終わったあとに、ようやく息ができた──事業譲渡後に見えた、役割と関係性のずれ

事業を手放したあと、最初に残った感情は、喪失感だけではありませんでした。

むしろ、自分でも少し意外だったのですが、安堵感の方が強かったのです。

手元にあった預貯金は、生活費にして一か月分ほど。一定の借金も残っていました。外から見れば、かなり厳しい状態だったと思います。事業を譲渡し、身ひとつに近い形で会社を離れる。これからどうするのかも決まっていない。

途方に暮れるには十分すぎる状況でした。

それでも、心の奥には、どこかほっとした感覚がありました。

やっと、あの苦痛から逃れられる。

その思いの方が強かったのです。

不思議なことに、深く落ち込んでいた時間は、それほど長くありませんでした。もちろん、状況は苦しかった。お金の不安もありました。これからの道も見えていませんでした。

けれど、事業の中で背負っていたものから離れられるという感覚が、まず自分の中にありました。

終わることは、いつも敗北だけを意味するわけではありません。

ときには、終わることでようやく息ができることがあります。


戻りたかったのではなく、もう一度会ってみたかった

事業を離れたあと、私はかつての上司を訪ねました。

その人の会社は、以前いた商社系のアパレル会社から離れ、独立した形になっていました。従業員の人たちから、その上司が代表取締役になっているという話は聞いていました。

ただ、そこへ再就職するつもりで訪ねたわけではありません。

もう一度会ってみたかったのです。

少しエネルギーをもらいたかった。そこから何か別の形が始まるような気がした。明確な計画があったわけではありません。ただ、事業を離れ、次の足場が見えない中で、かつて自分を知っている人に会ってみたいという感覚がありました。

ところが、会った瞬間に言われました。

「何をやっているんだ」

「お前にそんな教え方をした覚えはない」

そして、戻ってこいと言われました。

しかも、ただ戻ってこいというだけではありません。三か月分の生活費、支度金を出す。給料も、生活していくには十分な金額を提示する。そういう条件でした。

その言葉には、ありがたさもありました。

自分が困っていることを見抜いたうえで、受け止めようとしてくれたのだと思います。

私は戻ることにしました。

ただ、戻った場所は、以前の場所とはまったく違っていました。


以前の場所に戻っても、同じ関係には戻れない

戻った会社には、すでに取締役であり、ナンバー2にあたる人がいました。

その人は、私よりもはるかに優れた人物だったと思います。人柄もよく、私にもとてもよくしてくれました。自宅に招いてくれたり、食事を持ってくれたり、一緒にテニスをしたりもしました。

どこか兄のような存在でした。

けれど、私はその会社の中で、非常に曖昧な位置に入ることになります。

社長は、かつての私の仕事ぶりを知っていました。だから、どちらかというと、そのナンバー2の人よりも私を信頼しているような場面がありました。

社長が休むとき、会社の状況を把握しようとして、私にいろいろ聞いてくることもありました。

それ自体は、信頼の表れだったのかもしれません。

しかし、その信頼が、すでにいるナンバー2との関係に微妙な影を落としていきます。

私は、その人が嫌いだったわけではありません。むしろ、とてもよくしてもらいました。人としても好きでした。だからこそ、居づらかった。

社長とその人との信頼関係が、どこか薄いものだということは、前々から感じていました。

そこへ、自分が中途半端な形で入ってしまった。

社長は私を頼る。けれど、組織上は別のナンバー2がいる。その人は私に親切で、私はその人をないがしろにしたいわけではない。

こういう関係性の中にいると、単純に仕事ができるかどうかだけでは済まなくなります。

役割の境界が曖昧になる。

信頼の向きがねじれる。

誰を立てるべきなのか、どこまで踏み込むべきなのかが見えにくくなる。

この時期、私はおそらく、お金のためにそこにいたのだと思います。

生活を立て直す必要がありました。支度金や給与の支援はありがたかった。けれど、自分の居場所としてそこに深く根を下ろしていたわけではありません。

そんな状態が一年ほど続きました。

一年続いたこと自体、不思議だったとも思います。


アパレルはやめると言いながら、またアパレルへ向かった

その後、私は次の会社へ転職しました。

もうアパレルはやめる。

そう言っていたはずでした。

けれど、結果として次もアパレルでした。

ただし、以前とは少し違う領域です。高級志向の企画会社でした。これまでの仕事とは直接バッティングしない領域だったので、同じアパレルでありながら、違う場所へ移ったような感覚もありました。

そこでもまた、私はよい人に出会いました。

先輩がとても面倒を見てくれたのです。

一緒に飲みに行くこともありました。自宅に泊めてもらうこともありました。当時、私は青梅方面から渋谷まで通っていて、通勤だけでもかなり大変でした。給料も多くはありませんでした。その先輩は、そうしたところまで気にかけてくれて、助けてくれました。

本当にありがたい人でした。

ところが、その会社の社長は、その先輩に対して厳しく当たることがありました。

いじめる、と言ってもよいような場面がありました。

その先輩には、気の弱いところもありました。言い返せない。黙って受けている。その場面を、私はそばで聞いていました。

だんだん耐えられなくなっていきました。

自分が直接言われているわけではありません。

けれど、自分によくしてくれた人が、不当に扱われているように見える。それを黙って聞いていることができなくなったのです。

とうとう、私は社長に歯向かいました。

感情が爆発したのだと思います。

そして、その足で退職しました。

ただ、このときは、以前ほど無防備ではありませんでした。

爆発する前に、次の就職先は決めていました。

苦い経験を通じて、少しは先のことを考えるようになっていたのかもしれません。


自分のことより、人が傷つけられる場面に反応してしまう

振り返ると、この時期には一つの傾向が見えます。

私は、自分が苦しいことには、意外と耐えてしまうことがありました。

過酷な営業の環境でも、低い給与でも、厳しい上司のもとでも、ある程度は耐えてしまう。もちろん、限界はあります。けれど、自分のことだけであれば、麻痺してしまうこともありました。

一方で、自分によくしてくれた人が不当に扱われている場面には、強く反応することがありました。

最初の創業でもそうでした。

4人が共に働ける場所をつくりたいという思いがありました。自分一人のためではなく、関わった人たちの働く環境を失わせたくないという感覚がありました。

今回の高級志向の企画会社でも、先輩が社長に強く当たられているのを見て、黙っていられなくなりました。

これは、良い面でもあり、危うい面でもあったと思います。

人を見捨てられない。

不当に扱われている人を見ると、放っておけない。

けれど、その反応が強く出ると、自分の立場や今後の条件を十分に整える前に、動いてしまうことがあります。

当時の私は、そういう傾向をまだ十分には見立てられていませんでした。

人を守るために動く。

けれど、その動きが、自分自身の条件をどう変えるのかまでは見切れていない。

この構造は、のちの独立や相談の姿勢にもつながっていきます。

人の痛みや理不尽に反応できることは、大切です。

ただし、その反応だけで動くと、自分の判断の前提が見えにくくなることがあります。

そこを後から何度も学ぶことになりました。


行き先がなくなったとき、助け舟を出してくれた人

次に入ったのは、カリスマ的な経営者が率いる会社の子会社でした。

最初は企画担当として入りました。つまり、デザイナーに近い仕事です。

デザインの道から営業へ進み、事業を経験し、またアパレルの企画へ戻ってきたような形でした。

しかし、その企画の仕事が、やがて必要なくなっていきます。

私は行き場所を失いました。

そのとき、助け舟を出してくれた人がいました。

本社の専務です。

後に、私はその人と独立することになります。

その専務は、面接のときから私のことを気に入ってくれていたようでした。どうしても入社させろと言ってくれた経緯があったと聞いています。

その人が、本部に来いと言ってくれました。

栄転ではありません。

むしろ、行き先がなくなったところを拾ってもらったという感覚に近いです。

本社に移るにあたり、給与は下がりました。子会社との給与水準の違いもあり、たしか15%ほどカットされたと思います。

それでも、その移動によって、私は本社に入ることになりました。

そして、ここからカリスマ経営者との縁が始まります。

後に、40店舗ほどのマネジメントを経験し、売場を見て、人を見て、数字の前にある条件を見ることを学ぶことになります。

そして、その本社の専務との関係が、二度目の独立へとつながっていきます。


戻った場所、離れた場所、拾われた場所

事業譲渡後の数年間を振り返ると、私は何度も場所を移っています。

かつての上司のもとに戻った。

けれど、そこは以前とは違う場所だった。

高級志向の企画会社へ移った。

けれど、そこで大切にしてくれた先輩が傷つけられる場面に耐えられず、離れることになった。

次の会社では、企画担当として入ったものの、その役割がなくなり、行き場を失った。

そして、本社の専務に拾われる形で、カリスマ経営者のいる本体へ移っていった。

こうして見ると、この時期の私は、自分で確固とした計画を立てて進んでいたというより、いろいろな人に助けられながら、次の場所へ運ばれていたようにも見えます。

もちろん、自分で選んだ部分もあります。

けれど、それだけではありません。

人に会いに行ったら戻ることになった。

人を守ろうとして辞めることになった。

役割が消えたところを、別の人に拾われた。

そのたびに、自分の意思だけではなく、人との関係、役割のズレ、信頼、義理、理不尽への反応が判断に入り込んでいました。

これもまた、人生の転機の現実なのだと思います。

人は、自分の意思だけで動いているようでいて、実際には多くの条件に動かされています。

お金の不安。

過去の関係。

自分を知っている人の言葉。

自分を助けてくれる人への感謝。

不当に扱われる人を見たときの怒り。

行き場を失ったときに差し出された助け舟。

そうしたものが重なって、次の道が決まっていくことがあります。


撤退後の時間が、次の独立の前提をつくっていた

この時期は、表面的には落ち着かない時間でした。

事業を譲渡し、手元資金も少なく、借金もあり、安定した居場所もない。戻った場所にも違和感があり、次の会社でも人間関係に耐えられず、さらに次の会社では役割が消えていく。

ただ、後から見ると、この時間は二度目の独立へ向かう前提をつくっていました。

かつての上司のもとへ戻ったことで、以前の場所に戻っても同じ関係には戻れないことを知りました。

高級志向の企画会社では、人に支えられることと、人が傷つけられる場面に反応してしまう自分を見ました。

子会社から本社へ移ったことで、カリスマ経営者との縁が始まり、現場を見る力をさらに鍛えられることになります。

そして、本社の専務との関係が、後の二度目の独立につながっていきます。

つまり、この時期は単なる寄り道ではありませんでした。

崩れたあとに、もう一度現場へ戻り、人との関係の中で自分の役割を探していた時間でした。

一度目の創業が終わったあと、自分は何を失い、何を手放し、何に反応し、誰に助けられ、どこへ運ばれていったのか。

その一つひとつが、次の独立の条件になっていきました。

人生の流れは、きれいな直線ではありません。

終わったあとに、すぐ次の答えが見えるわけでもありません。

けれど、終わったあとの不安定な時間の中でしか見えないものがあります。

自分が何に耐えられないのか。

どんな人に助けられてきたのか。

どのような関係性の中で居づらくなるのか。

自分は何に反応して、どこへ動いてしまうのか。

その確認が、後の判断の前提になっていくのだと思います。


終わったことは、終わり切っていないことがある

事業を譲渡したとき、私は一つの区切りがついたと思っていました。

会社から離れた。

事業を手放した。

次へ進むしかない。

そう考えていたのだと思います。

しかし、実際には、終わったことが完全に終わり切っていない場合があります。

実質的には離れているのに、形式上の責任が残っていることがあります。

気持ちとしては終わっていても、契約や肩書きや人間関係が残っていることがあります。

生活は次に進んでいても、過去の事業がまだ自分の背後に残っていることがあります。

この時期、私はそのことをまだ十分に理解していませんでした。

終わったつもりで次へ動いている。

けれど、過去の整理が完全ではない。

そのズレは、後になって問題として戻ってくることがあります。

このことも、いまの相談の場ではとても大切にしています。

退職、転職、独立、事業譲渡、相続、離婚、住まいの変更、家族関係の変化。

人は「終わった」と思っていても、まだ終わっていない条件を抱えていることがあります。

名前が残っている。

責任が残っている。

感情が残っている。

関係性が残っている。

契約が残っている。

そこを見ないまま次へ進むと、後から思わぬ形で戻ってくることがあります。

だから、次へ進む前には、何が本当に終わっていて、何がまだ残っているのかを確認する必要があります。

私自身、それを十分にできていなかった時期がありました。

その経験もまた、現在の相談の見立てにつながっています。


次の場所へ運ばれる時間

事業譲渡後の時間は、思い返すと不安定な時間でした。

けれど、ただ空白だったわけではありません。

むしろ、次の場所へ運ばれるための時間だったのかもしれません。

一度目の創業で、私は「守りたかった場所」が収益や関係性の中で変わっていくことを経験しました。

その後の転職期では、戻った場所が以前とは違っていることを知り、人に助けられながらも役割の曖昧さに苦しみ、不当に扱われる人を見過ごせず、また次へ動いていきました。

そして、行き場を失ったところを助けてくれた専務との出会いによって、カリスマ経営者のいる現場へ入っていきます。

そこから、二度目の独立へつながる時間が始まります。

この流れは、自分一人の計画で描いたものではありません。

むしろ、その都度、目の前の関係性や違和感、助け舟、居づらさ、責任の感覚に動かされていました。

だからこそ、今振り返ると、人生の転機は「決断」だけで説明できないと感じます。

決断の前には、環境があります。

関係性があります。

役割のズレがあります。

安堵感があります。

怒りがあります。

助けてくれる人がいます。

行き場を失う瞬間があります。

それらが重なって、ようやく人は次の場所へ移っていく。

事業譲渡後の時間は、そのことを教えてくれた時期でした。

終わったあとに、ようやく息ができた。

そして、息ができたあとに、自分でも気づかないまま、次の独立へ向かう条件が少しずつ整っていったのだと思います。



正解を探す前に、判断の前提を整える。

終わったと思っていることの中にも、まだ整理されていない条件が残っていることがあります。働き方、お金、家族、住まい、過去の経験、これからの暮らし方が重なり合うとき、まず必要なのは、何が判断を難しくしているのかを見立て直すことです。

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