現場を見る社長と、仕組みを整えようとした専務──二度目の独立前夜に見えていたもの

現場を見る社長と、仕組みを整えようとした専務──二度目の独立前夜に見えていたもの

一度目の事業を手放したあと、私はいくつかの場所を移りながら、次の足場を探していました。

かつての上司のもとへ戻った時期がありました。高級志向の企画会社へ移った時期もありました。そして、その後、カリスマ的な創業者が率いる会社の子会社に、企画担当として入ることになります。

最初は、デザインや企画に近い役割でした。

けれど、その仕事はやがて必要とされなくなっていきます。会社の中で、私の役割は宙に浮きました。

そのとき、本社へ引き上げてくれた人がいました。

本社の専務です。

その人は、面接のときから私のことを気に入ってくれていたようで、どうしても入社させろと言ってくれた経緯があったと聞いています。子会社で行き場がなくなりかけていた私に、本部へ来る道をつくってくれたのも、その専務でした。

栄転というより、拾ってもらったという感覚に近かったと思います。

本社へ移るにあたり、給与は下がりました。子会社と本社では給与体系が違い、たしか一五%ほど下がった記憶があります。

それでも、行き場がなくなりかけていた自分にとって、本社へ移れることは大きな助けでした。

このとき私は、まだ二度目の独立へ向かっているとは思っていませんでした。

ただ、目の前に与えられた役割をこなしていく。自分を拾ってくれた人のもとで、できることをやる。

その程度の感覚だったのだと思います。

けれど、振り返ると、この本社移籍こそが、後に二度目の独立へ向かう大きな入口になっていました。


専務直下で、私は営業の現場に入った

本社へ移ったあと、私は営業として専務の直下に入る形になりました。

担当したのは、店舗巡回、売上管理、店長やスタッフへの対応、商品や売場への助言、新店準備などです。

店舗を回り、売場を見て、人を見て、数字を確認する。必要があれば、店長やスタッフと話し、売れ方や並べ方を変える。新しい店舗を出すときには、準備段階から現場へ入る。

いま振り返ると、この時期に私は、単に「販売管理」をしていたわけではありません。

売場の空気、人の動き、商品の見え方、スタッフの迷い、店長の癖、売上の数字の裏側にある条件を見ていたのだと思います。

数字は、結果として表に出てきます。

けれど、その前には必ず現場があります。

売れる商品がある。売れない商品がある。けれど、それは商品そのものの力だけで決まるわけではありません。どこに置かれているのか。誰がすすめているのか。お客様が店に入ったとき、最初に何が見えるのか。スタッフが声をかけやすい流れになっているのか。店長が何に意識を向けているのか。

そうしたものが重なって、数字になっていきます。

この感覚は、あとから相談業の中でも何度も思い出すことになります。

家計も、仕事も、住まいも、人間関係も、表に出ている数字や出来事だけを見ても、判断できないことがあります。

その前に、条件があります。

何が詰まっているのか。どこで流れが止まっているのか。誰が何を背負いすぎているのか。何が見えないまま進んでいるのか。

当時の私は、そこまで言語化できていませんでした。

ただ、店舗という現場の中で、数字の前にあるものを見る感覚を、身体で覚えていったのだと思います。


専務が整えようとしていたもの

専務は、よくも悪くも大きな組織のナンバー2でした。

頭は切れました。判断も早い。威圧感もありました。多くの人が専務に対して、どこか緊張していたと思います。私自身も例外ではありません。

親族やごく一部の近しい人を除けば、ほとんどの人が専務に対して身構えていたのではないでしょうか。

ただ、だからといって、専務を単純に「怖い人」「現場を見ない人」として片づけることはできません。

専務には、専務なりに見ていたものがありました。

それは、本部体制でした。

店舗が増えていく中で、いつまでも人の勘や勢いだけに頼っていては回らなくなる。店舗巡回でその都度修正するだけでは限界がある。もっと仕組みとして動くようにしなければならない。

専務は、そう考えていたのだと思います。

店舗マニュアルを整えること。商品管理を徹底すること。売上や在庫を本部側で把握できる仕組みをつくること。イトーヨーカ堂のPOSシステムや、マクドナルドのマニュアルのようなものを参考にしながら、店舗運営を標準化していくこと。

そうした話を、専務はよくしていました。

駅ビルやヨーカドー系の施設からは、店舗ビジュアルへの要請も多くありました。売場の見え方、統一感、什器、ディスプレイ。そうした部分にも、専務は対応しようとしていました。

店舗数が増えれば、現場の熱量だけでは足りなくなります。

人が変わっても、ある程度同じ品質で店が動くこと。商品がきちんと管理されること。店長の力量だけに依存しすぎないこと。出店先から求められる見え方に応えること。

これらは、会社が大きくなるうえで避けて通れない課題です。

専務は、創業者である社長が見ようとしない、あるいは軽視しがちな部分を埋めようとしていたのだと思います。

その意味では、専務は会社の後ろ側を支えようとしていた人でした。

ただし、専務自身が細かな実務を自分の手で積み上げるタイプだったかというと、そうではありません。

どちらかといえば、人を動かす側でした。指示を出し、役割を与え、実務は部下や周囲に任せる。大きな会社のナンバー2としては、むしろそれが自然だったのかもしれません。

そう考えると、むしろ異質だったのは社長の方だったのかもしれません。

一人は、現場に火を入れる人でした。

もう一人は、その火が燃え広がりすぎないように、裏側に水路を引こうとしていた人でした。

どちらか一方だけでは、会社は大きくならなかったのだと思います。


社長は、現場に一人で入っていく人だった

社長は、専務とはまったく違う動き方をする人でした。

専務が店舗巡回をするときは、たいてい数人を選んで連れていきました。三人ほど同行者をつけ、ある程度まとまった形で店舗を回る。それが専務の巡回スタイルでした。

一方、社長は一人で動くことが多かった。

本部に姿が見えないと思っていると、静岡あたりの店舗から突然電話が入ることがありました。

「今、社長は二十五番店にいるんだけど。この店で一番売れている商品を検索してくれ」

その一報で、本部はいきなりざわめき始めます。

社長がどこにいるのか、何を見ているのか、何を言い出すのか。現場から突然、本部が動かされる。

そういうことが何度もありました。

あるときは、店舗のパートさんらしき人から、本部へ慌てた連絡が入りました。

「店の前に、不審な男の人がバールを持って立っているんです。怖いです。助けてください」

本部側は一瞬緊張します。

けれど、確認してみると、それは社長でした。

もちろん、今の感覚で見れば笑い話だけでは済まないところもあります。店舗スタッフが怖がったのなら、それは現場にとっては実際に怖い出来事だったはずです。

ただ、この話には社長らしさがよく出ています。

社長は、現場へ直接入り込む人でした。

売場を遠くから眺めるのではなく、自分で見に行く。店の前に立つ。商品の流れを見る。お客様がどこから入り、何を見て、どこで止まるのかを確認する。必要なら、その場で本部へ電話を入れ、すぐに動かす。

社長が見ていたのは、きれいに整った店舗ビジュアルだけではありませんでした。

むしろ、売れる導線でした。

お客様の目線がどこに向かうか。どの商品が流れをつくるか。スタッフがどの位置にいれば売りやすいか。売場の入口から奥まで、どの順番で商品が見えるか。

社長は、そこを見ていました。

だから新店準備の現場に来ると、社長はよく怒りました。

「売れる導線が逆じゃないか」

そういう言い方をしました。

見た目が整っているかどうかより、売れる流れになっているかどうか。

そこに社長の関心がありました。


社長は、本部と現場のあいだにある溝を埋めていた

ただ、社長がしていたことを、単に「現場を見ていた」とだけ言うと、少し足りない気がします。

いま振り返ると、社長は本部と現場のあいだにある溝を、自分の身体で埋めに行っていたのだと思います。

会社が大きくなると、本部と店舗の距離はどうしても広がります。

本部は数字を見ます。売上、在庫、粗利、前年対比、店舗別の成績。もちろん、それは大切です。

けれど、現場には数字になる前の言葉があります。

店長が感じている違和感。スタッフが言い出せずにいる不満。お客様の動きの小さな変化。売場に立っている人にしかわからない滞り。商品はあるのに売れない理由。売れるはずの商品が、目に入らない場所に置かれている問題。

こうしたものは、帳票だけでは拾いきれません。

社長は、そこを拾いに行っていたのだと思います。

現場に一人で入り、店長やスタッフの言葉を聞き、売場の流れを感じ、その違和感を本部へつなぐ。必要であれば、その場で本部に電話を入れ、商品や数字を確認させる。

それは、現場の声を本部に翻訳する行為でもありました。

起業や組織づくりの場では、社長と従業員のあいだにある溝を埋める役割が重要だと言われることがあります。

社長の考えていることが、現場にはうまく伝わらない。

一方で、現場で起きていることが、社長には正しく届かない。

その溝が埋まり始めると、会社の動きが変わることがあります。

現場が何に困っているのかが本部に届き、本部の意図が現場に伝わり、両者の間にあった温度差が少しずつ縮まっていく。

社長は、そのパイプ役を、自分で担っていたのかもしれません。

だからこそ、会社は五百店舗近くまで伸びたのだと思います。

もちろん、それだけで成長を説明することはできません。

商品、人、出店先、時代の流れ、資金、組織の運営。いくつもの条件が重なっていたはずです。

けれど、現場の言葉を拾い、それを本部につなげる力があったことは、大きかったのではないかと思います。

社長は、ただ熱量だけの人ではありませんでした。

現場の言葉を拾い、売場の流れを読み、本部を動かす人でもあった。

その意味で、社長は現場と本部の間に立つ通訳者でもあったのだと思います。


三桁という言葉に、創業者の温度が出ていた

社長との違いを表す話として、忘れられないものがあります。

店舗数がまだ十店舗ほどだった頃、社長が「早く店舗を三桁にしたい」と言ったそうです。

周囲は当然、百店舗を思い浮かべます。

十店舗から百店舗。

それでも、十分すぎるほど大きな目標です。

ところが、社長はそういう意味で言ったのではありませんでした。

「何を馬鹿なことを言っている。もちろん九百九十九店舗だ」

そう言ったというのです。

この話には、創業者の温度が出ています。

周囲が「三桁」と聞いて百店舗を想像するところで、社長は九百九十九店舗を見ている。

それは現実的かどうかという話だけではありません。

見えている景色が違うのです。

創業者は、ときに周囲から見ると無茶に見える距離を見ています。

周囲は、その無茶さを現実に落とそうとします。資金、人、仕組み、管理、教育、店舗品質。見えすぎるからこそ、簡単には頷けない。

この温度差は、どちらかが正しく、どちらかが間違っているという話ではありません。

社長の熱量がなければ、会社はそこまで伸びなかったかもしれません。

一方で、専務のように後ろ側を整えようとする人がいなければ、その成長はどこかで崩れていたかもしれません。

現場へ火を入れる人。

本部の仕組みを整えようとする人。

この二人が噛み合っていたからこそ、会社は五百店舗近くまで伸びたのだと思います。

けれど、噛み合っていた関係は、いつまでも同じ形では続きません。

店舗数が増え、組織が大きくなり、人が増え、利害が増えるほど、創業者の熱と、ナンバー2の仕組みづくりは、少しずつ違う方向を向き始めます。

私は、その狭間にいました。


組織上は専務直下、感覚としては社長の現場を見ていた

私は、組織上は専務の直下にいました。

営業本部長である専務のもとで、店舗を回り、新店準備に関わり、売上を見ていました。

けれど、実践的な感覚としては、社長から学んだことが大きかったと思います。

社長と店舗を回ると、見る順番が変わります。

まず、売場に入った瞬間に何が目に入るのか。

入口からお客様がどう動くのか。

売れている商品が、きちんと流れの中に置かれているのか。

スタッフが売りやすい位置にいるのか。

社長は、そういうことを瞬時に見ていました。

理屈として説明される前に、現場で叩き込まれる感覚がありました。

その感覚を、自分の担当店舗でも試していました。

ある月例の営業会議でのことです。

営業組織は、本部長、課長、ブロック長、店長、社員、パートという階層になっていました。私は本社へ移って間もない頃で、課長とブロック長の間のような、少し曖昧な立場にいました。

会議では、各課長が担当店舗の問題点を話していました。

すると、社長が途中で遮るように言いました。

「業績の上がらない担当の話を聞いていてもしょうがない。齊木君、先に話しなさい。なんで君のところは四〇%増なんだ」

私は困りました。

実際の理由は、社長との店舗巡回で学んだことを、そのまま自分の担当店舗で試していたからです。

社長の見方を真似た。

それだけと言えば、それだけでした。

けれど、その場で「社長の真似をしたからです」とは言いづらかった。

私は専務の直属です。会議室には、課長たちもいます。社長と専務の間にある温度差も、なんとなく感じていました。

そこで不用意に、社長のやり方を前面に出せば、会議室の空気がどうなるかは想像できました。

私は言葉を濁しました。

すると社長に言われました。

「君はこの場に迎合しているんじゃないのか。なぜ自分のしてきたことを自信を持って言えないんだ」

逃げられないと思いました。

仕方なく、私は答えました。

「社長の真似をしてみただけです」

社長は、満面の笑みを浮かべました。

一方で、会議室の空気は冷えました。

その瞬間、私は自分の立ち位置の難しさをはっきり感じたのだと思います。

組織上は専務の下にいる。

けれど、現場で成果を出すために、自分が拠りどころにしていたのは社長の見方だった。

このねじれは、後になってじわじわ効いてきます。

その後、私は新店舗出店担当課長の補佐に専念することになります。

それは、営業本部長である専務の意向でもあったのだと思います。


新店準備の現場で見えた、二人の違い

新店準備の現場では、社長と専務の違いがさらにはっきり見えました。

社長が現場に来ると、売場の流れを見ます。

そして、気に入らなければ怒ります。

「売れる導線が逆じゃないか」

そう言われると、こちらはその場で修正に入らなければなりません。

社長にとっては、現場で見えた問題は、その場で動かして解決するものでした。

「問題は前に進んで解決しろ」

社長は、そういう言い方をよくしていました。

立ち止まって、原因を整理して、会議を重ねて、慎重に合意を取るというより、まず前に進む。動きながら修正する。進めば、次の問題が見える。そこをまた解決する。

それが社長の考え方でした。

一方、専務が新店準備の現場に来ると、少し違いました。

手土産を持って、にこにこと激励に来る。

そして、その後、パチンコへ行く。

仕事が終わったあと、こちらも合流して、一緒に食事をして別れることもありました。

もちろん、就業中にパチンコへ行くことを美化するつもりはありません。

今の感覚で見れば、到底そのまま肯定できるものではありません。

ただ、当時の営業文化や裁量、成果主義の空気の中では、そうした振る舞いが一定程度、黙認されていた面もあったのだと思います。

思い返せば、私の最初の上司にも似たところがありました。

その人は、たとえるなら「釣りバカ日誌」の浜ちゃんのような人でした。週に一度は直行直帰で磯へ出向いていた。私は本人から本当のことを聞いていましたし、社長もある程度は承知していたのではないかと思います。

こうした話を、人物の軽さだけで片づけることは簡単です。

けれど、当時の営業の現場には、今とは違う裁量の空気がありました。

結果を出していること。現場で人を動かしていること。組織の中で一定の役割を果たしていること。

そうしたものと、働き方のゆるさや危うさが、同じ空間に混在していました。

社長は、現場に火を入れる人でした。

専務は、仕組みを整えようとしながらも、実務の細部は人に任せる人でした。

どちらか一方だけでは、会社は伸びなかったのかもしれません。

けれど、その二人の違いの間にいる人間は、簡単ではありません。

私は、専務への恩義を感じながら、社長の現場感覚にも強く影響を受けていました。

その両方を抱えたまま、次の局面へ進んでいくことになります。


専務の立場が、少しずつ難しくなっていった

専務は、社内で強い存在でした。

威圧感があり、多くの人が身構えていました。頭も切れ、営業本部長としての力も持っていました。

けれど、強く見える人が、いつも強い場所に立っているとは限りません。

組織が大きくなると、人の見方は変わっていきます。

社長との距離、部下との関係、親族との関係、社内の派閥のようなもの、過去に誰を叱ったか、誰にどう見られているか。そうしたものが、少しずつ重なっていきます。

専務のまわりにも、やがて難しい空気が生まれていきました。

私生活に関わる疑念が持ち上がり、それをめぐって社内の反発が強まった時期がありました。

ただ、そのことを、私は断定的に書きたいとは思いません。

人の私生活に関わる話は、外から見えることと、実際に起きていることが違う場合があります。

噂は、組織の中で意味を変えます。

誰かが本当に問題を感じていたのかもしれない。別の誰かは、それを退職や反発の理由として使ったのかもしれない。過去の注意や恨みのようなものが、形を変えて戻ってきたのかもしれない。

事実がどうであったかを、いまここで裁くことはできません。

ただ一つ言えるのは、専務の立場が少しずつ追い込まれていったということです。

それまで多くの人が恐れていた人が、組織の中で別の見られ方をされ始める。

強いはずの人の足元が、社内の空気によって揺らいでいく。

その変化を、私は近くで見ていました。

専務に対して、私には恩義がありました。

本社に拾ってもらった。行き場がなくなりかけていたところを、本部へ移してもらった。その事実は消えません。

一方で、専務と一緒に独立したいと思っていたかといえば、そうではありません。

本音を言えば、そこまで望んでいたわけではありませんでした。

専務は怖い人でもありました。

頭は切れる。けれど、実務の詰めは人に任せるところがある。大きな組織のポジションに慣れている人でもある。だから、もし一緒に何かを始めることになれば、具体的に動く役割は誰が担うのか。

その答えは、なんとなく見えていたのかもしれません。

それでも、弱っていく人を前にすると、簡単には距離を取れない。

恩義がある人なら、なおさらです。


旅館の小さな風呂で、打診は切り出された

専務の立場が難しくなっていく中で、ある地方店舗巡回の出張がありました。

そのときも、専務は数人を連れて巡回していました。たしか四人ほどで動いていたと思います。

その頃の専務は、弱って見えました。

いつものような威圧感はありながらも、どこか力が落ちているように感じました。

出張先の旅館で、風呂に入ることになりました。

私と専務の二人です。

ただ、その風呂は小さな旅館の風呂でした。露天風呂のような開放的な場所ではありません。二人で入れば、正直かなり狭い。

私は言いました。

「専務、風呂が狭いですから、一人でゆっくり入ってくださいよ」

普通なら、そうなる場面です。

けれど、専務は言いました。

「齊木君に折り入って話したいことがあるから、こういう風呂がちょうどいい」

その言葉で、ただの入浴ではないことがわかりました。

狭い風呂で、逃げ場のない距離になる。

誰にも聞かれない。

改まった会議室でも、酒の席でもない。

そういう場所を、専務は選んだのだと思います。

そこで切り出されました。

「もし独立することになったら、手助けしてくれるかい」

打診に近いものでした。

私はその瞬間、忠誠心を試されているのかもしれないとも感じました。

専務は、自分の周りに誰が残るのかを見ていたのかもしれません。

自分が会社を離れることになったとき、誰が手を貸してくれるのか。誰が自分を見捨てないのか。そういうものを確かめようとしていたのかもしれません。

私の中には、いくつもの感情がありました。

本社に拾ってもらった恩義がある。

弱って見える専務を、放っておけない。

けれど、本音では、一緒に独立したいと思っていたわけではない。

もし手を貸せば、自分が実務の中心になるのではないかという予感も、どこかにあったのだと思います。

それでも、その場で明確に断ることはできませんでした。

私は、軽い気持ちで答えたのだと思います。

「いいですよ」

その言葉を聞いた専務は、安心したように見えました。

少し嬉しそうでもありました。

その表情を見たとき、私は自分が何か大きなことを引き受けたとは、まだ十分には思っていませんでした。

あくまで、手助けのつもりでした。

困っている人に、恩義のある人に、手を貸す。

それくらいの感覚だったのです。


「手助け」という言葉の中に、次の役割が隠れていた

あとから振り返ると、このときの「いいですよ」は、とても大きな言葉でした。

その場では、独立する覚悟を決めたつもりではありません。

共同で会社を立ち上げると決めたつもりでもありません。

専務を支える。必要なときに少し手を貸す。そういう感覚だったと思います。

けれど、現実には、手助けという言葉は、しばしば曖昧です。

どこまでが手助けなのか。

どこからが責任なのか。

誰が決めるのか。

誰が実行するのか。

誰が資金や人や現場を整えるのか。

その境界が曖昧なまま、物事が動き始めることがあります。

一度目の創業でも、私は最初から大きな事業をつくろうと思っていたわけではありませんでした。

守りたい場所があった。

一緒に働く人たちを失わせたくなかった。

状況が崩れ、自分が動けば形になりそうに見えた。

そして、気づけば実行役になっていました。

二度目も、似た構造が始まりかけていました。

専務が追い込まれている。

自分には恩義がある。

断りにくい場面がある。

相手は構想を持っている。

けれど、それを現実の店舗や会社にしていくには、具体的に動く人間が必要になる。

その空いた場所に、自分が入っていく。

この時点で、私はまだそれを十分に自覚していませんでした。

ただ、いま振り返れば、あの小さな風呂で交わした短いやり取りの中に、次の数年間の自分の役割がすでに隠れていたのだと思います。

人は、大きな決断をしたつもりがないまま、大きな流れに入っていくことがあります。

「少し手を貸すだけ」

「恩義があるから」

「困っているなら、放っておけない」

そうした言葉の中に、後から見れば大きな責任の入口が含まれていることがあります。

このときの私は、まだそこまで見えていませんでした。

社長の現場感覚に影響を受け、専務への恩義を抱え、組織の中の空気の変化を感じながら、私はまた、空いた役割の近くに立っていました。

そして、その役割は、やがて「手助け」という言葉を超えていくことになります。


判断は、いつも明確な決意から始まるわけではない

二度目の独立へ向かう入口を振り返ると、そこにあったのは、強い決意ではありませんでした。

「もう一度会社をつくりたい」

「自分の力を試したい」

「今度こそ成功したい」

そういう明確な欲求から始まったわけではありません。

むしろ、そこにあったのは、もっと複雑で曖昧なものです。

本社に拾ってもらった恩義。

弱って見えた人を放っておけない感覚。

組織の中で追い込まれていく人を近くで見ていた時間。

社長と専務の間にあった、現場と仕組みの思想の違い。

自分自身が、現場の実行役として成果を出してしまっていた事実。

そして、狭い風呂の中で逃げ場のない距離から差し出された、ひと言の打診。

判断は、いつも「決めた」という形で始まるわけではありません。

ときには、断りにくさの中で始まります。

恩義の中で始まります。

相手の弱さを見てしまったことで始まります。

自分が動けば何とかなるかもしれない、という感覚の中で始まります。

そして、その時点では小さな返事だったものが、後になって大きな役割へ変わっていくことがあります。

この経験から学んだのは、意思決定を振り返るときには、「何を決めたか」だけでは足りないということです。

誰に恩義を感じていたのか。

どんな場面で断りにくくなったのか。

自分は何に反応したのか。

どの役割を、気づかないうちに引き受け始めていたのか。

そこを見なければ、同じ構造は形を変えて繰り返されます。

このときの私は、まだその構造を十分には見ていませんでした。

ただ、専務の安心したような、少し嬉しそうな表情を見て、手助けくらいならと思っていた。

その先に、退職から一店舗目のオープンまでの濃い時間が待っていることも、さらにその先に、また実行役として走り続ける時間が来ることも、まだ知りませんでした。



正解を探す前に、判断の前提を整える。

大きな判断は、いつも明確な決意から始まるとは限りません。恩義、役割、断りにくさ、責任感、相手の弱さを見てしまった感覚。そうしたものが重なったとき、人は気づかないうちに大きな役割を引き受けていることがあります。

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