数字が見えるようになったのに、判断の幅は狭くなっていった──六店舗目で表面化した創業時のしわ寄せ

数字が見えるようになったのに、判断の幅は狭くなっていった──六店舗目で表面化した創業時のしわ寄せ

一号店、二号店が動き始め、売場は予想以上に回っていました。

その後、仕入れ、売場づくり、商品回転の工夫を重ねながら、店舗は少しずつ増えていきます。

三店舗目が軌道に乗り始めた頃、会社には一つの大きな変化がありました。

商品管理システムの導入です。

それは、思いつきで入れたものではありませんでした。

起業当初から、いずれは導入する計画がありました。店舗数が増え、売上や在庫を人の感覚だけで追うには限界が見え始めた。ようやく、その仕組みを入れられる段階になったということです。

導入したのは、前職でも使っていた業者のシステムでした。

規模は小さいものの、機能としては前職で使っていたものと大きく変わらなかったと思います。

これによって、現場に行かなくても、ある程度は店舗の状態を把握できるようになりました。

売上、在庫、商品移動、店舗ごとの状態。そうしたものが見えるようになる。

これは会社にとって、必要な前進でした。

ただし、数字が見えるようになることは、いつも安心だけをもたらすわけではありません。

見えるものが増えると、気になるものも増えます。

そして、気になるものに意識を奪われすぎると、かえって大きな流れが見えにくくなることがあります。

この時期の会社は、まさにその入口に立っていたのだと思います。


管理の場が整い、元専務は力を発揮しやすくなった

商品管理システムが入ったことは、元専務にとっても大きかったはずです。

彼は、現場で手を動かし続ける人というより、全体を見て指示を出す側に力を発揮する人でした。

店舗ごとの状態を見て、数字を見て、在庫を見て、必要な指示を飛ばす。

そのための場が整ったわけです。

おそらく、元専務は嬉しかったのではないかと思います。

ようやく、自分が得意とする管理の土俵ができた。

現場を一つひとつ見て回らなくても、数字を通して店舗を把握できる。商品がどこにあり、どこで動き、どこで止まっているのかが見える。

それは、店舗数が増えていく会社にとって、必要なことでもありました。

実際、システム導入後は、より具体的な指示が飛び交うようになりました。

どの商品をどの店へ動かすか。

どの店舗の在庫を調整するか。

どこで売れていて、どこで止まっているのか。

それまで現場の感覚でつかんでいたものが、数字として見えるようになっていきます。

繰り返しますが、これは悪いことではありません。

店舗が増えれば、仕組みは必要です。

人の勘と動きだけで回る段階には、必ず限界があります。

問題は、その仕組みを何のために使うのかです。

数字を、現場を支えるために使うのか。

それとも、数字そのものに意識を奪われ、現場や人の感覚を後ろへ押しやってしまうのか。

この違いは、あとから見ると非常に大きかったように思います。


経理担当の加入で、一度は「これはいける」と思った

四店舗目を展開する少し前だったと思います。

パートという形ではありましたが、経理に強い人が加わりました。

この人の加入は、私にとって非常に大きな助けになりました。

人が増えること自体には、警戒感もありました。

人が増えれば、見るべきことも増えます。伝えることも増えます。調整しなければならないことも増える。

特に、すでに店舗運営、仕入れ、商品移動、人員配置、現場対応に追われていた私にとって、人が増えることは、単純に楽になることだけを意味しません。

むしろ、思考の負荷が増えるのではないかという不安もありました。

身体の疲れよりも、思考の疲れの方が深く人を削っていくことがあります。

次々に判断し、調整し、誰かの言葉を受け止め、数字を見て、現場へ戻す。その状態が続くと、身体より先に頭が擦り切れていく。

だから、人が加わることには、どこか慎重でした。

ところが、この経理担当は予想以上に優れていました。

まず、元専務との相性がよかった。

数字の扱いだけではなく、やり取りの呼吸が合っていたのだと思います。

そして、私の思考負荷を一部減らしてくれました。

資金の流れ、支払い、経理上の整理。そうしたものを受け止めてくれる人がいるだけで、私はかなり助けられました。

何より、その人には度胸がありました。

親分肌というのでしょうか。

どこか、前職のカリスマ社長に似た雰囲気がありました。

細かい数字を見る人でありながら、ただ細かいだけではない。腹が据わっている。人の前に立てる。必要なことを受け止められる。

私は、その人を見て「これはいける」と思いました。

元専務も、同じような感覚を持ったのではないかと思います。

商品管理システムが入り、経理の人材も加わった。

管理の土台が整い始めたように見えました。

ただ、土台が整ったように見えたことが、次の判断を前へ押し出してしまった面もあったのかもしれません。


数字が中心になると、大局が薄れていく

数字が見えるようになると、当然キャッシュフローが気になります。

経営者として、それは自然なことです。

売上がいくらあるのか。

在庫がどれだけ残っているのか。

支払いはいつ来るのか。

仕入れにどれだけ使っているのか。

固定費はいくら増えているのか。

月に一度、顧問税理士に数字を見てもらうだけでは物足りなくなってくる。

より日常的に、お金の流れを見たくなる。

これ自体は、まったく不自然ではありません。

ただ、この頃から、数字への意識が少しずつ強くなりすぎていったように感じます。

資金繰りを気にしすぎる。

数字が中心になり、大局観が薄れる。

売場や人の感覚よりも、支払い、在庫、資金の話に引っ張られる。

事業の足元を整える前に、前へ進もうとしてしまう。

不安が判断を狭くしていく。

この流れは、私にとって見覚えのあるものでした。

一度目の創業でも、似た経緯を経験していたからです。

数字は大事です。

資金繰りを見ない経営は危うい。

けれど、数字が中心になりすぎると、人の判断は狭くなります。

本来なら、売場の状態、人の疲弊、在庫の質、出店の意味、固定費の増加、組織の呼吸を合わせて見なければならない。

ところが、不安が強くなると、目の前の資金繰りや数字だけに意識が寄っていく。

見えているはずなのに、見えなくなるものがあるのです。

この頃の元専務にも、その気配がありました。

典型的だったのは、本部から姿を消すことが増えたことです。

パチンコ店で知り合った人を会社に連れてきて、談話するようなこともありました。

それは、外から見れば軽く見える行動だったかもしれません。

けれど、今振り返ると、重圧からの回避行動でもあったのではないかと思います。

数字を見る。

資金繰りが気になる。

前へ進みたい。

けれど、不安がある。

その不安を正面から見続けるのは、簡単なことではありません。

人は、ときに別の場所へ逃げることで、自分を保とうとします。

その気持ちが理解できないわけではありません。

ただ、会社の判断としては、その逃げが次の歪みを生んでいくことになります。


「問題は前に進んで解決しろ」が、違う意味に聞こえた

この頃、私は一度、立ち止まる必要があると感じていました。

商品管理システムのリース料が加わる。

人件費も増える。

経理担当も入り、管理体制は整い始めている。

だからこそ、一度台所事情を明確にして、足元を整えてから次へ進むべきではないか。

私は、そう考えていました。

ところが、元専務は前へ進む方向を選びます。

そのときに出てきた言葉がありました。

「問題は前に進んで解決しろ」

これは、前職の創業社長がよく使っていた言葉です。

元専務も私も、その言葉が重要なキーワードであることはよくわかっていました。

創業社長にとってその言葉は、現場を動かすための言葉だったと思います。

立ち止まりすぎず、売場へ入り、実際に動かしながら問題を解いていく。

現場は、動いてみなければ見えないことが多い。だから、机上で考え込むより、前へ進みながら修正する。

そういう意味で使われていた言葉でした。

しかし、このとき私には、その言葉が薄っぺらく聞こえました。

同じ言葉でも、使う場面が変わると意味が変わります。

今必要だったのは、現場で導線を直すことではありません。

固定費が増え、在庫が重くなり、支払いと仕入れを確認し、これ以上の出店に耐えられるかどうかを見ることでした。

その局面で「前に進んで解決しろ」と言われると、私には問題を先送りするための逃げ口上のようにも聞こえました。

ここでその言葉を持ち出すのか。

そんな思いがありました。

創業社長の言葉を借りているようで、実際には、見なければならない条件から目をそらしているように感じたのです。

言葉そのものが悪いわけではありません。

ただ、言葉は使う場面によって、力にもなれば、逃げにもなります。

このときの私は、その違いを強く感じていました。


五店舗目までは、まだ実務的な出店だった

その後、五店舗目の出店がありました。

この店舗については、私はそれほど大きな問題とは見ていませんでした。

理由は、実務的な出店だったからです。

居抜きに近い形で、内装費も総額で百万円未満だったと思います。

場所も近場でした。

さらに、本部機能やバックヤードとの関係もあり、店舗としてだけでなく、実務上の役割も持たせることができました。

こういう出店であれば、まだ理解できます。

低コストで、近場で、既存の運営の延長線上にある。

もちろん負荷はあります。

それでも、会社の規模や体力から見て、まだ現実的な範囲でした。

問題は、次の六店舗目です。

六店舗目から、出店の質が明らかに変わり始めます。

単に一店舗増えるという話ではありませんでした。

出店コストも、距離も、店舗面積も、顧客動向の読みにくさも、それまでとは違っていました。

五店舗目が、既存の延長線上にある実務的な出店だったとすれば、六店舗目は、会社の方針そのものを少し歪める出店だったように思います。


六店舗目は、断れない出店だった

六店舗目は、ジャスコからの出店オーダーでした。

このタイミングで来るのか。

正直、そう思うような状況でした。

本来であれば、もう少し読みやすい店舗が理想だったと思います。

客層がある程度わかる。

売上の見込みが立てやすい。

居抜きで、コストを抑えられる。

そういう出店であれば、まだ判断しやすい。

しかし、六店舗目はそうではありませんでした。

これまでで一番大きな店舗面積でした。

顧客動向もまったくわかりません。

場所は青森県の遠方店舗で、四店舗目と同じく、簡単に行き来できる場所ではありませんでした。

スタッフもなかなか決まりませんでした。

実際には、本部の人員と外部のサポート役が交代でひと月ほど張り付くような形になりました。

出店費用も大きい。

それに加えて、人員の滞在、移動、サポートにかかる労力と費用も大きい。

これまでとは比べものにならない負荷でした。

それでも、断る気はなかったのだと思います。

ジャスコへの出店は、最初から模索していた事案でした。

むしろ、この機会を懇願していたとも言えます。

ここで断れば、今後ジャスコから出店許可が下りなくなるかもしれない。

また、ジャスコへ出店することは、前職の人たちへの意思表示でもあったのだと思います。

ここまで来た。

この新しい会社でも、こういう場所へ出店できる。

そう示したい思いもあったのではないでしょうか。

だからこそ、地の利もわからない、明らかにリスクの大きい遠方へ出店することになったのだと思います。

この判断には、経営上の期待と、過去への意思表示が混ざっていました。

そして、その混ざり合いが、判断をさらに難しくしていたのだと思います。


六店舗目は、メイドインUSAの再チャレンジでもあった

六店舗目には、もう一つ重要な意味がありました。

それは、メイドインUSA商品の再チャレンジだったということです。

前の記事で書いたように、メイドインUSA商品は、元専務にとって創業の物語でもありました。

しかし、現実の売場では動きませんでした。

パンツスーツを中心とした商品群は、売場で浮き、手に取られることも少なく、長く在庫として残っていました。

にもかかわらず、そのこだわりは完全には消えていませんでした。

実は、出店するたびに、このメイドインUSAの再チャレンジは、強弱の差はあれ試されてきました。

一号店以外の店名にも、そのこだわりの残存がありました。

一号店は二号店と同じ商圏だったため、若干商品群を変える必要がありました。

皮肉にも、その違いが一号店と二号店の両方を生かした要因だったのだと思います。

同じ商圏の中で商品構成を変えたことで、それぞれの店に違う顔ができた。

それが結果としてよい方向に働いた。

ところが、六店舗目では、再びメイドインUSAに大きく寄せる動きが出ました。

二号店でうまくいかなかった商品群が、六店舗目へ店間移動されました。

USAの商品がまとめて移されたのです。

結果は、同じでした。

むしろ、さらに売れなかった。

ほとんど売れないどころか、まったく売れないと言ってよい状態でした。

これは、単なる在庫移動ではありません。

創業時のこだわりを、別の場所でもう一度試す行為でした。

しかし、売場の現実は変わりませんでした。

場所を変えても、売れない理由が変わらなければ、商品は動きません。

ここで、以前から積み残されていた問題が、さらに大きな形で表面化していきます。


創業時のしわ寄せが、数字として表に出てきた

店舗が増えると、見落としも増えます。

同時に、コントロールしなければならない領域も増えていきます。

在庫調整。

支払い率のコントロール。

締め日を活用した仕入れの調整。

返品交渉。

支払い条件の相談。

商品が増え、店舗が増え、仕入れ先が増えれば、それだけ見なければならないものも増えます。

私は、その多くを自分で抱えていました。

思考負荷は、ますます増えていきました。

もし経理担当の助けがなければ、私はもっと早い段階でバーストしていたと思います。

この頃になると、創業当初のしわ寄せが、目に見える形で現状に響いてきます。

メイドインUSAへのこだわり。

動かない在庫。

出店による固定費の増加。

遠方店舗のサポート費用。

システムリース料。

人件費。

それらが重なって、キャッシュフローを圧迫していく。

一つひとつは、理由のある判断だったのかもしれません。

けれど、積み重なると、会社全体の呼吸を苦しくしていきます。

そして、その苦しさは、数字だけに表れるわけではありません。

会社全体や各店舗のスタッフ、特にバックヤードのメンバーも、その空気を受け止めていたはずです。

私が仕入れ先に支払い調整を依頼する。

返品交渉をする。

締め日を使って仕入れをコントロールする。

そうした動きは、当然周囲にも伝わります。

また、私自身のストレスや勤務態度の変化も、どこかで周囲に伝わっていたのだと思います。

人は、数字だけを見て働いているわけではありません。

会社の空気を感じます。

誰が無理をしているのか。

どこに緊張があるのか。

何が言葉になっていないのか。

そうしたものは、静かに伝わっていきます。


親族が入ることで、家庭と職場の圧が重なっていった

この時期、長男の立場も難しくなっていたのだと思います。

長男は、家庭の中で元専務の不安や重圧を見聞きしていたはずです。

一方で、職場では社長の息子として見られる。

家庭の圧と、職場の圧。

その両方を受けていたのではないでしょうか。

これこそ、私が当初から懸念していた親族加入の典型的なデメリットでした。

親族が会社に入ると、仕事上の役割と家庭内の関係が重なります。

上司と部下であると同時に、親と子でもある。

会社の不安が家庭に入り、家庭の感情が会社に戻ってくる。

外部の従業員であれば、仕事上の問題として距離を取れることも、親族になると距離が取りにくくなります。

しかも、親が子を抑えることは簡単ではありません。

仕事上の注意なのか、家庭内の叱責なのか。

本人も周囲も、そこを切り分けにくくなる。

この頃、長男はおそらく、その両側の圧を受けていたのだと思います。

そして、それはやがて会議の場で表に出ることになります。


「マネージャー、僕は怖いんです」

ある会議で、長男が感情を抑えきれなくなる場面がありました。

そのとき、彼は私に向かって叫ぶように言いました。

「マネージャー、僕は怖いんです。社長を止めてくれ」

その言葉は、今でも残っています。

その場は何とか収まりました。

元専務も彼をいさめ、取り押さえるような形になり、修羅場のようになった空気は、いったん沈静化しました。

けれど、この出来事は、単なる一人の感情の爆発ではなかったと思います。

数字が見えるようになったこと。

キャッシュフローへの不安が増したこと。

固定費が増えたこと。

六店舗目の大きな出店負荷。

売れないメイドインUSA在庫の再チャレンジ。

家庭内に流れ込む経営者の不安。

社長の息子として職場にいる重さ。

そうしたものが、彼の言葉として噴き出したのではないかと思います。

そして、この場面以降、長男の感情の揺れは、仕入れ先や店舗でも表に出るようになっていきました。

会社は、ここからさらに別の局面へ入っていきます。

数字が見えるようになったことは、必要な前進でした。

経理担当が加わったことも、大きな助けでした。

けれど、その一方で、固定費は増え、在庫の重さは表に出て、出店判断は前へ押し出され、家庭と職場の境界はさらに曖昧になっていきました。

見えるものが増えたはずなのに、判断の幅は狭くなっていく。

この矛盾の中で、二度目の独立は、次の重い局面へ向かっていくことになります。



正解を探す前に、判断の前提を整える。

数字が見えるようになることは、経営や生活設計にとって大切な前進です。

けれど、数字が見えるほど、不安もまた見えるようになります。大切なのは、数字だけに判断を預けるのではなく、人、現場、在庫、固定費、関係性、将来の余白まで含めて、いま何を整えるべきかを見直すことです。

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