空白を埋めるために、売場は急いで立ち上がった──二度目の独立、最初の店舗づくり

空白を埋めるために、売場は急いで立ち上がった──二度目の独立、最初の店舗づくり

旅館の小さな風呂で、元専務から「もし独立することになったら、手助けしてくれるかい」と聞かれたとき、私は深く考え抜いて答えたわけではありませんでした。

本社に拾ってもらった恩義がある。目の前の人は弱って見える。困っているなら、少しくらい手を貸してもいい。

おそらく、その程度の感覚だったのだと思います。

けれど、後から振り返ると、その「いいですよ」という短い返事の中に、次の数年間の自分の役割がすでに入り込んでいました。

このとき私は、まだ二度目の独立に深く関わるつもりではありませんでした。

まして、自分が実行の中心になっていくとは思っていません。

ただ、物事は明確な決意だけで動くわけではありません。

恩義、しがらみ、断りにくさ、相手の弱さ、過去の経験、そして自分の中にうっすら残っている「もう一度やれるのではないか」という感覚。

そうしたものが重なり合って、人はいつの間にか次の役割へ入っていくことがあります。

二度目の独立も、まさにそういう始まり方でした。


本来、一緒に動くはずだった人がいた

実は、元専務と一緒に動く予定だった人物は、私だけではありませんでした。

もう一人、元専務がより信頼していたように見える人がいました。

その人は、元専務と長く仕事をしてきた人でした。同時に、前職の創業社長からの信任も厚かった人です。

私も、その人とは二度ほど二人で出張に行ったことがあります。

車で移動しながら、いろいろな話をしました。男気があり、筋が通っていて、なかなかの人物だと感じていました。

だからこそ、その人が単純に逃げたとは、私は思っていません。

おそらく、元専務と創業社長の間に挟まれてしまったのだと思います。

どちらにも義理がある。どちらにも顔を向けにくい。どちらかを選べば、どちらかを裏切ることになる。

その結果、その人はしばらく姿を見せなくなりました。

外から見れば、逃げたように見えたかもしれません。

けれど、私にはそうは見えませんでした。

本当に筋のない人なら、もっと別の逃げ方をしたのではないかと思います。あの人は、そういう人ではなかった。

むしろ、義理の間で身動きが取れなくなり、どちらにも顔を出せなくなったのではないか。

そう受け止めています。

その人が来ないかもしれないことは、元専務もある程度予想していたのかもしれません。

そう考えると、私は本命ではなく、保険のような位置づけだったのかもしれません。

ただ、そのことに強い不満があったわけではありません。

むしろ、ここでもまた、空いた場所がありました。

誰かが入るはずだった場所が空く。

そこに、自分が入っていく。

一度目の創業でも、似たことがありました。

誰かの事情が崩れ、働く場所を失いそうな人がいて、自分が動けば何とか形になりそうに見える。

その流れの中で、自分が実行役になっていく。

この構造は、ここでもまた静かに始まっていたのだと思います。


成功の方法は見えなくても、崩れていく条件は見えていた

二度目の独立へ向かう状況は、一度目の創業に向かっていったときの状況と、どこか似ていました。

ただし、違いもありました。

一度目の創業のとき、私にはまとまった資金も、十分な時間の余裕もありませんでした。

目の前の状況が崩れ、どうにかして人が働ける場所を残す必要があり、その流れの中で会社をつくるしかなかった。

一方で、二度目の独立では、元専務にはある程度の資金もありました。時間の余裕も、一度目の私よりはあったはずです。

普通に考えれば、それは有利な条件です。

けれど、私は元専務の言葉を聞きながら、どこかで危うさも感じていました。

それは能力がないという話ではありません。

元専務は頭も切れます。店舗づくりもよく知っていました。何百店舗もの出店を見てきた経験もある。準備や段取りにも長けている部分がありました。

ただ、創業という場面では、組織の中で培われた執行感覚だけでは足りないことがあります。

与えられた枠組みの中で役割を果たす力と、まだ何も整っていないところから流れそのものをつくる力は、似ているようで違います。

会社の初期には、誰かが条件を整えてくれるわけではありません。

商品、人、資金、売場、信用、仕組み。そのどれもが未完成なまま動き出します。

だからこそ、中心に立つ人間は、流れに乗るだけではなく、流れをつくる側に回らなければならない。

私は、どうすれば成功するのか、その答えを持っていたわけではありません。

けれど、一度目の創業を通じて、何をすると物事がうまくいかなくなるのかは、ある程度わかっていたのだと思います。

資金があることと、事業が立ち上がることは違います。

構想があることと、売場が動くことも違います。

過去の会社を見返したい気持ちがあったとしても、新しく始める会社が見ているべきなのは、過去ではありません。

目の前の商品、人、売場、取引先、そして最初のお客様です。

元専務の言葉の端々からは、以前の会社に対して「こうすればうまくいくのだ」と示したいような思いがにじんでいるように感じることがありました。

もちろん、それは私の受け止め方であって、本人がはっきりそう言ったわけではありません。

ただ、肌感としてはありました。

そのたびに、私は心のどこかで思っていました。

見るべきものは、そこではない。

あなたの会社は、こちらにある。

過去の会社に何かを証明することではなく、いま目の前にある会社をどう成立させるかを見なければならない。

そう感じたときには、折に触れて牽制することもありました。

いさめるような言い方をしたこともあります。

けれど、苦い言葉は、正しければ届くというものではありません。

誰が言うのか。どの立場から言うのか。どのタイミングで言うのか。

その関係性によって、同じ言葉でも入り方は変わります。

私は元専務より一回り若く、立場としても部下に近い存在でした。

その関係性の中では、どれだけ大切なことを言っても、言葉の力は弱くなります。

固定された上下関係の中では、必要な言葉ほど相手の内側へ届きにくい。

このことも、後に相談や伴走という仕事を考えるうえで、大きな意味を持つようになりました。


体調を崩し、いったん立ち止まった

退職へ向かう前に、私は体調を崩しました。

十二指腸潰瘍です。

有給休暇が残っていたこともあり、私は一か月ほど療養することになりました。

その間に、元専務は会社を退職しました。

私は療養を終え、一度本部に戻ります。

戻ってみると、直属の上司はすでに変わっていました。

その新しい上司に、私は説得されます。

ぜひ残ってほしい、と。

その人は、本部の中でもかなり上の立場にいた幹部でした。普通に考えれば、そこで残る選択もあったと思います。

独立へ向かう道だけが、唯一の道だったわけではありません。

本部に残り、別の上司のもとで働くこともできた。

体調を崩したあとでもあり、安定した道を選ぶなら、その方が自然だったかもしれません。

けれど、そのときの私は、すでにいろいろなしがらみや事情、心情の中にいました。

元専務への恩義がある。

風呂場で「いいですよ」と答えてしまった。

もう一人の予定されていた人物は動けなくなっている。

そして、自分の中にも、ごく薄くではありますが、「今度こそ」という感覚があったのだと思います。

一度、会社をつくった経験がある。

あのときは、十分に整った条件ではなかった。

今度は、違う形でできるのではないか。

強い野心ではありません。

起業したいという明確な熱でもありません。

けれど、ほんのわずかに、自分でも試してみたい気持ちが残っていた。

その感覚が、恩義やしがらみと絡み合っていました。

私は、本部に戻ってから一週間ほどで退職することになります。


最初に予定されていた一号店は、実際には二号店になった

退職後、いよいよ独立準備に入っていきます。

最初は、元専務の自宅で準備を進めることになりました。

そして、最初の出店予定地もありました。

それは、第三セクターの施設に入るテナントでした。

もともとは前職の会社でも出店予定地になっていた場所で、前職の創業社長が、結果的にこちらへ譲るような形になった店舗でもありました。

ただ、その場所はすぐに開けられる店舗ではありませんでした。

第三セクターのテナントということもあり、出店までにはいろいろな手続きや準備が必要でした。

一か月ほどの時間が空きます。

その間、私は給料だけをもらうような形になります。

それはまずい。

そういう判断があったのだと思います。

空白の一か月を、そのまま待つわけにはいかない。

そこで、急きょ路面店を先に開けることになりました。

結果として、本来一号店になるはずだった第三セクターの店舗は、実際には二号店になります。

そして、空白を埋めるために開けた路面店が、一号店になりました。

この時点で、すでに計画は少しねじれています。

最初から整った順番で始まったわけではありません。

予定された一号店があり、その前に別の一号店を急いで立ち上げる。

始まりから、空白を埋める仕事だったのです。


「なんとかしろ」と言われ、物件を押さえに動いた

路面店については、目星をつけていた物件がありました。

元専務がアメリカに行っている間に、その物件を押さえてほしいという連絡が入りました。

私は動きました。

ところが、すでに借りる人が決まっていました。

そのことを報告すると、返ってきた言葉は簡単でした。

「なんとかしろ」

それだけです。

無理難題と言えば、無理難題です。

すでに話が進んでいる物件を、こちらの都合で何とかしなければならない。

けれど、始めると決めてしまった以上、動くしかありません。

あちこちに連絡を取り、時間を使い、事情を説明し、なんとか話をまとめていきました。

偶然もありました。

その物件を担当していた不動産会社の責任者が、私の自宅から百メートルも離れていないところに住んでいる先輩だったのです。

その面識があったからこそ、最後は「仕方ないな」という形で動いてくれたのかもしれません。

それが幸運だったのか、そうではなかったのかは、今でも少し判断が難しいところです。

結果として、物件は確保できました。

けれど、そこには少し嫌な余韻も残りました。

きれいに整った契約ではなく、無理を通して形にした感覚があったからです。

二度目の独立の最初の店舗は、華々しいスタートというより、どこか後味の悪さを抱えたまま始まっていきました。


店は、自分たちの手でつくった

元専務がアメリカから戻ると、いよいよ店舗づくりに入ります。

その頃、元専務はアメリカ商品の輸入についても構想を持っていました。

前職時代から、アメリカの商品を輸入し、それを店舗展開するような構想を持っていたように見えました。そのための現地のつながりや準備も、ある程度整えていたのだと思います。

息子さんは先にアメリカへ渡り、現地で生活の足場をつくっていました。そこには、現地に暮らす知人の支援もあったようです。

元専務は、その流れを踏まえてアメリカへ向かっていたのだと思います。

つまり、アメリカ行きは思いつきではなく、以前から描いていた計画の延長線上にあったのでしょう。

ただ、現実の店舗づくりは、目の前で進めなければなりません。

路面店の準備では、内装や什器も、かなりの部分を自分たちでつくりました。

材料を買い込み、フィッティングルームをつくり、店内の造作を整え、売場の形をつくっていく。

私は以前、新店舗開発にも関わっていました。

その経験があったので、何をどう用意すれば店らしくなるのかは、ある程度わかっていました。

元専務も、店舗づくりについてはよく知っていました。

だてに何百店舗もの出店を見てきたわけではない。どこに何を置くか、どんな材料を使うか、どうすれば低いコストで店らしく見せられるか。その指示には、経験の厚みがありました。

この点では、やはり元専務には力がありました。

実務の細かい積み上げを自分の手で全部やる人ではありません。

けれど、店舗をどうつくればよいか、その勘所は持っていました。

私は、その指示を受けながら、実際の手配や作業を進めていきました。

ここでもまた、役割は分かれていました。

構想や指示を出す人。

それを現実の店にしていく人。

そして、私は後者の側にいました。


一号店と二号店は、ほぼ同時に動き出した

路面店が一号店としてオープンしたあと、約一週間ほどで、もともと一号店になるはずだった第三セクターの店舗もオープンします。

つまり実際には、一号店と二号店がほぼ同時に動き出したようなものでした。

一店舗を開けるだけでも、立ち上げにはかなりの負荷があります。

ところが、私たちはほとんど同時に二店舗を立ち上げることになりました。

従業員の面接をする。

人を配置する。

店舗を回す。

仕入れをする。

一号店と二号店を巡回する。

在庫状況を確認する。

本部に戻って追加発注を考える。

売れていない商品は値下げする。

売場を歩き、セットアップを変え、ディスプレイを直す。

当初の従業員は、ほとんどがパートさんでした。

経験のある販売員ばかりではありません。

むしろ、何もわからないところから始める人も多かった。

だから、最初から高度な接客を求めることはできませんでした。

ここで私が取ったのは、「接客をさせない接客」に近い方法です。

未経験の人に、いきなり上手な接客を求めても難しい。

むしろ、慣れていない人が気を張って声をかけることで、お客様が逃げてしまうこともあります。

だから、売場を動かす。

八の字に歩く。

商品を触る。

ディスプレイを整える。

店内に自然な人の動きをつくる。

すると、お客様の方から近づいてくることがあります。

この方法も、前職の創業社長から学んだものでした。

パートさんしかいない店舗で、社長がそういう指示をしていたのを見ていたのです。

無理に売ろうとしなくても、店内に動きがあれば、人は寄ってくる。

売場の空気が止まっていなければ、お客様は入りやすくなる。

これは単なる販売テクニックではありません。

人が動きやすい条件をつくるということです。

接客が得意でない人に、接客を強いるのではなく、動き方を設計する。

売ろうとする前に、お客様が近づきやすい空気をつくる。

この方法が、一号店と二号店ではよくはまりました。

予想以上に売れました。

一号店も、二号店も、大当たりと言ってよい結果でした。


二号店に、創業社長が祝いに来てくれた

二号店がオープンしたとき、前職の創業社長がお祝いに来てくれました。

お祝いを持って、店に顔を出してくれたのです。

本来であれば、それは元専務に渡されるものだったのかもしれません。

けれど、社長は私に直接手渡しました。

「齊木君、おめでとう」

その一言を聞いたとき、私はうまく言葉を返せませんでした。

そこにどんな意味があったのかは、今でもはっきりとはわかりません。

ただ、社長はこの店を誰が動かしているのか、どこに実行の重心があるのかを、どこかで見ていたのかもしれません。

そして、帰り際に社長は言いました。

「齊木君、左の側面の動線が違う」

いかにも社長らしい言葉でした。

お祝いに来てくれているのに、やはり見ているのは売場でした。

人の思いも受け止める。

けれど、売れる導線も見逃さない。

その言葉を聞いたあと、私は店に立っていられなくなりました。

バックヤードへ下がり、涙があふれて止まらなくなりました。

なぜそこまで泣いたのか、そのときは自分でも整理できていなかったと思います。

前の会社を離れたこと。

社長と元専務の間にあった複雑な関係。

自分がこちら側で店を動かしていること。

それでも社長が祝いに来てくれたこと。

そして、最後まで社長が売場を見ていたこと。

そのすべてが、一度に押し寄せてきたのだと思います。

しばらくして、私は元専務に、社長がお祝いに来てくれたことを伝えました。

「いつ来たのか」と聞かれたので、「もう三十分ほど前です」と答えました。

すると、元専務は「すぐ電話しなければだめじゃないか」と言いました。

私は、「号泣してしまって、電話どころではなかったんです」と答えました。

元専務は、ただ「そうか」と言いました。

この出来事は、私の中に強く残っています。

祝福されたようでもあり、見抜かれたようでもあり、まだ前の会社との関係が完全に終わり切っていないことを突きつけられたようでもありました。

そして同時に、社長の現場を見る目は、最後まで変わらなかった。

そのことを、改めて感じた場面でもありました。


売れたことが、次の流れを呼び込んだ

最初の二店舗が売れたことは、もちろん嬉しいことでした。

急いで立ち上げた路面店。

もともと予定されていた第三セクターの店舗。

ほぼ同時に動き出した二つの売場が、予想以上に結果を出した。

これは、事業としては大きな手応えでした。

ただ、後から見ると、この成功には別の意味もありました。

自分が動けば、形になる。

自分が無理をすれば、空白は埋まる。

自分が現場を回せば、売場は動く。

この感覚が、周囲にも、自分にも、強く刻まれていきます。

成功は、必ずしも安心だけをもたらすわけではありません。

成功したからこそ、次の店舗を出せるのではないかという空気が生まれます。

このやり方でいけるのではないか。

もっと広げられるのではないか。

いまの流れに乗った方がよいのではないか。

そうして、拡大の空気が始まっていきます。

一度目の創業でも、似たことがありました。

うまくいき始めると、人は止まりにくくなります。

成果が出ているときほど、何がその成果を支えているのかを見落としやすくなります。

本来なら仕組みにすべきことを、一人の実行力で吸収していないか。

本来なら合意し直すべき条件を、現場対応で乗り切っていないか。

本来なら立ち止まって確認すべき境界線を、売上の勢いで越えてしまっていないか。

その問いは、当時の私にはまだ十分には見えていませんでした。

ただ、今振り返ると、二度目の独立は、最初から計画通りに始まったわけではありません。

空白を埋めるために、急いで売場を立ち上げた。

無理な物件交渉をし、自分たちで店をつくり、未経験のスタッフを動かし、ほぼ同時に二店舗を回した。

そして、結果が出た。

さらにその結果を、前職の創業社長は見に来てくれた。

お祝いの言葉とともに、やはり売場の導線を見て帰っていった。

その出来事は、私の中に複雑な感情を残しました。

認められたようでもあり、まだ見られているようでもあり、前職の延長線上から完全には離れていないようでもありました。

けれど、売場は動き始めていました。

そして、その動きは次の展開を呼び込みます。

大阪への仕入れ、韓国での直接買い付け、アメリカ商品の見立て、そして店舗数の拡大。

売場は、止まらなくなっていきます。

同時に、私自身もまた、止まりにくい流れの中へ入っていったのだと思います。



正解を探す前に、判断の前提を整える。

物事が動き始めるとき、そこには計画だけではなく、空白、しがらみ、役割、関係性、そして断りきれなかった感情が入り込むことがあります。

うまくいっているように見えるときほど、何がその成果を支えているのか。誰がどの負荷を引き受けているのか。どの条件が曖昧なまま進んでいるのかを見直すことが大切です。

初回整理相談では、40分の対話を通じて、いま抱えている違和感や迷いを整理し、次に何を見ればよいのかを一緒に確認していきます。

初回整理相談を確認する

関連する整理相談

家族・事業・住まい・お金が絡み合う判断について

事業、家族、資金繰り、住まい、お金が重なったとき、 判断は単純な損得だけでは整理しきれなくなることがあります。

いま似たような絡み合いを感じている場合は、 まず全体の見取り図をつくることから始められます。

家族・親族 役割、関係者、温度差を整理します。
事業・住まい 家業、不動産、住まいの前提を確認します。
保険・お金 保障、資金繰り、親族間の負担を見直します。