粉をかぶるのは誰でも嫌です。
元専務の要求を消化し、現場の言葉に翻訳し、実際に動かせる形にする。
それができる人は、ほとんど私以外にいませんでした。
だから、圧力は私に集中していきました。
本部と現場のパイプ役であるはずが、いつの間にか圧力の受け皿になっていたのです。
日曜の夕方、身体が先に反応するようになった
やがて、日曜の夕方になると、身体が反応するようになりました。
家では、家族がよくテレビを見ていました。
サザエさんのエンディング音楽が流れると、嫌な気分になり、思考が止まるような感覚がありました。
明日は月曜会議だ。
そのことが、身体に先に伝わるのです。
家族はその番組が好きでした。
だから、私は悟られないように我慢して見ていました。
けれど、音楽が流れるたびに、気持ちは重くなりました。
日曜の夕方に、まだ何も起きていないのに、身体が先に拒否している。
それでも、月曜には出社しなければなりませんでした。
三時間我慢すれば、何とかなる。
そう思って通っていました。
会議が終われば、少しだけ気が楽になる。
けれど、また翌週が来る。
その繰り返しでした。
この頃には、私はもうかなり限界に近かったのだと思います。
頭で辞めると決めるより先に、身体が答えを出していたのかもしれません。
最後の会議で、出口が現れた
最後の会議で、決定的な出来事が起きました。
ここでは、出来事の細部を必要以上に書くつもりはありません。
ただ、身の危険を感じるほどの衝突が起きました。
元専務は大声でいさめ、次男は身体を張って止めようとしていました。
その場は、混乱していました。
私はその後、長男と二人で席を外しました。
そして、そこで会社を去ることを告げました。
もう戻らない。
その場で、そう決めたのだと思います。
会議の場に戻り、皆にもそのことを伝えました。
周囲は止めようとしました。
当然だったと思います。
私が抜ければ、現場は混乱する。
多くの仕事が私に集中していた。
仕入れ、店舗運営、人事、交渉、会議、調整。
それを考えれば、止める人がいても不思議ではありません。
けれど、長男だけは違いました。
「行かしてやってくれよ」
そう一喝したのです。
その言葉は、今でも不思議な形で残っています。
それまで私を苦しめてきた存在でもありました。
同時に、その言葉によって、私は会社を出ることができました。
私だけの意思では、まだ抜け出せなかったかもしれません。
約束があり、責任があり、現場があり、次の仕事への不安もありました。
けれど、その言葉が、最後の扉を開けたような形になりました。
私はそのまま辞職し、二度と会社に戻ることはありませんでした。
辞めた瞬間に来たのは、不安ではなく爽快感だった
辞職した瞬間、最初に来たのは不安ではありませんでした。
爽快感でした。
もちろん、将来への不安がなかったわけではありません。
収入はどうするのか。
次に何をするのか。
家族をどう支えるのか。
そうした問題は当然ありました。
けれど、そのときの私は、それを考え続けることさえできないほど追い詰められていたのだと思います。
将来への不安があったから、無理にその場に残っていた。
けれど、最後の段階では、その不安を無視してでも離れなければならないところまで来ていた。
家に戻ると、妻から「顔色が良くなってよかった」と言われました。
それほど、私は顔に出ていたのでしょう。
身体は、もう限界を超えていたのかもしれません。
退職後、元専務から連絡はありませんでした。
しばらくの間、元専務や長男が怒鳴っている夢を見ることもありました。
あまり気分のよいものではありませんでした。
今でも、ごくたまに夢に出てくることがあります。
ただ、今はそれに大きく揺さぶられることはありません。
時間が経ち、別の仕事を重ね、ようやく距離が取れるようになったのだと思います。
苦い出来事が、出口になることもある
あの辞め方は、決してきれいな終わり方ではありませんでした。
計画的な退職でもありません。
円満な引き継ぎでもありません。
会議の混乱の中で、私はその場で会社を去ることになりました。
けれど、今振り返ると、あの出来事がなければ、私はもっと長くそこに居続けていたかもしれません。
最初の条件は崩れていました。
身体も拒否し始めていました。
日曜の夕方には、すでに月曜会議に反応していました。
それでも、約束や責任や将来への不安によって、私はその場から離れられなかった。
だからこそ、最後の出来事は、苦いものでありながら、出口でもありました。
人は、いつも自分の意思だけできれいに離れられるわけではありません。
限界まで続けてしまうことがあります。
役割に絡め取られ、周囲の期待を背負い、次の道が見えないまま、その場に残り続けてしまうことがあります。
そして、ある出来事が、半ば強制的に外へ出るきっかけになる。
その出来事自体は、決して望ましいものではありません。
けれど、その出来事によって、ようやく外へ出られることもあります。
私にとって、二度目の独立を離れた瞬間は、まさにそういうものでした。
最初の条件が崩れたとき、私はもう長くないと思っていました。
けれど、実際に離れるまでには、さらに時間がかかりました。
身体が先に反応し、会議が重くなり、人間関係が崩れ、最後に思いがけない形で出口が現れる。
この経験は、今も私の中に残っています。
そして、後から思うのです。
本当に見るべきだったのは、最後の出来事だけではありません。
その前に、条件はすでに崩れていた。
身体はすでに反応していた。
心はすでに離れ始めていた。
そこに気づけるかどうかが、本当は大切だったのだと思います。
正解を探す前に、判断の前提を整える。
条件が崩れたとき、人はすぐに離れられるとは限りません。
責任、約束、周囲への配慮、将来への不安が重なると、身体が限界を知らせていても、その場に残り続けてしまうことがあります。大切なのは、最後の出来事だけを見るのではなく、その前から崩れ始めていた条件に気づくことです。
初回整理相談では、40分の対話を通じて、いま抱えている違和感や迷いを整理し、次に何を見ればよいのかを一緒に確認していきます。
家族・事業・住まい・お金が絡み合う判断について
事業、家族、資金繰り、住まい、お金が重なったとき、 判断は単純な損得だけでは整理しきれなくなることがあります。
いま似たような絡み合いを感じている場合は、 まず全体の見取り図をつくることから始められます。

