守りたかった場所が、収益の中で変わっていった──最初の創業で見落としていた目的と条件

会社をつくるとき、最初にあった願いが、最後まで同じ形で残るとは限りません。

最初は、誰かの働く場所を守りたいという思いだったかもしれません。仲間ともう一度やり直したいという気持ちだったかもしれません。崩れかけた現場をそのまま終わらせたくない、という責任感だったかもしれません。

けれど、会社として動き始めると、すぐに別の現実が入ってきます。

売上をつくらなければならない。利益を出さなければならない。仕入れをしなければならない。支払いをしなければならない。人を雇い続けるには、毎月の資金が必要になる。

そうなると、最初の願いは少しずつ形を変えていきます。

守りたい場所があるからこそ、収益が必要になる。収益をつくるために動くほど、当初守りたかった環境や人間関係が変わっていく。

最初の創業で、私はそのことをかなり強く経験しました。

会社は、一人の決意だけで生まれたわけではありませんでした。崩れかけた現場があり、残された仲間がいて、周囲の支援や信頼が重なり、気がつけば会社設立へ向かっていました。

けれど、会社ができたあとも、その願いがそのまま守られたわけではありません。

むしろ、会社が動き始めたあとにこそ、目的、収益、人間関係、責任の境界線が少しずつ変わっていったのです。


4人が共に働ける場所をつくりたかった

最初の創業にあった願いは、とても単純でした。

自分一人のために会社を持ちたい、ということではありませんでした。大きな成功を収めたいとか、経営者として名を上げたいとか、そういう気持ちが中心にあったわけでもありません。

むしろ、その頃の私は、役員という立場や会社を動かすことに、どこかうんざりしていた部分さえありました。

それでも会社をつくる方向へ動いたのは、残された人たちがいたからです。

前の会社で起きた混乱の中で、働く場所が失われようとしていました。自分が関わり、引き入れ、共に動いてきた人たちがいました。その人たちをそのまま放り出すことはできない。少なくとも、自分にできることがあるなら動いてみるしかない。

そのときの唯一の条件は、4人が共に働ける環境をつくることでした。

いま振り返ると、それはかなり素朴な願いだったと思います。事業計画として十分に練られていたわけではありません。資金繰り、組織設計、役割分担、将来の拡大方針まで、最初から明確だったわけでもありません。

ただ、働く場所を守りたいという思いがありました。

会社をつくるというより、まずは失われかけた場をつなぎ止めようとしていたのだと思います。

けれど、会社は思いだけでは続きません。

場所を守るには収益が必要です。人が働き続けるには、支払いが必要です。商品をつくるには、仕入れや生産の条件が必要です。売上を立てるには、取引先との関係が必要です。

最初の願いは「4人で働ける場所を守ること」だったとしても、その願いを維持するためには、事業として回さなければならない。

そこから、少しずつ目標が変わっていきました。

最初は環境を守るための収益だったものが、いつの間にか収益を上げることそのものに重心を移していく。

それは、ある意味では当然です。

けれど、その当然の中で、最初に守りたかったものが少しずつ変質していくことがあります。


収益を守るために、関係性が変わっていく

会社を始めた直後は、誰もが同じ方向を見ているように感じることがあります。

危機の中で集まり、働く場所を守るために動く。目の前にやることがあり、商品をつくり、売り、支払いをし、次の取引につなげる。忙しさの中では、細かな違和感に立ち止まる余裕もありません。

しかし、会社が動き始めると、人間関係は少しずつ変わっていきます。

最初は同じ場所を守る仲間だったはずの関係が、やがて役割、責任、成果、評価、収益の分配、判断権限といったものを帯びていきます。

誰が何を決めるのか。

誰がどこまで責任を負うのか。

売上が伸びたとき、その成果は誰のものとして扱われるのか。

うまくいかないとき、誰がその負荷を背負うのか。

こうしたことは、会社が小さいときほど曖昧になりがちです。

最初は、信頼関係で乗り切れるように見えます。細かいことを決めなくても、互いにわかっているように感じます。けれど、事業が動き始めると、その曖昧さが少しずつ摩擦になります。

私自身、そのときは二項対立ではなかったと思っています。

誰かが悪い、誰かが正しいという単純な話ではありません。守りたい場所があり、そのために収益が必要で、収益をつくるために判断が必要になる。その中で、それぞれの立場や見え方が変わっていった。

ただ、当時の私は、どちらかを選ぶしかないように感じていました。

環境を守るのか、収益を優先するのか。

人間関係を守るのか、事業として前に進めるのか。

今なら、もう少し別の選択肢があったのかもしれないと思うことがあります。もっと早く役割を分ける。目的を確認する。収益の条件を共有する。誰がどの責任を負うのかを明確にする。撤退や縮小の基準を持つ。

けれど、その渦中にいるときには、そこまで見えていませんでした。

会社はものすごい速度で変化していきました。二転三転どころではありません。気づけば、最初に一緒に働こうとしていた人たちは、数年後には一人も残っていませんでした。

一方で、会社の外形は大きくなっていました。

最初は小さな事務所から始まったはずの会社が、ファッションの一等地とも言える原宿に事務所を構えるところまで進みました。

傍目には、成長企業だと思われいたことでしょう。

けれど、中身は、最初に守りたかったものとは違っていました。


創業者と周囲の温度差は、簡単には埋まらない

この時期に強く感じたことの一つに、創業者と周囲の人たちとの温度差があります。

これは、どちらが正しい、どちらが間違っているという話ではありません。

創業者は、事業を自分の身体の一部のように感じていることがあります。資金繰り、取引先、商品、人の動き、次の展開、支払い、回収、在庫。そのすべてが、自分の中で常に動いている。

眠っていても、頭のどこかで会社のことを考えている。売上が伸びても、次の資金繰りを考えている。人が辞めても、次にどう現場を回すかを考えている。取引先の反応ひとつで、数か月先の流れまで想像してしまう。

一方で、周囲の人たちは、同じ会社にいても、同じ温度でその全体を見ているわけではありません。

任された仕事があり、日々の役割があり、自分の生活があり、自分の将来があります。創業者が見ている危機感や速度感を、同じように共有できるとは限りません。

この温度差は、努力だけでは簡単に埋まりません。

創業者側は、「なぜわかってくれないのか」と感じることがあります。周囲は、「なぜそこまで求められるのか」と感じることがあります。

その差が言葉にならないまま積み重なると、関係性は少しずつ歪んでいきます。

これは、自分自身の創業でも感じましたし、かつてカリスマ的な経営者のそばにいたときにも感じていたことです。

強い経営者は、現場の空気や数字の変化を非常に速く感じ取ります。その速さは力にもなります。けれど、周囲の人が同じ速度で見えているわけではありません。

創業者や経営者の温度が高いこと自体が悪いわけではありません。

むしろ、その温度があるから事業が動くこともあります。

ただ、その温度差を整理しないまま進むと、熱量は力であると同時に、周囲との距離にもなります。

私もその距離をうまく扱えなかったのだと思います。

守りたい場所がある。だから収益が必要になる。収益が必要だから、もっと動かなければならない。もっと動くほど、自分の温度は上がっていく。けれど、周囲が同じ温度でついてくるとは限らない。

この差を、当時の私は十分に見立てられていませんでした。


事業がようやく回り始めた矢先に、外側の条件が変わった

事業は、少しずつ回り始めました。

商品は売れていました。店舗では反応がありました。取引先もあり、商品力もあり、仕事としての形はできてきていたと思います。

けれど、会社がようやく回り始めた矢先に、大きな外側の条件が変わります。

バブルの崩壊です。

それまでとは、取引先の反応が変わっていきました。

商品は売れている。けれど、支払いを渋られる。回収が遅れる。相手も資金繰りが苦しくなっている。こちらの商品が店頭で動いていることと、こちらに現金が入ってくることは別の問題になっていきました。

ここで、事業の怖さが出てきます。

売れていることと、会社が続くことは違います。

売上があることと、現金があることも違います。

当初、私は現金決済を重視していました。できるだけキャッシュで取引を完結させる。その方が事業の状態を見誤りにくいからです。

けれど、状況が変わる中で、そのポリシーを歪めざるを得ない取引に入っていきました。

手形です。

手形を使えば、表面上は取引が続きます。商品は流れ、売上も立ちます。けれど、回収が遅れれば、決済のタイミングで資金が詰まります。

回収が追いつかない。

手形決済ができない可能性が出てくる。

そこで、早く現金化するために商品を安く売る。つまり、ダンピングに近い形で商品をさばく。

すると、一時的には現金が入ります。

けれど、利益は薄くなり、次の仕入れや支払いのためにまた現金が必要になる。

自転車操業の始まりです。

この頃の私は、売れている商品があるのに、会社が楽にならないという現実を経験しました。

数字のどこを見るかによって、見える景色は変わります。

売上を見れば、まだ動いているように見える。

店頭の反応を見れば、商品は評価されているように見える。

けれど、回収、支払い、手形、在庫、値引き、資金繰りを見れば、会社の土台はかなり危うくなっている。

この差を見誤ると、事業は一気に苦しくなります。


目的が変わったのか、条件が変わったのか

この時期を振り返ると、何度も考えることがあります。

最初の目的は、4人が共に働ける場所をつくることでした。

それは、途中で消えたのでしょうか。

それとも、目的は残っていたけれど、その目的を支える条件が変わってしまったのでしょうか。

おそらく、両方だったのだと思います。

場所を守るには収益が必要でした。収益をつくるには取引を増やす必要がありました。取引を増やすには商品をつくり、売り、回収し、次に回す必要がありました。

その過程で、当初の目的は、いつの間にか後ろに下がっていきました。

守るために始めたはずの収益づくりが、やがて収益を維持するための判断になっていく。

人を守るための会社が、会社を守るために人に無理を求め始める。

こういう反転は、事業だけでなく、暮らしの中でも起こります。

家族を守るために働いていたはずが、仕事を維持するために家族との時間を失っていく。

安心のために貯蓄していたはずが、数字を増やすことが目的になっていく。

暮らしを整えるために家を買ったはずが、住宅ローンを支えるために暮らしが硬くなっていく。

目的と手段は、時間の中で入れ替わることがあります。

その入れ替わりに気づけるかどうかは、とても大切です。

当時の私は、十分に気づけていなかったのだと思います。

目の前の支払い、取引、在庫、回収、手形、商品、スタッフ。次々に起きることに対応しながら、最初に何を守ろうとしていたのかを、落ち着いて見直す時間を持てていませんでした。

もちろん、その場では必死です。

きれいごとだけでは会社は続きません。収益は必要です。現金も必要です。支払いを止めるわけにはいきません。

けれど、だからこそ、どこかで問い直す必要がありました。

いま追っている収益は、何を守るためのものなのか。

そのために失っているものは何か。

この会社は、最初に守ろうとした場所と同じものなのか。

その問いを持てないまま走り続けると、気づいたときには、守りたかったものとは別の場所に立っていることがあります。


事業譲渡と、形式上残った責任

やがて、会社は立ち行かなくなっていきました。

私は、ある程度の借金を抱えることになります。そして、一時は形になっていた事業を、支援してくれていた投資家に譲渡することになりました。

自分はその会社から退く。

そういう形になりました。

ただ、ここにも後から考えると妙な構造が残っていました。

実質的には退いているのに、しばらくの間、代表取締役としての席は残っていたのです。

そのときの私は、その意味を十分に理解していませんでした。投資家側にも何かしらの考えがあったのでしょう。けれど、実務から退いているのに、形式上の責任だけが残るという状態は、かなり危ういものです。

当時の私は、その危うさを想定できていませんでした。

これは、事業に限らず、人生の判断でも起こり得ることです。

実態としては関わっていないのに、名前だけが残っている。

役割としては離れているのに、責任だけが曖昧に残っている。

気持ちとしては終わっているのに、契約や肩書きや関係性が残っている。

こうしたズレは、あとから問題になります。

私はこの時期、実質と形式のズレを軽く見ていたのだと思います。

会社を譲渡した。自分は退いた。そう思っていた。

けれど、形式上の責任が残っているなら、それは終わっていないのです。

このことは、後になってかなり重い意味を持つことになります。

当時の私には、それが見えていませんでした。

ここでもまた、判断の前提を十分に確認しないまま、次へ進もうとしていたのだと思います。


後から見える、最初の創業で見落としていたこと

最初の創業を振り返ると、そこには多くのものがありました。

仲間を守りたいという思い。

周囲からの信頼。

韓国側、日本側、それぞれの支援。

商品が売れる手応え。

原宿に事務所を構えられるほどの成長。

そして、収益の重圧、人間関係の変化、バブル崩壊、手形、資金繰り、自転車操業、事業譲渡。

単純に成功とも失敗とも言い切れません。

ただ、今なら見えることがあります。

最初に守りたかった目的と、それを維持するために必要な条件を、もっと早く分けて見る必要があったのだと思います。

4人が共に働ける場所を守りたい。

そのためには、どの規模が適切だったのか。

どの収益水準までなら、人間関係や環境を保てたのか。

どこから先は、目的ではなく拡大そのものを追い始めていたのか。

創業者としての自分の温度と、周囲の温度差をどう扱うべきだったのか。

現金決済の原則を崩すとき、どのリスクを見ておくべきだったのか。

事業譲渡後に、形式上の責任を残さないためには、何を確認すべきだったのか。

当時は、そこまで見えていませんでした。

けれど、その見えていなかったものこそが、今の自分の相談の土台になっています。

人は、最初の目的を持っていても、途中で条件が変わります。

守りたいものがあっても、その守り方が変わります。

収益、責任、関係性、肩書き、契約、生活、体力。そうした条件が変わる中で、最初の目的がいつの間にか別のものに置き換わっていくことがあります。

だからこそ、相談の場では、表面の選択肢だけでなく、何を守ろうとしているのか、何が目的で、何が手段なのかを丁寧に見立てる必要があると感じています。

最初の創業で見落としていたことは、今の仕事の中で、別の形で生きています。



正解を探す前に、判断の前提を整える。

最初に守りたかったものが、時間の中で別の目的に置き換わっていくことがあります。仕事、お金、家族、住まい、これからの暮らし方が重なり合うとき、まず必要なのは、何を守ろうとしているのか、何が目的で、何が手段なのかを見立て直すことです。

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